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いよいよ明日11月19日、午後8時30分から六本木「ニコファーレ」で小沢一郎と田原総一郎が徹底生討論をする。先にも紹介致しましたように、小沢一郎を支持する人たちは是非、会場周辺に集まっていただき「頑張れ!小沢一郎、敗けるな!小沢一郎」と声援を送ってください。
注:ニコファーレ(http://nicofarre.jp/)
ところで小沢一郎は過去に、自分の考え方を記者会見、TV出演で主張していたが、愚劣なマスコミや知識人、政治家の「小沢批判」に対しては反論も自己弁護も一切してこなかった。何故、小沢一郎は愚劣な「小沢批判」に黙しているのか?この点について作家の世川行介氏が12月に出版する「角栄と一郎」の中で本質を突いた解説をしているので紹介する。
六本木で小沢一郎に声援を送る方は、是非この文を読んでいただき、小沢一郎の気持ちを少しでも理解してやってください。
<以下抜粋>
小沢一郎に対する批判は、新聞雑誌にあふれるほど見受けられる。しかし、僕たち読み手が、「なるほど、」と思わずうなずいてしまうような説得力のある批判には、ほとんど出逢うことがない。幾万の小沢批判の根拠をさがす僕たちがもっとも多く眼にするのは、「小沢一郎は、あの金権政治家田中角栄や金丸信(元自民党副総裁)の愛弟子だったから、その体質を受け継いだかれも、きっと金権政治家に違いない」という先入観だ。これは、先に述べた立花隆がさかんに振りかざしているものだ。
この先入観は、一見もっともらしく聞こえるかもしれないが、しかし、僕には、これほど人を馬鹿にした根拠はないように思える。ここには、東西冷戦構造の崩壊後の世界を視野にいれて、自民党をとびだしてまで政治改革を希求したり、あるいは、『日本改造計画』をあらわして日本のあるべき将来像をさぐった、小沢一郎という政治家の知性や熱意や政治理念が、なにひとつ反映されていないばかりか、「小沢一郎はただの悪徳政治家である」と言っているに等しい。
これでは、小沢一郎が、あまりにも不憫である。結果として、善しと言われるか悪しと言われるかは別として、人は、もっと公平な判断材料の上で評価されるべきではないのか?このような横並びの、批判とは呼べないような低級な小沢批判ばかりが社会に流通するのは何故か、と首をかしげる僕たちは、「ひょっとしたら、巷間うわさされるように、小沢一郎批判というのは、実は思惑を秘めた批判ではないのか」、という疑問の前で立ち止まってしまう。
だが、当の本人である小沢一郎という人物は、まったくもって、奇妙な男だ。通常、これくらいに批判(?)や誹謗中傷を受けたら、人間、なにかひとことでも反論をするものだけれど、何故か、小沢一郎は、ほとんどの批判や中傷に対して、反論をしたことがない。これが人たらしと言われた田中角栄なら、笑い飛ばすか、ユーモアまじりに言い返すのだろうが、小沢一郎という政治家は、完全無視、とでも言えばいいような素っ気ない対応で素通りしてきた。
その姿勢は、小沢一郎を古くから知っている人間たちの言では、「他人の悪口を言わないこと」、「言い訳をしないこと」、それが小沢家の家訓だから、らしい。しかし、僕などには、それは、小沢一郎周辺のこしらえ上げたしょうもない「小沢神話」にすぎないような気がする。論理を展開することは、「悪口」を言うこととは別次元の話であり、自分の論理や政治行動を説明することは、「言い訳」とはちがう。
おそらく、かたくなにまで論理を重視して生きてきた小沢一郎は、そうした、批判の名を借りた誹謗中傷が、論理に値しないことを知っているだけでなく、「論理」と「非論理」は同じ土俵では相撲がとれないこともまた知っていたから、そうした誹謗中傷のたぐいは無視する姿勢をつらぬいてきたのではないか、と理解したほうが妥当のように思う。
そうした小沢一郎の気持ちは、僕などもわからないわけではない。きっと、小沢一郎は、『日本改造計画』を世に問うてからずっと、敵なら敵でもいいから、論理的に真正面から挑んでくる「本物の敵」が欲しかったのだ。小沢一郎は、じぶんを高く評価してくれる江藤淳や吉本隆明の存在を知っていた。それは、僕自身が一七年前に小沢氏の高橋嘉信秘書(当時)に確かめたのだから、まちがいのない事実だ。
しかし、江藤淳も吉本隆明もはるか遠方からの支援者にすぎなかった。しかも、『帰りなん、いざ 小沢一郎君に与う』という名文まで寄せた、保守の側からの心づよい味方だった江藤淳は、九九年に自宅風呂場で手首にカミソリをあてて自殺し、吉本隆明は、いまでは、九〇歳の老人だ。
小沢一郎の不幸は、おそらく、かれの生活圏である日本政界に、かれの政治理念や構想を理解できる政治家が少数だったことだ。いっしょに自民党を離党した渡部恒三(現民主党最高顧問)だって、石破茂(前自民党政調会長)だって、岡田克也(前民主党幹事長)だって、船田元(自民党。落選中)だって、小沢一郎の政治理念の根本をじゅうぶんに理解してついていったわけではなかったから、途中で離反していった。
僕の知りえた範囲では、小沢一郎の政治理念をもっとも理解していたのは、現参院議員佐藤公治の父親である佐藤守良衆院議員(当時)くらいではなかったろうか。味方の周辺がそんなものだったから、かれの眼の前に現われる敵は、「本物の敵」どころか、野中広務だとか、武村正義だとか、舛添要一といった、政治的思惑を懐にひそませた野心家ばかりだった。小沢一郎が反論を避けたのも、よく理解できる。
もう一つつけ加えたい。小沢一郎を支持する国民が、こうした「反論をしない小沢一郎」の姿に見ていたものがあるような気がする。それは、ネット世界で小沢一郎支持者たちが書く文章によくあらわれているが、彼や彼女たちは、どんな誹謗中傷にも無言で耐える小沢一郎に、平成の今では見かけることの少なくなった<古風な父性>を見ていた、と思われる。
<古風な父性>とはどんなイメージかと言うと、戦前、あるいは戦後間もなくの庶民の家庭でよく見られた、寡黙で、偏屈で、自分が一度口にしたことは家族中がなんと言おうとも押し通し、涙なんかは人前では見せたこともなく、周囲がどんな悪口を言おうとも意にも介さぬ頑固者、そんな父親のイメージだ。これは、たしかに、小沢一郎の生きざまと重なる部分がおおい。五〇代、六〇代の国民が、小沢一郎に共感を覚えたのは、無理からぬことであった。
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