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マルクスによる「剰余価値の発見」とならんで社会主義を科学にしたといわれる「唯物史観の定式(公式)」について批判してみましょう。不破さんの古典教室はマルクスにとても忠実でわかりやすい。その公式が述べられているのが有名な『経済学批判・序言』で、丁寧にテキストが添えられています。マルクスを理解したい方は是非ご覧ください。
http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/#fragment-1
http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/data/04-05_02.pdf
「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的、および精神的生活過程全般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなく、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定する。」(『序言』)
Kakasiは、この序言の「自然科学的な正確さで確認できる」生産力と生産関係の発展についてはほぼ正しいと考えます。つまり,生産力の上昇やそれに伴う物質的豊かさの実現は,現実に社会的関係を発展させてきました。そしてそれが精神的生活全般を「制約」してきましたし、これからも「制約」し続けるでしょう。
しかし、「生産力や生産関係」という表現によって,人間社会のすべてを規定する「土台」と考えるのは誤りです。なぜならば生産力と生産関係に対しては,科学的認識や市民社会の意識など、言語を基本にする人間の意識形態(欲望や知識の発展、自由競争,利潤の正当化、契約等々)が深く関与し、生産様式を「制約」しているからです。不破さんは制約という言葉を重視していますがこれは、逆も真なりと言えます。
つまり生産力や生産関係に伴う人間の精神的諸形態(イデオロギー的諸形態――政治,宗教,文化など)は,単純に上部構造として位置づけられるものではありません。「社会的生産諸力と社会的生産諸関係」(土台)が,「イデオロギーの諸形態」に及ぼす影響については,自然科学的に確認できる考察が不十分です(例えば,科学的認識や市民社会意識が,なぜヨーロッパにおいてより明確に成立したか,また宗教の本質的意味やアジア的形態における上部構造と下部構造の分析,さらに一般的にさまざまな文明の相違についてなど)。
そもそも「人間社会」は「生産諸関係」に集約できないもので,人間にとって物質的生活条件は必要条件であっても十分条件ではなく,「意識的存在」として精神的文化的生活条件を含めて,統一的にとらえねばなりません。つまり人間は「意識的存在」として,宗教や民族さらにはブルジョアイデオロギ−や社会主義イデオロギー等の「イデオロギー諸形態」が「生産諸関係」を「制約」するのです。そもそも人間の生産力の発展は、言語的思考による想像・創造能力によるものです。また人間は、現代の資本主義のシステムをコントロールできるし,社会主義のシステムを創造することもできるのです(マルクスは資本主義社会をコントロール不能のシステムとみていた)。
マルクスは自己のイデオロギーが,世界史の発展に及ぼす影響について理解できませんでした。つまり彼は自らの理論を「マルクス主義イデオロギー」として相対化できず,また当然ながら,その及ぼす影響について予測することができなかったのです。マルクス主義(イデオロギー又は意識形態)にもとづく20世紀の社会主義は,マルクスの認識論に反して,「人間の意識がその存在を規定した」のです。つまり20世紀の歴史は,マルクス主義そのものが,マルクス主義を否定したことの証明になるのです。不破さんが言うように「経団連」という財界・経営者・資本家の組織、また労働者やその他の圧力団体の組織等々も、社会変動を制約する社会的意識形態の結果なのです。
マルクスは「(変革の時期の)意識を物質的生活の諸矛盾,社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならない」(『序言』)としていますが,変革の時期の意識(それは「経済的社会構成が進歩していく段階」に限らず,人類の文明が成立して以降現在にいたるまで続いている)は,階級対立を基軸とする「生産諸関係」の敵対関係だけにとどまらないのです。つまり「敵対関係」は生産諸関係のみによっては規定されず,むしろ,民族的偏見や宗教的・文化的イデオロギー形態が,社会的対立に及ぼす影響を重視しなければならないのです。これは,社会主義諸国解体後の地域紛争が,民族的宗教的対立を主要な原因としていることを見ても明らかです。
とすれば,人類の文明が成立して以降の「敵対関係」を終わらせるか,可能な限り最小限にするために,社会の「敵対関係の解決のための物質的諸条件」の成立は必要条件であるが,さらに十分条件として,未来を志向する新しい社会観を含むイデオロギー形態を創造することが求められるのです。不破さんは、そのための共産党の存在意義や役割を強調されますが、そのためには科学的認識を前提として,「イデオロギー形態」そのものの人間的な位置付けと「敵対関係」を生み出す物質的精神的利害,資源の偏在や民族的宗教的信念・感情・情熱などの考察が必要となります。そのような未来への展望あるいは理念・理想なくして,単なる階級闘争によって「人間社会の前史」を終わらせることはできないのです。
マルクスとは逆に、人間の意識は存在を規定するのです。マルクスの唯物弁証法には、意識(言語的意識)か正しく解明されていないために、『資本論』における商品・貨幣論や剰余価値論を誤ったものにしてしまったのです。マルクス主義とマルクスに依拠する共産党は、博物館でその役割を果たすのが、人類の進歩にとって貢献できる唯一の道なのです。
以上は、不破さんの名講義に触発されて、以下のHPの一部をまとめました。
http://www.eonet.ne.jp/~human-being/page9.html
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