http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/399.html
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転載する論考の内容に関しては言いたいことはいろいろあるが、ここでは触れない。
国家統治で果たす官僚機構の役割や意義は、好みはしないが、必要悪として十分に承知しているつもりだ。
90年代半ば以降の“政治的漂流”をみれば、良きにつけ悪しきにつけ、統治の継承性がなんとか維持されているのは官僚機構が存在しているがゆえであることがわかる。
日本の統治機構は、「経済的に欧米に追いつき追い越す」の戦後的目標を達成した後、本来はそれこそが政治家の役目なのだが、新たな国家ビジョンを構築することができなかった(政治家に助言できなかった)。
ここに、日本の官僚機構の能力的限界が如実に現れていると考えている。
明治維新後の近代的統治機構が、“追いつき目標”=「国家ビジョン」を喪失する状況に陥ったのは初めての経験である。
その結果官僚機構がしがみついてしまったのが、米国流グローバリズムやエセ新自由主義的経済思想と経済理論である。
外務省は、観念的に、半分は米国支配層の出先機関である(防衛省は3/4がそうだと言えるが)。
グローバリズムを標榜するのなら、外務省こそ自立を遂げなければならないが、そんな“怖いこと”はできそうにもない。
立場の違いは承知しているが、少し前に投稿した山崎元氏のほうがずっとよく現実が見えていると言えるだろう。
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[ダイヤモンド・オンライン]
「田中均の「世界を見る眼」」【第3回】 2011年11月16日
田中 均 [日本総合研究所国際戦略研究所理事長]
野田政権にも継承される“脱官僚”思考
日本は諸外国に「政と官の戦略的な関係」を学ぶべき
「脱官僚」が招いた日本の戦略機能低下 野田政権でも欠落は十分是正されていない
連載第1回は世界の変動、第2回は日本の戦略の基本をどう考えるべきか概観したが、今回は戦略を形成する日本の体制について考えることとしたい。
民主党政権となって2年を超えるが、鳩山、菅という二代の政権は政権交代を実現した国民の期待に応えることができなかったというのが、大方の評価であろう。期待外れの最大の要因は、政権の政策実行能力が十分でなかったことだと思う。
民主党内の親小沢、反小沢の政争やねじれ国会が、政府の政策実現能力を損ねたことは事実であろうが、それ以前に、民主党政権は政策を実現する戦略を持たなかった。むしろ、戦略策定機能がなかったと言ったほうが良いのかもしれない。
たとえば、鳩山政権崩壊の原因となった沖縄米軍普天間基地を巡る問題でも「最低でも県外」という声明を実現していくための戦略は、全くといってよいほどなかった。
常識的に考えれば、総理大臣の声明を実現するために、日本の安全保障政策との関係、沖縄との関係、米国との関係などを考えた綿密な戦略が練られ、米国との交渉協議を含め、政府として具体的な手だてが講じられたはずである。
このような手だてが講じられた痕跡がないのは、国家の統治機能の欠陥としか言いようがない。このような欠陥は菅政権でも引き継がれ、野田政権でも十分欠陥が是正されたとは言い難い。
この欠陥は、民主党政権が旗頭とする「脱官僚」「官僚依存からの脱却」の考え方に起因している。「脱官僚」は「政治家だけで決める」「官僚の示す政策ではなく政治家が案出する政策」と解され、本来政策策定や政策実現のための戦略策定に専門的知見を提供すべき官僚は阻害されてしまった。
「政権交代」後の政権が、これまで前政権に仕えてきた官僚を信頼するのは容易ではないこともよく判るし、官僚依存に戻れと言うつもりはない。問題の本質は、政権交代に耐えうる制度をどう構築していくのか、ということなのだろう。これは日本だけの課題ではない。
政権交代に耐えうる制度を持つ米国や英国 政治任用の官僚は政治家との信頼関係が強い
諸外国の例を見てみることとしたい。異なる政党への政権交代が明確に想定された制度を有しているのは、米国である。米国大統領が交代すれば、何千人もの政治任命による「官僚」が誕生する。
多くは議会の承認を得なければならないし、このプロセスは最低でも半年を必要とする長いプロセスである。もちろん、政治任命以外の「キャリア」(日本では公務員一種試験に合格した上級官僚を意味するが、米国では政治任用ではない一般的官吏を意味する)と呼ばれる政府官吏は、引き続き執務をするわけで、政権移行期に無政府状態になるわけではない。
政治任用の官僚は、自分たちの党派を鮮明にし、過去に同じ党派の大統領の下で働いた経験を持つ人が多く、そういう意味では行政の素人ではない。民間人であったとしても、多くはシンクタンクや大学で政策研究を行なってきた人たちである。
共和党、あるいは民主党の考え方、政策に通暁した人たちであり、大統領や議会議員といった「政治家」との信頼関係も問題がない。政権交代が行なわれれば、専門家集団のサポートを得て、大統領は新しい政策の実現にまい進する。
しかし、米国のような制度を持つ国は他には存在しない。議院内閣制の国や大統領制の諸国でも、基本的にはプロフェッショナルな職業としての官僚は、政権交代があったとしても引き続き異なる党派の政権に仕えることとなる。しかし、政権交代にも耐えうる制度はどの国においても多かれ少なかれ存在する。
民主党が制度を取り入れようとした英国の例を見よう。英国の場合には、政治家と官僚の役割分担が極めて明確である。「政治」の領分として行なうことと「実務」の領分として行なうことの仕分けが、はっきりしているということである。
基本的に、議会の討論やメディアなどでの政策説明は政治家の仕事であり、官僚は無縁である。政治家は若いときから省庁に入り、秘書官、政務官、閣外大臣、大臣といった形で経験を積む。
一方、官僚は厳正中立を旨とし、個別国会議員と接触を持つことすら一般的ではない。官僚は非政治的な役割に徹し、政治家と一体となるようなことはない。政治家は、官僚の政策立案や実行に関する役割に対して理解が明確であり、官僚の役割を阻害することは考えられない。
官僚はまた、色々な省庁間の縄張り意識も極めて少なく、むしろ「シビィル・サービス」の一体感は強い。したがって、政権が変わってもそれが故に官僚人事が変わることはない。
たぶん、唯一の例外は「ダウニング10」と言われる首相官邸でのアドバイザーである。彼らは官僚出身ではあるが、特定の総理大臣に仕えるという意識は強く、政治任用に近い。
フランスでも官は中立的な専門家集団 新興国に多く見られる官の政治家への転身
大統領制ではあるが、フランスでも英国と似通った形で官は中立なプロフェッショナルに徹し、政と官の役割分担が行なわれている。大統領のアドバイザーについては、同様に官の中からの政治任用ということであろうか。
逆に、官僚であっても党派色を持つ場合があるのはドイツである。官僚は自己の信条から保守党、あるいは社民党といった党派支持を隠すことはなく、したがって政権が交代するときには、自分の支持する政党の政権下で要職に起用されていく。
韓国の場合には、官僚が党派色を鮮明にすることはないが、大統領が変われば官僚人事も当然のように大きく変わる。
スーパー官僚を養成し、どの政権にも仕えられるようにしておくという考えで制度が運用されているのは、カナダやシンガポールに例を見る。カナダの場合には、ごく少数のエリート官僚は各省を渡り歩き、いくつもの省の次官を経験する。
シンガポールの場合にも、防衛次官や内務次官が外務次官になるようなケースは多い。各省の幹部を歴任する大きな使命を持ったスーパー官僚を養成しておけば、官僚が独自の省益にしがみついて政治をないがしろにするようなことにはならないという考え方なのであろう。
戦前戦後の日本のように、官僚が頭角を現し政治家へと転身し、閣僚や首相になっていく例は新興国に多く見られる。中国では、たとえば外交分野をとれば、官僚が外交部長、外交担当国務委員といった政治的要職に登用されていく。韓国やロシア、あるいは東南アジア諸国においても、外務大臣はほとんど官僚出身である。
政と官の関係は国によって様々でも行政分野で官僚を活用するポリシーは同じ
色々な国において、形は違うが考え方において共通項は明確である。すなわち、外交などの深い知見を必要とする行政分野において、官僚の活用を図り、政治と両立させる、ということである。
日本においても、このことは統治の基本として考えられなければならない。政権交代に際して真っ先に検討し、新しい体制を組むべき事項であったが、過去二代の民主党政権は掛け声だけの「脱官僚」に終始し、官僚との関係について自民党時代に戻ったような感のある野田政権も、必ずしも考え方は明確ではない。
米国のような政治任用を基本とする体制が政権交代を前提とすれば、最も好ましいとしても、この体制を日本が導入するには長い時間がかかる。国家公務員法や行政組織法といった法律の整備のみならず、政治任用予備軍の受け皿となるシンクタンクを充実させるためには、大きな資金が必要となる。
将来的方向性としてシンクタンクを充実させ、回転ドアと言われる政治任用を増やしていくことは必要であるが、直ちに実現できることではない。新興国型の政と官の一体化も、日本の方向性ではない。
若い経験のない官僚が政治家に転じることは多々あるが、局長クラスまで経験を積み政治家に転身するというのは、現在の日本の選挙制度ではなかなか困難となっている。非政治家を閣僚に任命するのも、政治家には大きな抵抗があるのだろう。
英仏型を基本として政治的任用を増やしていくというのが、日本においては最も自然な考え方ではないかと思う。
かけ声だけの「脱官僚」を超え、必要な体制をつくることこそが政権交代の意義
まず、官僚は厳正中立であり、プロフェッショナルとしてのサービスに徹する存在であることを、政も官も改めて認識するということである。その上で、政治家だけで物事を決めるといった偏狭なアプローチではなく、政と官が一体となって政策を決めるという基本に戻すことである。
他方、新しく早急に導入するべきは官邸の戦略機能である。これは米、英、仏といった先進国のみならず、新興国を含めほとんどの国で存在しているが、この戦略機能は政治的な機能ではなく、プロフェッショナルな機能でなければならない。
現在のように、政治家が首相補佐官を勤め、政治的アドバイスをすることも必要であろうが、それ以前に十分な知見を持った人々がプロフェッショナルなアドバイスをするという機能がなければならない。
対外関係に例をとれば、政治、安保、経済、エネルギー、環境など、極めて多岐に亘る分野横断的戦略が必要とされていることもあり、もはや外務省だけが政策提言をすることでは済まされなくなっている。
これこそ官僚の派遣人事ではなく、官僚の中から、あるいは民間人で十分な知見を持った人々を政治任用し、対外関係アドバイザリー・ボードともいうべき機構をつくり、個人の思い付きではない政策の構築とこれを実現する戦略構築の機能を充実させるべきなのだろう。
単にかけ声的な「脱官僚」を超え、これからの日本に必要な体制を作ることこそ政権交代の意味なのだろう。
http://diamond.jp/articles/-/14897
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