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30年以上前に発生した「ロッキード事件」は既に世間では風化した事件となっている。しかし私が幼い息子達と夏休みの家族旅行を楽しんでいた1976年7月27日、田中角栄が受託収賄罪で逮捕されたことを報じる滞在先ホテルのTVでの臨時ニュースは私の脳裏に、いまだ鮮明に記憶されている。
当時、私は30歳になったばかりの若造で、政治のことはよく分からなかったので「田中角栄というのは金権政治家なんだ」という印象しか持たなかった。その後、田原総一郎などが「ロッキード事件は米国(石油メジャーら)の陰謀」という説を唱えだしてから事件に対し疑問を持つようになった。
今回の小沢事件についても米国の陰謀説は早くから流されていた。小沢氏は田中角栄の裁判を全て傍聴したといわれているが、恐らく裁判を通じ米国の謀略や、罪を作り上げていく法務当局の手口を学び、将来自分に降りかかるであろう闇の力に対抗する方法を研究していたのかもしれない。
しかし今回の小沢秘書裁判を見るにつけ、如何に身を潔白にしていても国家権力が牙をむけば、無罪でも簡単に有罪にできることを我々は知らされた。まさに「小沢一郎事件」と「ロッキード事件」は革新的政治家を貶めた国策捜査・裁判という共通点を持っているのではないだろうか。
ところで自らも国家権力と闘った経験を持つ作家の世川行介氏は、12月に出版する著書「角栄と一郎」で両事件の類似性について次のように述べているので一部紹介する。
<以下、抜粋>
一一年一〇月六日。自身の初公判に出廷して、検察にたいする強烈な批判をのべ、記者会見後自宅に帰ってきた小沢一郎が、夜半、突然に病院に救急搬送されたとき(それは後日、尿管結石という軽度の病気であると発表されたが)、三〇数年前のロッキード事件後の田中角栄の悲劇を記憶しているひとびとのほとんどが、「……!」、田中角栄が脳梗塞でたおれて逓信病院に運ばれた夜のことを思い出したみたいだ。
もちろん、僕なども、その一人だった。ある年齢層の国民大衆にそういう強烈な連想をさせるくらいに、小沢一郎のこの数年間の追いつめられ方とロッキード事件後の田中角栄の姿は、とてもよく似ている。どこが似ているのか?
突然に降って湧いたような犯罪疑惑。
検察権力によるいく度もの強制捜査。
検察と歩調を合わせたマスコミからの集中砲火。
刑事事件としての強引な起訴。
刑事被告人の身であることを理由にした政治活動の封じこめ。
政敵たちによる政治現場からの排除攻勢…。
これまでの経緯を見ると、田中角栄のときと、まるでそっくりなのだ。これで病にたおれて不随の身にでもなれば、小沢一郎は田中角栄そのものだ。この、ある年齢層のひとびとが小沢一郎の救急搬送のニュースに接して「おもわず連想してしまうような」というのは、実は、とっても重要なことだ。
何故、ある年齢層の国民が思わず連想してしまうかというと、それは、その層の人々の心の奥底に、「たぶん、田中角栄は誰かにはめられたぞ」、という思いがあり、そして、「ひょっとしたら、今度の小沢一郎事件も、自分たちの見えない世界の人間によってねつ造されたものではないのかしらん」という疑念があるからなのだ。
そうした権力機構の深部にまでとどく<想像力>がこの国の民に醸成されたのは、ロッキード事件から三五年という歳月のおかげだ。三五年の歳月は、ぼくたちに、それまで「間違いのない正義である」と信じていたマスコミが、じつは、この国の既得権力システムの中に組みこまれてしまっていて、自分たちが属する既得権力システム内の悪については遠慮がちな報道になるが、自分たちが属する既得権力システムを侵害する存在ならば、たとえ善でも容赦なく撃つものだ、といったことを教えてくれた。
特に、最近のマスコミと検察権力との蜜月ぶりについては、三五年前のぼくたち一般国民にはほとんどわからなかったが、情報を欲しがるマスコミと、情報提供者の検察とのあいだで馴れ合いに似た関係がつくりあげられていることを、今の僕たちは知っている。
ぼくが新聞記者氏から直接聞いた話では、一つの事件について検察の意に沿わぬ書き方をすると、次のほかの事件で情報をもらえなくなるし、取材を拒絶される場合がでてくるのだそうだ。それは避けたい記者たちは、検察情報の報道には気をつかうのだ、という話だった。そうした実態は、いま流行の横山秀夫の警察もの小説にかなりリアルに描かれているので、読めば参考になるとおもう。
そのような実態が国民の眼にさらされ出したのは、「情報システムの可視化」とでも言えばいいのだろうか、それが進んできたからで、とってもいいことだと思う。そうしたことがあって、国民のある層は、もう、安手のごまかしには騙されなくなっている。今回、小沢一郎事件を疑問の視線で見ているのは、そういう層の人々だ。
かれらは、小沢一郎も100%信じられないが、検察やマスコミも100%信じられない。だけど、少しでも真実に近いものを知りたい、と願っている。かりに、田中角栄を追いつめたのが思惑を持った政治家抹殺手法であったとしたなら、そのような手法が、この国で二度にわたって実行されることを許してはいけない、と思って、いま、小沢一郎事件の成りゆきを見つめているのだ、と思う。
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