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日曜日朝刊(6日)の読書欄にある「今を読み解く」は、「TPP問題と日本の農業」というタイトルの記事である。
TPP参加推進派は、TPP問題を農業問題に矮小化し、“甘える農家”、“閉鎖的な農家”、“わがままな農家”、“経営意欲がない農家”などのイメージ形成をはかり、都市生活者との農家(農村)との対立を煽っている。
記事は、農業問題を考えるための参考書籍を紹介することを主目的としているが、TPP参加推進に必死の形相で取り組んでいる日経新聞らしく、農家も農政もダメで、開かれた市場のなかで経営意欲に富んだ農家の輩出が日本農業を“救う”というトーンで貫かれている。
それはよしとし、紹介されている農業問題関係の書籍もほとんど未読なので今後の参考にさせてもらうが、内容のいくつかに見過ごせないものがある。
○ JAのTPP反対運動に対する歪な評価
【引用】
「毎日の食を担っている農業が滅びていいなどと思っている人はいない。けれどもその代弁者として団体が拳を振り上げ叫ぶ姿には違和感を覚えることがある。政治家の署名を集めて公表し、考え直せと迫るような手法に至っては、弱者の側を装う脅しのようにもみえてくる」
【コメント】
「政治家の署名を集めて公表し、考え直せと迫るような手法」というのは、JAがTPP参加に慎重もしくは反対の意思を表した365名の国会議員のリストを公表したことを指していると思われるが、そのどこが、“弱者の側を装う脅し”だというのか。
政治献金をちらつかせて“強者としての脅し”で政策を動かしてきた日本経団連をはじめとする経済団体よりも、カネが絡まないだけずっとまともだ。
さらに言えば、限られた資源である電波を使って放送できる権利を得ているTV局は、日本最大の既得権益者とも言えるが、TPP問題で、情報を積極的に集め開示するのではなく、政府のプロパガンダ機関に堕していることはより深刻な問題だ。
新聞社も固定資産税の免除などの特権を得ている。自ら、国民の知る権利を代行するとか、公器であるとか言っていながら、TV局と同じように、TPPに関するきちんとした報道をネグり、政府宣伝紙になったような醜態をさらしている。
政府・経営者団体・大手メディア・学者など“情報&経済的強者”がスクラムを組んでTPP参加を推進していることこそが犯罪的であり、TPP参加に反対するJAが請願行為の方向性を示した運動はケチを付けられるいわれはない。
○ 政権公約の実現を揶揄
【引用】
「しがらみなき改革で新芽を育てると期待された民主党だが、日本型の戸別所得補償のようなばらまきの種ばかり増やしている。」
【コメント】
「戸別所得補償」は、09年の総選挙で民主党が政権公約として掲げ、それのみが勝因ではないが、圧倒的な勝利を果たしことで実施されている政策である。
政権公約にさえないTPP参加を、合意形成努力さえ怠り強行突破で表明しようとしている野田首相の政治姿勢のほうがずっと大きな問題である。
小規模兼業農家にまで行われる所得補償でそれらが温存されることを嫌い、“ばらまき”だと批判しているのだろうが、地方の経済的疲弊やコメの価格推移によるコメ農家の所得低下を考えれば、しばらくは継続ないし補償対象の拡大で地方がどう変わるのか見ていくことが望ましいと考える。
93年のウルグアイ・ラウンド合意を契機とした「1年1兆円・6年で6兆円」について、「お金を投じたが効果はあったのか。その検証もあいまいだ」と書いているが、農業土木に傾いた対策費については、当時の政府(農水省)・与党の農政の在り方を問う一環として検証すべきだと思う。
○ 減反政策に対する一方的批判
【引用】
「進化から取り残された農業政策のはざまから、コメの生産調整(減反)のような日本の固有種も育つ。作りたくても作れない。売りたくても売れない。ニッポンの地にはそんな非進化形が残る。結果、農家は変わらず、農業は変わらず、変わらぬように見えるふるさとからいつしか活気が消えていく。」
【コメント】
戦中・敗戦直後は、青年・壮年層が軍隊に動員されたことで農作業の効率が急減し、日本全体が飢餓状況に見舞われた。
地域の人たちにささえられているとしても、60歳代、70歳代の夫婦が数ヘクタールの田をつくり高品質のコメを生産している日本の農業は、大きく“進化”していると言える。(日本人の健やかな年齢の重ね方も重要だが)
そうは言いつつも、それが過剰投資と思えるほどの農業機械の導入によって支えられていることで、農家の“収益”が大きく圧迫されている現状は問題だと思っている。
減反政策を批判し「作りたくても作れない。売りたくても売れない」と書いているが、コメの総需要量をにらみながらの減反政策であり、ごく一部の大規模農家は怒り心頭だろうが、日本の農家全体としては理(利)に叶う政策だと考えている。
減反即補助金ではなく、他の作物に転換する動因になるよう使った方がいいとは思っている。
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TPP問題と日本の農業(経済金融部次長 山崎 浩志)
現実を見る冷静な日
ニッポンのものづくりの内なる進化ぶりは“ガラパゴス”と評された。ライバルとのせめぎ合いで発展を重ねた「最先端」が世界の標準値とズレて、ニーズがついてこない。そんな突出ぶりとは正反対に、「昔ながら」に立ち位置を定め、変化に抵抗し続ける領域もある。適者生存ではない世界。代表は農業を巡る考え方やシステムだ。こちらも結構ズレている。
政府が環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加へと動いている。最近の農業論争はここが着火点だ。市場を開くか、閉ざすか。保護か、競争か。鋭い対立軸が交差する土俵で議論は膠着する。生かすか、殺すかといったいびつに単純化された論点は判断の材料も覆い隠す。
政治の世界で農業という票田は選挙の行方を左右する肥沃な大地。肥料を過剰に投じてでも手放せない。しがらみなき改革で新芽を育てると期待された民主党だが、日本型の戸別所得補償のようなばらまきの種ばかり増やしている。
●システムに過ち
進化から取り残された農業政策のはざまから、コメの生産調整(減反)のような日本の固有種も育つ。作りたくても作れない。売りたくても売れない。ニッポンの地にはそんな非進化形が残る。結果、農家は変わらず、農業は変わらず、変わらぬように見えるふるさとからいつしか活気が消えていく。
日本がコメ市場の部分開放を決めたのはウルグアイ・ラウンド合意の1993年。進化の方向を定義する分岐点だった。大変だ大変だと言って「1年1兆円・6年で6兆円」ものお金を投じたが効果はあったのか。その検証もあいまいだ。
この分野は温度が高くなりすぎる。川島博之著『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』(日本経済新聞出版社・2011年)。タイトルからは著者の意図がわかりにくいが、食が危ない、食料が足りないと危機感をあおってきた農業システムに過ちの根っこがあるという。一歩離れて農業の構造問題を見つめてみるのも悪くない。
毎日の食を担っている農業が滅びていいなどと思っている人はいない。けれどもその代弁者として団体が拳を振り上げ叫ぶ姿には違和感を覚えることがある。政治家の署名を集めて公表し、考え直せと迫るような手法に至っては、弱者の側を装う脅しのようにもみえてくる。
これから政治の議論は農業対策と予算獲得へと向かう。社会で共有すべき論点が激論の器の中で燃え尽きてしまっては元も子もない。議論の焦点は日本の農業の現実にきちんと当たっていただろうか。
●進化のない農政
生源寺真一著『日本農業の真実』(ちくま新書・11年)は現実から出発する以外に奇手や妙手はないと説く。進化なき農政への著者の視線は厳しい。食料自給率は高ければ良いのか、コメの減反をまだ続けるのか、今の戸別所得補償は正しいやり方なのか−−。難しい問題を丁寧に整理している。
やや堅苦しい仕立てだが、石黒馨編著『FTA/EPA推進に何が必要か』(勤草書房・11年)は農業と経済連携協定について考える視点を増やしてくれる。神戸大の研究室のリポートが原型で、見えにくい現実にフィールドワークで光を当てる。冷静に観察する姿勢にならって自らも頭を冷やす役に立つ。
農業には「守る」という言葉で変化を封じられてきた面がある。ただ、農家の中にも自ら進化の道を選ぶ人たちはいる。
嶋崎秀樹著『儲かる農業』(竹書房・09年)は、独立志向を持つ若者たちとともに野菜の生産技術や農業経営を磨き、ビジネスとして成り立たせる楽しさや厳しさを描いている。農業ビジネスヘの挑戦本でもうひとつ。沢浦彰治著『農業で利益を出し続ける7つのルール』(ダイヤモンド社・10年)。農業を特殊な世界と位置付けないところからスタートすると、可能性に満ちた世界にたどりつく。
こうした本が目に付くようになったのは、新たな分化や変化の始まりだろうか。安住の土地から首をもたげ、背伸びをしてこそ、見えてくる地平がある。
[日経新聞11月6日朝刊P.19]
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