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我々は小沢一郎についてどれくらい知っているのだろう。18年前に著された彼の著書「日本改造計画」は、東西冷戦構造崩壊後の日本のあるべき針路について記されており、この本を読めば小沢一郎の理念や政策、考え方を理解することができる。さらにこの著書の内容が、現在の政界でも十分通用するということは、彼の卓越した先見性や論理性、独創性の高さを表しているのだろう。
しかし逆に言えば、政治家を含め、多くの日本国民が小沢のことを理解しておらず、また彼を十分働かせていないということを示しているのかもしれない。ところで作家の世川行介氏が12月に小沢支援本「角栄と一郎」という著作を出版する予定だが、その中で小沢一郎の『日本改造計画』について、著名な思想家の吉本隆明の評価も含め下記の通り紹介している。
<以下、抜粋>
『日本改造計画』の評価
小沢一郎は、一九九三年に、『日本改造計画』という、東西冷戦構造崩壊後の、つまり、「西側」の自由主義国家群に対して「東側」とよばれた社会主義国家群が崩壊して、世界が自由主義一色に染められはじめてからの日本の進路に言及した政治指針書をだした。『日本改造計画』は、政治家の書いた本としては破格の六〇万部も売れてベストセラーになり、小沢一郎は、これからの政治を託すにあたいする理論派政治家として、国民からの注目を浴びる。
この本の内容を、平成二三年のいま、どれくらいの人が記憶しているのか、僕にはわからないが、思想家の吉本隆明は、「僕は彼の『日本改造計画』というのをきっちり読んだつもりですが、ファシズムを思わせる部分はどこにもない。それどころか彼の意見は常識に富み、妥当な見解があの中にはあると思います」とした上で、『日本改造計画』のポイントは、
一 大企業の弁護士化した政治家を、「国民のための政治家」に戻すべきだ。
二 地方分権は、これを早急に推進すべきだ。
三 憲法九条を変えられない現在の国情では、国連を中心とした国連軍の中で
武力行使をするしかない。
の三点であるとし、「全体的な印象からいえば、よくもこれだけ目鼻ぱっちりの計画(プラン)を書き上げたものだという感想に帰着する。ようするに実行できるかどうかわからないとして、実現できそうな可能性の追及になっている。」と高く評価し、さらに、このように書いた。
「政治家の存在理由を補強するためには、民間企業体や国民大衆とはまったく別の次元に政治家固有の領域とシステムをつくりあげ、政治家だけが活動主体でありうる体制を構想しなければならなかった。そのためにかれが最初にかんがえているのは首相周辺に補佐官制度をつくり、首相の権限と政策実行の体制を強化させるということだ。
さらにもうひとつは、現在の日本では権力の中枢は永続的な意味でも官僚制度にあり、政治家にはない。たまたま政権を掌握した政党があっても、民間の代弁人として官僚制度に要請するという形になり、政党から出た政府がこの官僚制の頂点にたっても内閣の閣僚は各省の官僚が立案したものの代弁をするにすぎない。
ここでもまた官僚に対する政治家の主導権のなさが改革の対象とされなければならない。小沢一郎の主張はここに帰するとおもう。」
(「現在はどこにあるか」)
小沢一郎に強い関心をもっている読者は、吉本隆明のこの指摘に注目すべきである。吉本隆明は、ここで、小沢一郎が高級官僚たちから忌み嫌われ、検察、裁判所といった法務官僚たちから強引に「刑事被告人」にされ、政界から追放されそうになるまでの事態となった真の理由を書いている。
つまり、現在の小沢一郎の苦境は、小沢一郎が金権体質の政治家であるとか、傲慢であるとか、といったことが本当の理由ではなく、政治を官僚制度から政治家に取りもどそうとする小沢一郎の改革意識に端を発しているのだ、と吉本隆明は指摘しているのだ。小沢一郎を理解するためには、この指摘は肝に銘じておかなくてはいけない。
そうでなければ、僕たちは、平成二〇年間の政治世界において、何故、いつも、小沢一郎が主軸になっていたのかがわからなくなる。吉本隆明の『日本改造計画』評価は、まだ続く。「地方自治体によって処理できることはすべて地方の権限にゆだね、政府はただ国家的な規模で国家「内」と、国家「間」で処理すべきことに専念すべきだという考えがうち出されている。
ほんとうをいえば小沢一郎の考え方のうち疑問の余地もなくいい部分はここだけだといっていい。」「いちばん物議をかもすところは、自衛隊を受動的な「専守防衛戦略」から能動的な「平和創出戦略」へ大転換させるべきだと主張されている箇所だとおもえる。」
(同前)
「自衛隊の海外派遣は、自衛隊の存在を自明の前提としているだけに、はっきりと現行の憲法違反であり、これを違反でないという解釈は、小沢一郎の『日本改造計画』がいうとおり、第九条に3項として海外派遣をみとめるという条項をもうけるために、国民の信を問うて賛成をえないかぎり成り立たない。」
(「超資本主義」)
常識的にかんがえるなら、政治家が堂々と政策を公表して世に問うているのだから、小沢一郎を嫌いな政治家や知識人たちがかれを攻撃したいのなら、ほんとうは、この三点について異論なり反論なりを提出するのが筋だ。しかし、吉本隆明や江藤淳といったごく少数をのぞいて、この書を正面から論じる政治家や知識人はいなかった。それは、当時の日本の政治家や文化人に、東西冷戦構造崩壊の意味がよくわかっていなかったことと、それから先の明確な政治ビジョンの持ち合わせがなかったことからだ。
小沢一郎は、この三つの主張を実現するためには政治改革が必要である、と判断し、「小選挙区導入」による「二大政党制」の実現のために、この一八年間をついやした。そして、やっと、〇九年夏、念願の政権交代が実現した。よく、「小沢一郎は無口だ」と言われるが、小沢一郎はきっと、「ちゃんと、『日本改造計画』を読んでくれよ。私は、あそこに、自分の理念も思いも、ちゃんと書いた。
一八年経ったからといって、それが薄れるような軽いものを書いた覚えはないし、ずっとそれで、ここまで頑張ってきた。あそこが私の原点であり、現在だ。あらためてしゃべることなんかない」と言いたいのではないだろうか?小沢一郎という政治家は、よきにつけ悪しきにつけ、平成二〇年間の<象徴的存在>であった。スーパースターのキムタクやイチローですら足元に及ばない、かれ以外の象徴的存在を探すのはちょっとむずかしいくらいの<平成の象徴的存在>だった。
たとえば、小泉純一郎(元首相)は、一時期、たしかに、絶大な国民的人気を博し、平成の象徴的存在となったが、しかし、あくまでも、五年間というほんの一時期だけの象徴的存在にすぎなかった。しかし、小沢一郎は、日向を歩いているときも、日陰に干されているときも、どんな立場のときでも<平成の象徴的存在>として存在感を誇示してきた。それは何故だったのだろうか?僕は、『日本改造計画』という書の後押しの功績が大きかった、と思っている。
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