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西岡氏が残した“野田政権への遺言”
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20111105/plt1111051452002-n1.htm
2011.11.05 夕刊フジ
5日、死去した西岡氏は10月27日付の産経新聞で、1面コラム「決断」を執筆。日本が抱える政治的問題を明確にまとめ、現政権に対して“遺言”のように覚悟を促していた。
「福島第1原発で起こった出来事は、現政権が考えているような生易しいものではない」
厳しい言葉に続き、複雑な税制に関する話では、焦点を絞って問題点をはっきりあぶり出した。
「今、税の問題で論ずべきは、年金給付の財源をいかに確保するか。そして基礎的財政収支をとったとしても、なおそこに残る付加的年金をどう確保するか。さらに年金基金に余裕を持たせるための手当てをどこまでできるのか。これがすべてであって、このことのみに尽きる」
首相の果たすべき責任に対する考えは厳格で、国の重要政策を議論する国家戦略会議の設置を閣議決定したことを「首相の孤独な決断を民間の有識者に責任分担させるべきではない」と痛烈批判し、「閣議決定の取り消しを求める」と迫った。
「首相のトップリーダーとしての明快な姿勢がある限り、日本の未来はいかなる局面においても閉ざされることはない」
野田佳彦首相はこの“遺言”をどのように受け止めるか。
◇
【決断】参院議長・西岡武夫 今こそ必要な首相の覚悟
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111027/plc11102702530003-n1.htm
2011.10.27 02:51 産経新聞
いま、私の目の前には子供たちの顔しか見えない。子供たちのために何ができるのだろう。ただそれだけである。
私は9月24日付の新聞のような重要なニュースが凝縮された紙面をかつて読んだことがない。ひとつにはアインシュタインの相対性理論を覆す実験結果が示された。光より速い「ニュートリノ」の実験結果公表。これが事実であれば物理学の世界が一変する。一方、欧州経済危機。ギリシャ危機が決定的になりヨーロッパの経済全体に大変な混乱をもたらしている。中東パレスチナの国連加盟申請提出、これも極めて大きな政治的な出来事である。また、大統領選挙に出馬表明したロシアのプーチン首相率いる「統一ロシア」党大会開幕。日本においては野田佳彦首相の国連演説。文化では、かつて小澤征爾(せいじ)氏を輩出した若手指揮者の登竜門であるコンクールでの垣内悠希(ゆうき)氏の優勝。
これらの出来事が一度に一日の新聞紙面に掲載されることは極めて稀有(けう)であり、すなわち世界全体が大きな変化の動きを見せ始めていることを意味する。
福島第1原発で起こった出来事は、現政権が考えているような生易しいものでない。政府は、次の世代に負担を残さないなどと称して短期国債の発行を決めたが、大きな経済の流れの中で、そんなことはありようもないことである。
今、税の問題で論ずべきは、年金給付の財源をいかに確保するか。そして基礎的財政収支をとったとしても、なおそこに残る付加的年金をどう確保するか。さらに年金基金に余裕を持たせるための手当てをどこまでできるのか。これがすべてであって、このことのみに尽きる。
従って、東日本大震災による甚大な被害、福島第1原発事故を沈静化させるための途方もない資金は全く別の問題であって、同じように論ずべき問題ではない。
一方で、われわれは日本のこれからの税制全体の体系を、明確にしなければならない時に来ている。私は、まだ日本は、外国からの借り入れを経ずにやっていくことができると考える。ゆえに、特段の年金関係以外の国債の発行を必要とするとは思っていない。
今後の日本経済のあり方を考えるとき、今回のような大災害とそれに伴う原発の危機に対し、どのように対応するか。かなりの財政支出を伴う大掛かりな対応が当然求められるが、日本としてそれだけの対応をする義務と責任が国際的にもある。私は、建設国債・特例債による大胆な財政出動が必要だと考える。
国難にあたって、私は、首相の指導力というものがいかに求められ、必要であるかということを今更のように痛感している。わが国はこれから多様な選択肢の中から決断していかなければならない。そのために何をすべきかを時の首相は自ら決定する責任がある。首相の孤独な決断を民間の有識者に責任分担させるべきではない。私は先の国家戦略会議の閣議決定の取り消しを求める。責任の分散化は許されないというのが私の考えである。
首相のトップリーダーとしての明快な姿勢がある限り、日本の未来はいかなる局面においても閉ざされることはない。(にしおか たけお)
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西岡参院議長が急死…75歳、肺炎で 小沢一郎の盟友
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20111105/plt1111050756000-n1.htm
2011.11.05 夕刊フジ
西岡武夫参院議長が5日午前2時25分、肺炎のため、都内の病院で死去した。75歳だった。民主党の小沢一郎元代表(69)の盟友として知られ、先月27日から産経新聞1面で「決断」というコラムをスタートさせ、野田佳彦首相(54)に国難に当たる覚悟を求めたばかりだった。
西岡氏は口内にできた帯状疱疹(ほうしん)の影響で、先月21日召集の臨時国会の開会式に欠席。関係者によると、西岡氏は今月中旬以降の復帰に向けて、療養を続けていたが、帯状疱疹で食事が十分に取れず、体力が落ちていたという。
西岡氏は1936年、長崎市生まれ。早稲田大学では、雄弁会の代表幹事を務めた。在学中から、父・竹次郎氏が創刊した長崎民友新聞の経営に携わり、卒業後に長崎日日新聞社と合併させ、長崎新聞社を発足。論説委員などを務めた。
63年の衆院選挙に無所属で出馬し初当選、自民党の追加公認を受ける。76年には、田中角栄元首相のロッキード事件を批判して、河野洋平氏(元衆院議長)らと「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結党し、幹事長に就任。80年に自民党に復党し、88年発足の竹下内閣で文部大臣として初入閣した。
93年に「政治改革」を実現するため自民党を再び離党し、翌94年に小沢氏らとともに新進党結党に参画する。自由党を経て、2003年に民主党合流に参加するなど、後半生は小沢氏と行動をともにしてきた。
歯に衣着せぬ言動で知られ、昨年7月の参院議長就任後、西岡氏は史上初めて議長による記者会見を定例化させた。
今年6月には、記者会見で「所感」をまとめた文書を発表、東日本大震災の復旧や被災者救済より民主党の存立を優先させる菅直人首相(当時)に対し「怒りを抑えることはできない」と糾弾、退陣論を展開した。
菅首相退陣後を受けた8月の民主党代表選では、小沢グループが「挙党態勢構築や政治の安定のためには、参院から代表を出すのが好ましい」として、「西岡氏擁立」で最終調整を進めていた。記者会見でこの件を問われると、西岡氏は「うそ〜? 本当? 私の耳にきませんね。届きませんね。ふ〜ん。それは初耳」と、記者団を煙に巻いていた。
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