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作家の世川行介氏が「小沢一郎を激励する(仮名)」本の脱稿を終え、いよいよ12月初旬に出版するようだ。これに関連して11月19日か20日から「小沢一郎支援運動」を始めると宣言している。この半年、悪態幽霊どもの卑劣な人格攻撃にも負けず、具体的な活動をスタートさせようとしている点は大いに評価されるだろう。
ところで著作の内容の一部紹介として醜悪政治家の野中広務に続き、第2弾として権力欲にとりつかれた野心家の桝添要一を取り上げている。以下にブログから抜粋した文を紹介する。桝添をよく調査し、桝添の「小沢批判」のいい加減さを論理的に喝破している点、高く評価されるべきだろう。
<以下抜粋>
舛添要一の小沢批判
〇九年前半、不人気の麻生太郎首相(当時)が退陣をせまられた時期、多くの自民党政治家から期待されながら、もったいぶった態度をとりすぎて人気が急落し、結局自民党を飛び出したものの、「新党改革」というミニ政党の長にしかなれなかった舛添要一という参院議員がいる。
いまは政界のピエロ的存在になっているが、東大出の元学者で、知的タレントして名を売り参院選にトップ当選して政界入りした。その舛添要一が、「新党改革」を立ち上げた頃に、こんな文章を書いた。
「小沢氏を政界から排除するという、私の最大の目標」「小沢氏に無理難題をつきつけられた小渕氏は脳梗塞で倒れ、社会党は瓦解し鳩山前首相は政界引退を余儀なくされた。こうしてみると、極端に言えば「小沢氏と組んだものは死ぬ」ということになるのでないか。皆、「小沢氏に殺された」と言えるのではないか。私はこれ以上、日本の政治に不幸をもたらす存在を許すべきではないと考える。そもそも政治家として小沢氏は何をしたいのか? 日本をどこに牽引し、どういう国家にしたいのか? それが今ひとつ見えない。政治家として小沢氏がしてきたことで、この国を幸せにしたことがあっただろうか?」「私は、いまこそ”小沢的なるもの”にとどめを刺す時だと考えている。私が総理大臣になれば、最後のとどめを刺すことができる。」
(「反小沢戦争の天王山」 新潮45 一〇年七月号)
最初に言わせてもらうと、この政治家の小沢一郎批判の手法は前述の野中広務の模倣だ。と言うよりも、政界で大いなる野心を持った人間が思わずとってしまう手法だ。どのような手法か、と言うと、その時その時の政界の実力者を「仮想敵」に見立てて、その人物を批判しつづけ、その人物が言うことにはことさらに反対や異議申し立てをし、「仮想敵」である人物の知名度の高さを借りて自分の名を売る、というやり方だ。
戦後昭和中期、多くの政治家から「仮想敵」にされたのは、言うまでもなく、あの悲運の政治家・田中角栄だったが、平成政界において、多くの野心家議員から「仮想敵」とされたのは、常に小沢一郎だった。それは紛れもない事実である。
前述の野中広務からはじまって、「新党さきがけ」の党首だった武村正義を経、小沢自由党を出て自民党にくら替えした小池百合子、そしてこの舛添要一まで、政界でなんとかのし上りたい野心家議員たちは、みんなそれをやってきた。僕の見るところ、それをやらずに実力でトップの座を手にしたのは、小泉純一郎だけだ。
舛添要一のこの小沢一郎批判は、ちょっと見ると、まとな小沢一郎批判のように見えるが、実は、偏見と曲解にみちた文章だ。かれは、この批判文の中で、「小沢氏に無理難題をつきつけられた小渕氏は脳梗塞で倒れ、社会党は瓦解し、鳩山前首相は政界引退を余儀なくされた。」と書いた後に、「極端に言えば「小沢氏と組んだものは死ぬ」ということになるのではないか。皆、「小沢氏に殺された」と言えるのではないか。」と結論づけている。
しかし、「小沢氏に無理難題をつきつけられた小渕氏は脳梗塞で倒れ」などと書いているが、それは事実だったのだろうか? 小沢一郎が小渕恵三首相(当時)につきつけた「無理難題」とは、いったい、どんな内容のものだったのだろう?それらについて、舛添要一は、なに一つ根拠も示さず、「小沢一郎は人殺しだ」という結論づくりのために筆を進める。
次にかれは、「社会党は瓦解し」と、まるでそれが悪いことであるかのように書く。しかし、左翼政党として長きにわたって野党第一党の座を守ってきた社会党が、東西冷戦構造が崩壊して将来の指針を見出せなくなったとたんに、政治理念の点検もせず、無節操にも、長年対立してきた自民党と連立政権を立ち上げ、国民からそっぽを向かれて瓦解した。
それは、当時の社会党の幹部たちの責任であって、小沢一郎が責任を負う必要など、これっぽっちもないはずである。もっと言うなら、そのような無節操な政党が瓦解することは、国民にとっては「いいこと」だったはずだ。舛添要一は、さらに、(小沢一郎のせいで)「鳩山前首相は政界引退を余儀なくされた」と書く。が、政権交代を果たした民主党鳩山由紀夫政権においては、そのはじめに、「政府は鳩山由紀夫首相、党は小沢一郎幹事長」という棲み分け条件が鳩山由紀夫から出され、それを小沢一郎が承諾したはずだ。
鳩山由紀夫が退陣を余儀なくされたのは、政府の掌握事項であった「普天間基地の移転問題」で政府がヘマをやらかしたからであって、政府に口を出すなと釘をさされてそれを守ってきた小沢一郎にはなんの責任もない話で、鳩山由紀夫が引退声明を出したのも彼の勝手というもので、何故、「小沢一郎の責任だ」と言われなければならないのか、僕には理解ができない。
そうした、根拠自体が信じるに値しないネタを寄せ集めて、結論だけは、「極端に言えば「小沢氏と組んだものは死ぬ」ということになるのでないか。皆、「小沢氏に殺された」と言えるのではないか。」などと、「死ぬ」とか「殺す」とかいった刺激的な言葉をもってきたあげくに、「私はこれ以上、日本の政治に不幸をもたらす存在を許すべきではないと考える。」とやるこの攻撃手法。僕は、ごく素直にこの文章を読んで、「こうした攻撃手法こそが批判されるべきではないのか?」と思った。
僕が思わず笑ったのは、「そもそも政治家として小沢氏は何をしたいのか? 日本をどこに牽引し、どういう国家にしたいのか? それが今ひとつ見えない。」という件(くだり)だった。小沢一郎は、すでに書いたように、九三年に政治指針書『日本改造計画』を世に問い、その書は政治書としては破格の六〇万部も売れ、その評価によって、おおくの国民の支持を得てここまで来た政治家だ。
舛添要一という人物は、東大を出て、政治学の学者としてマスコミで人気を得て政治家になった人物だそうだが、そんな優秀博識の人物が、自分が敵として一文をしたためる相手の著作さえ読んでいないみたいに「(小沢一郎は)日本をどこに牽引し、どういう国家にしたいのか?それが今ひとつ見えない」などと書く。
僕たちでさえ、読めて納得できた『日本改造計画』を、「自分は今ひとつ読めなかった」と書いた時点で、舛添要一は、自分が読解力の不足した人間であるか、あるいは、この文章は或る思惑をもった作為的な文章であるかのどちらかを、読者に知らしめたのだ。どちらであるかは、言わずもがなのことだろう。
しかし、この人物はなかなかちゃっかりしていて、この文章の後半部では、「私は、政策的には、政治主導を主張する小沢氏の考えを高く評価しているし、彼の『日本改造計画』と私の「日本新生計画」は発想としては重なるところが大いにある。」と書いた後、「実際にやっていることは書かれていることとあまりにも違いすぎる。」と、話をそらして小沢批判を展開していく。
なんだ。ちゃんと読んで、わかっているじゃないか。そうからかってやらなければおかしいところだ。こんな批判文とはいえないような雑な文章でも、新潮社という大手出版主の雑誌に、『「小沢一郎」にとどめを刺す』なんて大見出しで掲載されると、なんか立派な文章みたいに見えるのだから不思議なものだ。
僕たちは、野中広務や文藝春秋社に感じたと同様の「良識の欠如」を、舛添要一や新潮社にも感じるわけだが、こうした現象が僕たちに教えてくれるのは、大手出版社においては、阿吽(あうん)の呼吸で、小沢一郎攻撃の姿勢が共有されているらしいということだ。それをしっかり認識した上で、雑誌類の小沢一郎批判を読まなければ、小沢一郎理解を間違えてしまうことになる。
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