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2011年11月 1日 (火)
富国有徳小渕恵三氏対巧言令色野田佳彦氏
自民党の小渕優子議員が衆議院本会議で代表質問に立ち、野田佳彦氏と小渕恵三氏との間には、天と地の違いがあると述べた。
小渕恵三元首相は小渕優子議員の実父にあたるから、身内のことをへりくだる風習のある日本では、小渕議員の発言が顰蹙を買う可能性はあるだろう。
しかし、その点を離れて考えれば、小渕議員の指摘は正鵠を射ていると思われる。
小渕元首相は小渕政権が目指す方向について、「富国有徳」との言葉を掲げた。
いまの日本に欠けている最大のものは、徳のあるリーダーであると思う。
本当に徳のある人物が、政治の最前線から排除されていること。これが、現代日本の最大の不幸である。
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政治家に求められる第一の資質は、無私の精神である。無私であり、高い徳を有していること。これが指導者に求められる最大の資質である。
知識、見識、学識も必要だが、知識と学識については、別の人間が補完することができる。リーダーが何から何まで知っている必要はない。
あらゆる情報を入手できる体制を整えることができ、そのなかで、正しい判断を下すことのできる見識が求められている。
問題は、何を持って正しい判断とするのか、ということである。
企業の経営者であるなら、企業の発展を誘導できるかどうかが問われるだろう。もちろん、顧客、社会、従業員といった企業の利害関係者を尊重したうえでの話ではあるが、企業経営者は企業の発展を目指すことが求められるだろう。
これに対して、為政者はどうであるか。
何よりも大切なことは、民の幸福を願い、そのために力を尽くすことである。
為政者として名高い上杉鷹山が17歳で家督を引き継ぐ際に詠んだ歌がある。
受けつぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母
また、この上杉鷹山が家督を譲るに当り、藩主の心得として伝授したものとして、「伝国の辞」と呼ばれるものがよく知られている。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候
「上杉鷹山公の名言」サイトからその現代語訳を転載させていただくと、
一、国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。
一、人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。
一、国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。
ということになる。
現代の国民主権の体制とは異なる政治体制下での話であるから、そのまま現代に当てはめるわけにはいかないが、為政者として、何よりも重要なことは、民衆、国民、民を思い、彼らの幸福のために尽くすということに尽きる。
この点で、小渕元首相の姿勢には、徳が感じられた。
これに対して、野田佳彦氏の特徴は、
「巧言令色鮮し仁」
である。いかに弁舌巧みに綺麗ごとを並べても、その足跡を丹念に追えば、その人物の本性が表れてくる。
野田佳彦氏は「正心誠意」の言葉を用いたが、その言葉にある、肝心要の「誠」を欠いている。
駅前で毎日辻説法をしてきたことなどを、「誠実さ」の表れと評価する向きもある。しかし、これは本質を見誤った見解である。
駅前で毎日辻説法をする、その動機が問われるのだ。
自分の立身出世のために毎日辻説法を続けることを「誠」とは言わない。それを「誠」と呼ぶなら、それは、自己の利害に対する「誠」である。
この世を良くするため、本当に民のためになる政治を実現するために、毎日辻説法することを、本当の「誠」というのだ。
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