http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/412.html
Tweet |
小沢氏担当記者の見た証人尋問 秘書軍団 政治力の源泉…朝日新聞10月29日4面より
http://blog.goo.ne.jp/sunsetrubdown21_2010/e/dc07bbb0e382a6e206ee1e7d59dfb22b
2011-10-29 10:45:35 文明のターンテーブル
民主党の小沢一郎元代表の28日の公判で、元秘書の石川知裕衆院議員が証言台に立った。石川氏は緊迫の法廷で、小沢氏の秘書になった理由を「変革期の現状を打開してくれる政治家だと思った」と語った。
小沢氏は20人弱の秘書軍団を抱える。男性秘書の多くはまず書生として小沢氏の私邸に住み込み、午前6時に起きて掃除や愛鳥へのエサやりをこなす。月給10万円程度からスタートし、毎年1万円ずつ昇給。やがて政治家になるケースも多い。
石川氏もその一人で、朝日新聞の取材に「中小企業に近く、個性の強い社長のもとに分業がしっかりしている」と振り返った。2006年に民主党代表となった小沢氏は政権交代に向け、秘書を全国に派遣。
小沢氏が擁立したり、目をかけたりした候補者に、お辞儀や手の振り方から指導し、選挙情勢を分析して小沢氏に報告する。
08年末。秘書たちを集めた小沢氏は、09年の元日未明に初詣客が集まる神社で候補者と「辻立ち」を命じた。その朝、秘書全員に電話し、「相手(候補)はどうしていた」と聞いた。秘書から「いませんでした」との報告を受けると、「そうだろ」と満足げに電話を切った。
秘書を使った選挙運動の徹底ぶりも奏功し、09年衆院選で手ほどきした福田衣里子氏らが当選。「小沢カールズ」という言葉も生まれた。当選直後は多くが小沢グループに入り、小沢氏の政治力の源泉となった。
小沢氏の秘書出身議員は現在、衆参8人。石川氏は05年、小沢氏の意に反して立候補した。「もともと私は口数が多く、好かれていなかった。出馬でかなり嫌われた」。選挙区を歩いた党職員が石川氏のポスターの多さに驚いて報告すると、小沢氏は「うちにいたんだから当然だ」と顔色一つ変えなかったという。
小沢氏は09年1月、石川氏が地元で開いたシンポジウムに出席。石川氏のあいさつを聞き、「演説だけはうまくなった」とほめた。石川氏は「10年秘書をやって、ほめられたことはありません。ほめられて良かった」と笑った。
石川氏は当選し、小沢氏は政権交代を果たした。だが、それもつかの間、2人はともに刑事被告人となった。今年8月の首相指名選挙でただ一人、「小沢一郎」と書いた石川氏。法廷で師匠と目を合わせることはなかったが、極度の緊張からか、裁判長に水を要求した。 (星野典久)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK121掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。