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昭和40年頃、司馬遼太郎氏が「土地と日本人」という対談集を出されました。
その中で氏は、私の声は子供の叫びだと言い、土地の値上がりはおかしい、いけないと言い続けました。
このままでは日本は高転びに転び、転げ落ちると言われました。単に直観に過ぎない言葉でしたが、その通りだと感じました。
しかし社会は土地の値上がりの魔力に勝てず、土地の値上がりを放置したので、20数年後にバブルの崩壊となり、それから20年、まだ日本はその後遺症から立ち直れません。
土地の値上がりを何故、放置したのでしょう。それは土地を持っている者、住宅を購入した者の資産が増えたからです。
戦後、小作人だった者が農地解放により土地を持ち、土地の値上がりにより大金持ちになりました。
しがないサラリーマンだった者が、土地の値上がりにより何千万、何億という資産家に成りました。
この魔力に勝てず、本格的に地価上昇を止める政策は取られなかったのです。
では何で土地の値上がりはいけないのでしょう。
空気に私有権を設定し、空気の使用料を他者から取るのが良いと思いますか。
生物は地球に生まれた以上、その自然を利用しなければ生きていけません。
その自然に私有権を設定し、他者から収益を上げることが許されるでしょうか。
大地、土地、海、資源、これらも同じことです。生物がこれらのものを使用しなければ生存できなのなら、それらのものを本来、使用する権利を持っているのではないでしょうか。
それを私有し他者から収益を上げるのはおかしいのではないでしょうか。
しかし土地の値上がりとは、現在の所有している人は良いですが、新しく生まれてきた者にとっては大きな負担と成ります。
土地の収益とは、売買代金、地代、道路、店舗、貸家、すべての物価に加算されます。新しく生まれてきた者は、おぎゃーと言った瞬間から地代を払わなければ成らないのです(もちろん親の負担)
こんな不公正なことが有って良いのでしょうか。土地価格が下がれば下がるほど、新しく生まれてきた者にとっては負担が少ないのです。
国債を将来の負担などと嘘を並べてないで、地価を下げること。放射性物質を減らすことが、将来に生まれてくる者の負担を減らすことでは無いでしょうか。
土地とは本来、私有権ではなく、利用権とするべきものです。
私有権とはどこまで認めるべきでしょうか。人が生産したもの、付加価値に私有権は限定するべきではないでしょうか。
自然にあるものに私有権を設定し、それにおいて収益を上げることは出来ないようにするのが公正というものではないでしょうか。
しかし現在は生物のDNAまで所有権を主張し、DNAを利用するなら使用料を払えという時代です。
人間の浅ましさ、強欲を見せ付ける行為だと思います。
公正な経済とはいつの日にか出来るのでしょうか。本来の姿を見失ったら進むべき方向までわからなくなってしまいます。
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