http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/213.html
Tweet |
一部の事実を伝え、大方の事実を伏せて、マスコミは真実を曲げて報道する。この典型的な例が、平野復興担当相が福島県二本松市で開かれた参院民主党研修会で、「私の高校の同級生のように逃げなかった馬鹿な奴がいる」と発言したとの報道である。これを伝える10月19日の毎日朝刊の見出しは3行あり、トップは「津波 逃げなかったばかなやつ」である。最後に「謝罪」という文字も躍っている。
以下この記事からの引用である。平野氏は18日夜、記者団に対し「なぜ逃げなかったのかという思いがずっとあった。冷静に客観的に話さなければならない時に、友人への思いがこみ上げてしまった」と釈明。その上で「不快な思いをされた方には心からおわびしたい」と謝罪した。(以上引用終り)これを読むと、平野復興相が失言をしたように誰もが受け取るだろう。
だが、それは違う。そもそも平野氏の発言は、一般論として「津波から逃げなかった者は馬鹿なやつ」と述べたのではない。この場面をテレビニュースで視聴したが、平野氏は、津波で亡くなった友人に対する切々たる思いを語ったのだ。それは同時に津波で亡くなった人々に対する鎮魂の言葉でもあった。この発言から、平野氏の思いを感じ取れなかったマスコミの記者は、人間ではない。人非人(にんぴにん)である。
毎日新聞は、政治面の4段記事であったが、産経新聞は一面で大きく報じたらしい。そして社会面には、「おふくろは足腰が悪くて逃げたくても逃げられなかった。バカだから死んだというのか」と言う被災者の声を記事にしたようだ。また、テレビ局の中には、「平野復興相の進退問題に発展する可能性もある」と報じた局もあったようである。そしてこのマスコミに悪乗りし、自らの品性を貶めたバカな政治家が居る。
自民党の大島理森副総裁は、「どういう理由にしろ、亡くなった方を『バカ』という表現は、大臣として許されざる言葉だ。人を傷つけるような言葉を平気で言う、この政権に復興はできない」と述べ、臨時国会で追及すると凄んだそうだ。これに対し、国民新党の亀井静香代表は「(平野氏は)大事な人が死んだので万感の思いを込めて言ったのだ」と、マスコミ報道に怒りを示した。政治家の器の違いが出ている。
新聞記事にあるように、平野氏が「私の高校の同級生のように逃げなかった馬鹿な奴がいる」と述べたのは事実だが、その前後の言葉、そして平野氏の切々たる思いをこめた語調は何も報じていない。マスコミの報道は、このように一部を切り取り、それがあたかも全部かのように報道する。一部の事実を報道しても、それは真実を報道したことにはならない。報道における事実と真実は似て非なるものなのである。
同じことが、先の鉢呂前経産相の辞任の原因となった「死の町」発言でも言える。この記者会見の内容が経済産業省のホームページに掲載されている。これを読んだら一目瞭然であるが、この発言のどこに問題があると言うのだ。それにも拘わらず、マスコミが「死の町」と表現したことは今後問題になる可能性があるなどと、火を点け、さらに福島県人が「ふざけるな」とかと言っていると報道し、その火を煽ったのだ。
産経や毎日は、この鉢呂報道の二番煎じを狙ったのだろう。だが今回は、平野氏の発言の様子がテレビで放映され、氏の言葉が視る人の心を打ったから、氏に辞任を迫る声は萎んでしまった。なお、鉢呂氏の「放射能つけちゃうぞ」発言報道は、一部の事実、即ち防護服を着ていた事実だけで、あとは伝聞の報道であった。しかもフリー・ジャーナリストの上杉隆氏の検証によると、この鉢呂発言は捏造であったようだ。
事実の8割を報道しても2割を隠すことで、真実を曲げることは容易にできる。ましてや8割の事実を伏せ、マスコミに都合のよい言葉だけを抜き取り、誹謗する。これは、マスコミによる「言葉狩り」以外の何ものでもない。「言葉狩り」をしないまでも発言者の言葉の一部を使い、発言者の真意などお構いなく、マスコミに都合のよい報道をする。これが日本のマスコミ報道の真実だろう。論すれば、マスコミ報道で唯一信じられるのは、スポーツの結果報道だけになる。
http://www.olivenews.net/news_30/newsdisp.php?n=116696
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK121掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。