http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/198.html
Tweet |
近聞遠見:「ちょっとした話」がいい=岩見隆夫
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/
毎日新聞 2011年10月22日 東京朝刊
ちょっとした話が、捨て難い。味わい深い意味が隠されているからだ。そんな話を三つほど−−。
▽森喜朗元首相が「えっ」と驚いた話。
7月のある朝、森のもとに産経新聞の熊坂隆光社長から電話がかかった。
「けさのうちの連載に出てくるのは、先生のおやじさんじゃないですか」
「えっ」
産経は正月から、「『冒険ダン吉』になった男」という実話ドキュメントを連載中だった。戦前、「少年倶楽部(くらぶ)」で人気の漫画「冒険ダン吉」にはモデルがいたのだ。
土佐の自由民権運動家、森小弁(こべん)。明治24(1891)年、自由を求め、船で南洋(戦前、南方の島々をそう呼んだ)に渡り、トラック諸島(現チューク諸島)の大酋長(しゅうちょう)に収まる波瀾(はらん)万丈の物語だ。
その朝の連載は、
<水曜島(トラック諸島の一つ)にも、森茂喜率いる歩兵76連隊第3大隊(金沢)が配備された。……>
で始まっていた。茂喜、森喜朗の実父である。第二次大戦末期、玉砕覚悟の茂喜と大酋長の小弁、<2人の森>の交友を連載は追っていく。
森がしみじみ話す。
「トラックで敗戦という話は知っていたが、くわしく聞いていない。ああ、そうだったのか、と。早稲田に入った時、おやじが古びた時計をくれたんです。『こんな汚いの』と言うと、『(捕虜の時)イギリスの将校からもらった。質に入れてもいいが、流すなよ』と。いまでも大切にしている」
父子が共有する戦争体験だ。茂喜は帰国後、石川県根上(ねあがり)町(現能美(のみ)市)の町長を無競争で連続9期つとめ、89年、79歳で死去した。森はトラックを含むミクロネシア連邦との友好議員連盟会長だ。
▽いまどき、あえて土下座する話。
台風15号が吹き荒れた9月21日夕、東京・ホテルニューオータニで<新党大地 鈴木宗男を叱咤(しった)激励する会>が開かれ、大盛況の入り、ずぶぬれで駆けつけた人もいた。
鳩山由紀夫元首相、福島瑞穂社民党党首、伊吹文明自民党元幹事長、下地幹郎国民新党幹事長らのあいさつが続き、このあと、歌手の松山千春が、
「本人が居ないにもかかわらず、こんなにお集まりいただき……」
と壇上で土下座。人気作家の佐藤優も、
「鈴木さんに政治活動をさせてください。皆さんの助けで」
とやはり土下座した。
新党大地代表の鈴木は収監10カ月の身。私に1票を、という土下座は以前散見されたが、そうではない。この迫真のダブル土下座と熱気に心揺さぶられる。涙する人もいた。
▽ショート・スピーチが流れを変えた話。
いまでも不思議なのは、社会党の村山富市委員長を首相に擁立する破天荒な提案を、自民党内はなぜ納得したのか。
94年6月29日、国会最終日に開かれた自民党の両院議員総会。河野洋平総裁が、
「誠に残念なことながら、第2党党首、村山富市氏に首班候補を要請した」
と述べたとたん、騒然、反対論が噴出した。「国賊!」の声も。この時、村山と同じ衆院大分1区選出の衛藤晟一(現参院議員・比例)が立つ。
「みんないろいろ言うが、私は村山さんの家から500メートルのところに住んでいる。次の選挙も村山さんと戦わなきゃならない。それでもいまは村山さんを担ぐ以外に自民党の生きる道はない。国家、国民のためやろうじゃないか」
この短いスピーチで流れが変わる。河野が先日、党機関紙のインタビューで明かした。言葉の絶大な効果。(敬称略)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK121掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。