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「ジャーナリスト同盟通信」2011年10月22日 本澤二郎の「日本の風景」(901)から下記を転載投稿します。
=転載開始=
【元米兵捕虜の怒り】
日本政府が元米兵捕虜を招聘する行事をしている。昨年からだという。今年で2回目だ。悲劇の地に案内して、地元民との交流会などをしながら、精一杯の歓待に汗をかく。その後に日本記者クラブで記者会見をさせるという外務省の思惑には、多少後ろめたい感じがするのだが、それでも70年前の過去を彼らがどう総括するのか、そのことを知りたくて10月21日に行われた会見を覗いてみた。
意外な事実を知ることが出来た。彼ら捕虜を酷使した財閥企業の対応について、数人の元捕虜が怒りの発言をしたのだ。詳しい事情は明かさなかったが、一人が「寄付をしない」といって噛みついた。
推測するに、地元での歓迎行事に財閥は参加しなかった?というのであろう。過去にそっぽを向いたのだ。
【過ちを認めない財閥?】
過去の過ちを反省できない、謝罪できない財閥に対して、被害者は怒ってしまう。自然なことである。そこから生傷の過去を思い出してしまうのである。想像を絶する生死をかけた奴隷作業のことを。
戦争の一番の暴利集団としての財閥は、侵略戦争の主体でもある。だからこそ敗戦後の日本占領軍は、軍閥と財閥を解体したのである。そのことを当事者は、すっかり忘れてしまっているのである。
それどころか彼らは、守銭奴のような政党・政治家に餌を蒔いて、平和憲法の解体に熱心である。現在の政治家の代表格は松下政経塾の前原である。改憲軍拡論者だ。彼は野党時代から自民党改憲派とつるんで、軍需産業からの献金に熱心だったと見られてきた。
過ちを認めない財閥は、武器輸出3原則に横やりを入れている。武器輸出による暴利に走り出そうとしている。政界の先頭は前原だ。財閥と連携し、その資金で天下を盗ろうというのだ。
過ちを認めない財閥とそこに食らいつく政党・政治家の存在が、いうなれば日本の最大の恥部といっていい。このことを日本国民は、しっかりと認識しておく必要がある。
財閥の正体を、元米軍捕虜が認知した成果は絶大と言っていい。過ちを認めない人間・集団は、再び同じ間違いをすることになろう。7人の元捕虜は従って、原爆投下を正当化することになるだろう。
【東芝・三井・三菱を断罪】
1923年生まれ(ボストン)のハリー・コレさんは、中学校卒業後に陸軍に入隊した。フィリピンのコレヒドールで日本軍捕虜になった。2年間、収容所に入れられたあと大牟田第17分所の収容所に移送され、鉱山労働に強制従事させられた。
彼は戦後、電気工学の資格を取得、40年余、航空宇宙産業で働いた。現在、ロサンジェルスの退役軍人病院で患者支援要員として勤務中である。
「大牟田で1年半働かされた。10日間働いて1日休めた。採掘量に応じて労働時間は12時間とか14時間になったりした」「待遇は厳しくて残酷だった。命を落とした仲間も出た。落盤で死んだ人もいた」など簡単に過去を明かした。恐らく1・5年の過酷な労働を話し始めれば半日でも、1日でも語り尽くせないだろう。それを数分で。今回の招聘についても「嬉しく思う」とだけ。その後に彼の本心を暴露させた。
「我々を強制労働させた企業、すなわち三井・三菱・東芝は良い感じをしない。我々を奴隷労働させ、随分、金もうけをした。その認識がまるでない」
92歳のオウカー・レオナードさんは、フィリピンで日本軍の捕虜になり、マレイバレイ刑務所、ビリビッド刑務所に収容されたあと、輸送船で日本に移送された。戦後は薬学を学んで現在も地元の薬局で働いている。
「バターン・コレヒドールを経て鳥取丸と三菱丸で日本に移送された。42日間は地獄だった。大阪から川崎に送られた。日本鋼管や日立で働かされた。この間、収容者の22人が爆撃を受けて殺された。ミズリー号で日本降伏を目撃した」
彼の言う地獄を聞きたかったが、1時間ほどの通訳付き会見時間が許さなかった。彼は最後に突然、三菱と三井の名前を上げた。そして「寄付してくれなかった。残念だ」と言明した。
財閥の対応に何かがあったのだ。それに失望と怒りの声を上げたのだ。
【原爆投下を正当化】
軍閥と財閥が彼らの人生に大きな傷を残した。それを解消しようとして外務省が計画した招聘計画に感謝しながらも、依然として変わらない財閥に新たな怒りがこみ上げて来たのであろう。
このほかの5人の元捕虜から「残酷な強制労働」という言葉が相次いだ。「地獄船」という言葉も。会場から「広島・長崎の原爆投下についての感想を聞かせてほしい」という質問に数人が答えた。
三井・三菱・東芝を断罪したハリー・コレさんがマイクを握った。「私は原爆投下時に大牟田にいた。30マイル離れていた。原爆はひどい。二度と使ってはならない。唯一良いことも。それはもし原爆を投下しないで上陸による日本占領ともなれば、恐らく100万人の人命が失われたであろう。実際は広島7万人、長崎の7万人の合計14万人で済んだ」と応じた。
「バターン死の行進」に遭遇、その後に満州送り、神岡収容所では鉛鉱山で働かされたロバート・ボグラー・ジュニアさんは戦後、20年余軍隊生活、ついで米軍需産業のジェネラル・ダイナミック社で16年勤務した。彼は「万一、上陸作戦をすれば何百万も死んだことか。むろん、日本国内の捕虜は殲滅されたであろう」と回答した。
元捕虜の付添人のメアリー・デナードさんは「私は聞いたことがある。日本では女も子供も死ぬまで戦う訓練を受けていた。もしそうなったら天皇の面子はない。原爆投下で天皇の面子が保たれた」といった。原爆が天皇制を守ったと言わぬばかりである。
元捕虜のハロルド・バーグバウワーさんは「収容所に赤十字の人がやってきて、広島と長崎の原爆投下で戦争が終わったと告げた。それに我々は歓呼の声を上げた。その結果を知らなかったのだが」と言った。彼は戦後の55年から57年まで日本滞在、航空自衛隊創設に関係した。
【NHKのOB発言に拍手】
会場から発言した日本人ジャーナリストに注目が集まった。「当時、私は中学1年生だった。軍国主義教育を受けていた」と言い始めると、会見場は急に静かになった。どんなことを話すのか。次の一言に耳を傾けた。彼の日本語は即座に通訳された。壇上の10数人の目が彼に集中した。
「名古屋に住んでいた。名古屋に軍需産業があり、爆撃で家も無くなってしまった。江戸時代の城も1945年5月に燃えてしまった」
廃墟となった故郷・名古屋が、彼の脳裏に生き生きと蘇る瞬間である。彼は会場の全ての人たちに叫んだ。「戦争は絶対にしてはならない」と本心をさらけ出した。次いで「日米は仲良くしなければならない」というと、突然に絶句した。涙声になり、後の言葉が続かない。
すると、壇上の元米兵捕虜とその付添人から一斉に拍手が沸いた。感動的な場面だった。筆者の目もうるんでしまった。元NHK記者である。昔はNHKにもまともな記者が存在していたのである。
人間は皆平和を愛する。しかし、油断していると、さまざまな情報にリモコンされる。憎しみと怒りが沸き起こる。悪しき為政者の罠にかかって武器を持ち、殺し合いに巻き込まれる。今のNHKは大丈夫だろうか?
財閥と官僚は9条を理解していない。人々に隙があれば、暴利のために改憲軍拡路線に走りだそうとしている。財閥は三井・三菱・東芝だけではない。
2011年10月22日19時13分記
=転載終了=
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