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震災&原発事故の真っただ中のなか、野田政権は、火事場ドロボウのように国民生活を破壊しかねない活動に勤しんでいる。
増税、社会保障抑制、年金支給開始年齢、行き場を示さないままの除染宣言、TPP参加問題と、わずか1カ月ほどのあいだ、待ってましたとばかりに、スジの悪い重大な政策が次々と発信されている。
「復興増税」への執着は、火事場ドロボウを上回る、被災者を利用した“増税洗脳”キャンペーンといってもいいものだ。
平時に30兆円から40兆円の国債(赤字+建設)を継続して発行しているのに、千年に一度と自ら言っている単発の復旧復興資金20〜30兆円については、ことさら増税で賄おうとしている。
財政政策的にみても必要ではない「復興増税」にあれほどこだわるワクは何であろうか。二つほど考えられる。
1.困難辛苦の生活に耐えるだけではすまず先行きの展望も見えない悲惨な被災者への多くの国民の同情を利用して、増税の必要性に理解を得る。これは、今後の社会保障維持を全面に押し立てた増税実現の露払いと考え行われているはずだ。為政者は、千年に一度の災害を千載一遇のチャンスと考えて利用しているのだ。
国民生活を疲弊させてきた張本人たちが、生活困窮に陥っているひとを救うためには増税が必要だと訴えることで、さらに生活困窮者を増やすというとんでもない話だ。
2.もう一つは、国民(企業)全体に復興資金を負担させることで、復興事業費を抑制する狙いだ。直接自分の懐が痛まなければ、「国は被災者のめんどうをもっと見るべき」という声が上がる可能性が高いが、それが自分の懐にも響く増税で賄われるとなると、2、3年たつと「そこまで国がめんどうをみるのはおかしい。自立を促すべきだ」という声も上がってくるだろう。
日本の行く末をわざわざ悪くするような政策のなかでも、国家社会の在り様に包括的で強い影響を与えるTPPが焦眉の問題である。
そして、TPP参加問題こそが、火事場ドロボウというのにもっともふさわしいやりくちを見せている政策だ。
長期にわたって国民生活に幅広く大きな影響を与える問題なのに、内容の議論どころか、どのようなものなのかさえ説明せず、1カ月足らずの期限を切って結論を出そうとしている。
何よりふざけているのは、TPP交渉はすでに終局を迎え、年内に合意文書さえできかねない状況なのに、あたかも、日本が参加してからTPPの交渉が本格的に始まるような印象を国民多数に与えていることである。
自国の社会の在り様が規定され国家の政策判断が縛られる多国家間協定に、ろくに交渉に加わらないまま(加われないのに)参加しようとしている野田政権は、宗主国に外交権を奪われた保護国の為政者となんら変わらないと言えるだろう。
TPPの内容を巡る是非を俎上に乗せる以前に、独立国家なら、手続き論だけでTPPに参加することは断念するものだ。
さらに、TPPへの参加をゴリ押ししたい野田政権やメディア・学者は、“原発の安全性”や“原発の経済性”と同じように、恥じることなくデタラメな(タメにする)説明を展開している。
TPP推進派の政治家・学者・メディアは、TPPが「自由貿易」を促進するものであり、日本は「自由貿易」のなかで経済成長を遂げてきたという説明をして、TPP(交渉)参加の意義やメリットを国民に訴えている。
そして、GDP的に高が知れている農業(農村)が「自由貿易」で打撃を受けるからといって、製造業(都市)が犠牲になってもいいのかというニュアンスで「都市と農村の対立」を煽りながら、国家主権にも深く関わる包括的な協定であるTPP問題を農業問題であるかのように矮小化している。
TPPは、ある特定の国を優遇する特恵関税をなくすことをめざす「自由貿易」に反し、限定的な関税同盟に参加する国だけが恩恵が得る「ブロック経済」をめざす政策である。
様々な経済発展段階、様々な価値観を有する国々で構成されているWTOでの交渉は遅々としてなかなか進まないものだが、「自由貿易」の進展だというのなら、WTOで関税や非関税障壁をめぐる交渉を粘り強く行うべきであろう。
(この種の問題は、EU、FTAなどにも共通する)
もう一つの、日本は「自由貿易」のなかで経済成長を遂げてきたし、今後も、日本経済が成長を続けるためには「自由貿易」の恩恵が必要だという説明も、歴史的事実や経済論理に適合しないものである。
それについて書かれたまとまったものとして、日経新聞10月12日朝刊P.25の「経済教室」に「TPP参加の意義 上 国際的責務の視点 不可欠」という慶応義塾大学木村福成教授の論考があるので、それに即して考えていきたい。(全文を末尾に転載)
木村教授は、ポイントとして次の三つをあげている。
○日本は自由貿易体制の維持に責任を果たせ
○FTAで途上国より自由化度低いのは問題
○不参加ならば東アジア経済統合の質下げる
これらのなかから最初のポイントについて見ていく。
木村教授は「TPPにかかわる日本の国際的責務とは何か。第一に、自由貿易体制という一種の国際公共財の供給のために、応分の責任を果たすことだ」と書いているが、前述のように、WTOならともかく、TPPが仮に日本経済に大きなメリットがあるとしても、「ブロック経済化」をめざすものでしかないTPPについて、そのような“崇高”な話はまったく通用しない。
それを目指すべきという考えではないが、「自由貿易」にかかわる日本の国際的責務は、WTOで様々な利害対立を粘り強い交渉を通じて少しずつ乗り越え貿易障壁を低くしていくことであり、非参加国との交易の障壁を高くするTPPに参加することではない。
木村教授は、続けて、「日本は第2次世界大戦後の経済発展の過程で、貿易自由化の恩恵を大いに受けてきた。1950年代、敗戦国としてなかなか平等に扱ってもらえず先進諸国の保護主義に苦しめられる中で、粘り強く自由貿易を求めた。だからこそ日本は、他国とりわけ発展途上国が自由貿易の恩恵に浴することを許容すべきだ」と主張している。
これを読むと、まるで、戦後日本は端からずっと自由貿易を標榜してきた国家で、他の先進諸国は保護主義に走りそれを阻害していたように思える。
しかし、いわゆる先進諸国のなかで戦後長い間もっとも保護主義に動いたのは日本であり、保護主義に支えられて、現在隆盛を誇っている自動車産業や電機・電子産業は大きく成長してきたのである。
戦後長い間行われた輸入制限や資本(直接投資)規制そしてある時期からの関税政策による“国策的保護”がなければ、GMやGEが直接投資で日本国内に生産拠点を築いたり、安い賃金でも太刀打ちできなかった米国製家電が日本に入り込んできたのだから、トヨタも東芝もパナソニックも現在の姿になることはなかったはずである。
(米国が、日本に不足するドルを貸し付けたり資本財を輸出することに限定し、直接投資や消費財の大量輸出を志向しなかったのは長期的視点から優れた判断である。輸出が拡大し所得水準が上昇しない国民経済は、輸入を拡大することも、借入金をスムーズに返済することもできない)
保護主義的政策のもと、米国式生産システムの導入をはかり生産設備のスクラップ&ビルドで生産性を大きく向上させた日本は、70年代以降、米国とのあいだで繊維製品・鉄鋼・農産品・自動車・半導体と「貿易摩擦」が続くことになり、輸出数量制限・生産の現地化・輸入割当など日米で「自由貿易」に反する政治的解決を続けた。
現在でもその感があるが、明治維新以来、日本は、「自由貿易」ではなく「輸出振興」が国策なのである。
「自由貿易」と「輸出振興」は同義語ではない。だからこそ、戦前の日本は、「自由貿易」政策ではなく、軍事力を活用した権益地拡大(朝鮮半島・中国)で「輸出振興」を維持拡大しようとしたのである。
(戦前の世界で「自由貿易」に経済的メリットがあった国は米国とドイツくらいであろう)
アジア太平洋戦争で、満州・朝鮮半島など広大な地域で権益を失い、内地も空爆で重要な生産設備が破壊された日本は、“飢餓輸出”に近いかたちでも外貨(ドル)を稼ぎながら、産業の再建に踏み出し、50年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争で輸出立国へのテイクオフを得る。
輸出で稼いだ外貨は、外国為替資金特別会計に集約され、「外貨予算制度」で重化学工業に必要な原料や資源などが優先的に輸入された。また、輸出優良企業には財政的支援策が採られ、過剰な競争が起きないよう産業調整も実施されていた。
日本は、IMF14条国&ガット12条国として、国際収支を理由にした為替と輸入の制限が認められていた。
実際、貿易収支はともかく所得収支が赤字であった60年代までの経済成長は、経常収支に強く規定されるものだった。
(景気過熱は輸入増大を招くため、金融・財政政策で何度も景気が冷やされた)
それ以降も建前的なものだが、貿易や為替取引の自由化に踏み切ったのは東京オリンピックを目前にした63年から64年である。
私にとっては子どもの頃の出来事だが、この貿易自由化と資本自由化をめぐり、財界のみならず自民党内からも強い“反対”の動きがあり、米国の意向を受けた自民党政権と喧々諤々だったことを覚えている。
私より年上のひとが多い現在の財界人も当然覚えているだろうが、日本の財界は、80年代まで、輸出拡大を志向しながらも保護主義だったのである。
(関税障壁は80年代まで続くが、自動車の輸入自由化は65年、コンピュータ関連は70年まで引き延ばされた。日本は先進国のなかで輸入自由化のテンポが遅いほうで、残存輸入制限品目数が100を割ったのは70年になってからである)
TPP参加に利を認める人がいるのは構わない。しかし、原発推進と同じように、拡声器(新聞・TVなど)を破格のレベルで抱えた勢力が、ウソやデタラメの説明でうやむやのうちにごり押しでTPP参加を遂げようとする策動を許容することはできない。
為政者及び大手メディアのあまりにひどい暴虐に気力を失いそうな日々だが、気力が続けば、TPP参加国の狙いや日本の財界の思惑などについても書いていきたいと思っている。
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日経新聞10月12日朝刊P.25
経済教室
TPP参加の意義 上 国際的責務の視点 不可欠
東アジア統合を左右 農業改革先送り許されず
(ポイント)
○日本は自由貿易体制の維持に責任を果たせ
○FTAで途上国より自由化度低いのは問題
○不参加ならば東アジア経済統合の質下げる
木村 福成 慶応義塾大学教授
環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加を巡っては、すでに多岐にわたる議論が積み重ねられてきた。気になるのは、この間題を目先の損得勘定に矮小(わいしょう)化して論じる傾向が強いことだ。本稿では、これまであまり取り上げられてこなかったもう一つの見方、すなわち日本の国際的責務という観点から、TPP交渉参加が必要な理由を明らかにしたい。
日本には相応の国際的責務がある。新たな国際経済体制の構築のために何を期待されているのか。それに応えることで初めて国際的地位の低下を食い止めることができ、日本の産業・企業の国際競争力を確保することも可能となり、ひいては住みやすい世界をつくることにつながる。
現在、地域主義の動きは、2国間自由貿易協定(FTA)綱構築の段階から、多くの国・地域を含む広域FTA形成の段階へと移行しつつある。発展途上国との2国間FTAでは丁々発止の交渉で、取れる部分を取ればよかった。一方、広域FTAでは国際ルールの構築、地域アイデンティティーの形成、それらを通じての新しい国際経済秩序の形成を目指すこととなる。TPPも東アジアの経済統合も、その文脈で理解すべきだ。
TPPにかかわる日本の国際的責務とは何か。第一に、自由貿易体制という一種の国際公共財の供給のために、応分の責任を果たすことだ。
日本は第2次世界大戦後の経済発展の過程で、貿易自由化の恩恵を大いに受けてきた。1950年代、敗戦国としてなかなか平等に扱ってもらえず先進諸国の保護主義に苦しめられる中で、粘り強く自由貿易を求めた。だからこそ日本は、他国とりわけ発展途上国が自由貿易の恩恵に浴することを許容すべきだ。
農業改革、とりわけ国境措置の撤廃は前世紀のうちに片付けておくべきだった。日本を除く先進各国は、93年に合意したウルグアイ・ラウンド交渉と並行して、四半世紀前に調整をほぼ終えている。日本はその後も先送りを繰り返し、現在に至ってしまった。
農業保護の問題は地域主義においてもそのまま引きずられている。日本はこれまでに13のFTAに署名し、うち12はすでに発効しているが、そこでも日本の貿易自由化度は低い。表は、日本・東南アジア諸国連合(ASEAN)経済連携協定を例にとり、協定による自由化が完了した時点で関税率がゼロとなる品目数の割合をみたものである。以下に述べる傾向は、他の2国間FTAでも同様である。
「HS」と呼ばれる貿易品目分類は、6桁までが国際的に共通であり、それより細かいところは各国が独自に設定している。実際に貿易政策が設定されている一番細かい8〜10桁ベースでみると、日本の貿易自由化度は86.2%と極めて低い水準にとどまる。6桁で集計すると91.9%まで上がるが、これは日本の貿易品目分類が保護対象の部分で特に複雑に設定されていることを意味する。
さらに直視しなければならないのは、カンボジア、ラオス、ミャンマーを除くほとんどのケースで、日本の貿易自由化度が相手国よりも低いことだ。通常、先進国は、途上国以上に市場を開いて、自由貿易体制への責献を示すものである。この不均等な自由化は日本の経済外交の弱点を如実に表している。
日本の農業保護は、関税割り当てや国家貿易など、通常の関税以上に保護主義的な国境措置や国内規制が多数残存する点でも突出している。
TPP交渉参加国のうち先進国グループが近年締結しているFTAの貿易自由化度は98〜100%に達する。TPP交渉では、関税の即時撤廃分が95%、それ以外も2020年までにほぼ全廃といったあたりが相場観になってきそうだ。最終的にはある程度の自由化の例外が認められるとしても、低関税率の品目については早急に関税を撤廃し、高い貿易障壁が設けられている部分については国境措置から国内補助金への切り替えを進めるなど、抜本的な政策体系の改革が求められる。
これらの前世紀からの積み残しを片付ける覚悟があって初めて、失われつつある国際的信頼を回復しTPP交渉に参加することが可能となる。
第二に、東アジアとアジア太平洋の懸け橋となり、それぞれの強みを生かしながら経済統合を促進することも、日本の国際的責務である。
もともと米国のTTP交渉への積極姿勢は、東アジアにおける経済統合の動きに触発されたものであった。そして、今は逆に、TPP交渉の進展が東アジア経済統合の動きを加速している。東アジアとアジア太平洋は、二者択一ではなく、片方の経済統合の動きが進めばもう一方も活性化されるという関係にある。
中国は、広範な貿易自由化と国内改革が求められるTPPにすぐに参加することば不可能と考えながらも、それが将来中国に改革圧力を課してくると認識している。周辺国がTPPに集約されていくことへの焦燥感から、今年に入り、日本・中国・韓国あるいはASEAN諸国その他を含む東アジア広域FTAに極めて熱心に取り組んでいる。
現在、東アジア広域FTAの本格交渉開始への取り組みを加速するため、日中は共同でモノ・サービス・投資に関する作業部会の立ち上げを提案している。一方、ASEANは交渉における主導権を維持するため、交渉の大枠(テンプレート)の設定を模索している。東アジア諸国は、東アジアの求心力を保持するため積極的に動き出している。
万一日本がTPP交渉に参加できなければ、国内の保護圧力は維持されるので、東アジアの経済統合の質を押し下げかねない。東アジア広域FTAがTPPと比べて、貿易自由化度の面でも政策の適用範囲の面でも見劣りするものになれば、東アジアの地域としての統合感も保てなくなる。日本の責任は重大だ。
第三に、「21世紀型地域主義」構築への貢献も、日本が担うべき国際的責務である。
東アジアは、少なくとも製造業に関しては、「第2のアンバンドリング(分解)」すなわち生産工程・タスク単位の国際分業が、世界で最も進んでいる地域である。国際分業のさらなる活性化のためには、単なる関税撤廃を超えた政策環境の実現が不可欠だ。
世界貿易機関(WTO)がグローバリゼーションに対応する政策の拡張に失敗する中で、新たな国際経済秩序の構築の先兵は柔軟性に富む地域主義となってきた。
「21世紀型地域主義」を推し進めるには、東アジアにおける生産ネットワークの成立基盤を再検討し、実効性のあるところから政策環境を整備していくことが必要だ。特に発展途上国および新興国における実践的な貿易円滑化、生産・流通を支えるサービスの自由化、投資の自由化・円滑化、知的財産権保護や競争政策の整備などが、決定的に重要となってくる。さらに、狭い意味での国際通商政策にとらわれずに、物流インフラやその他経済インフラの整備、中小企業振興なども同時に進めることが求められる。
TPPは様々な分野をカバーする包括的な協定となりつつあるが、生産工程・タスク単位の国際分業を活性化するための戦略的な思考という意味では、必ずしも十分ではない。日本が早い段階で交渉に加わることができれば、東アジアでの生産ネットワーク展開の経験を踏まえ、内容面でかなり貢献できるだろう。
また、東アジア広域FTAは、日本が積極姿勢を見せて初めて、モノの貿易にほぼ限定された狭い範囲の協定からより未来志向の協定に成長していくことが可能となる。両協定とも、21世紀型地域主義と呼ぶにふさわしいものとしていくため、日本が責献すべきところは大きい。
世界共通語である経済学の論理に耳を傾けず、国内政治の問題を自ら解決できず、国際的責務を果たさずに内にこもる国、他国の冷笑を浴びるような国になってはいけない。自らまず身ぎれいになり、前世紀の宿題を片付け、いつでも正論を貫ける体制をつくったうえで、責任感を持って新たな国際経済秩序の形成に参加することが今、日本に求められている。
きむら・ふくなり58年生まれ。東京大法卒、ウィスコンシン大博士。専門は国際貿易論
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