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元最高検検事・土本武司 小沢氏検察糾弾に3つの不当性
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111020/trl11102002490000-n1.htm
2011.10.20 02:49 産経新聞
自身の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法(政規法)違反の罪に問われた元民主党代表、小沢一郎被告が、10月6日に東京地裁で開かれた初公判で、起訴事実を全面的に否認し、無罪を主張した。
≪検察ファッショ批判もかくや≫
それだけなら、予想の範囲内の展開であった。想定の域を越えたのは、小沢被告が、自らを強制起訴した検察審査会ではなく、不起訴処分とした検察を糾弾したことと、その調子の激しさである。
小沢被告は、本件を「形式的なミスで、修正すれば足るもの」だとして、「直ちに裁判を打ち切るべきだ」と唱えたにとどまらず、「本件が特に許せないのは、国民の負託を受けていない検察が議会制民主主義を踏みにじり国民主権を冒涜したことだ。検察が捜査、逮捕権を乱用し、当時、野党第一党の代表だった私を狙って、強制捜査をした。恣意(しい)的な権力行使が許されるなら、民主主義国家とはいえない」とまで言い募った。
まるで、昭和初期の「帝人事件」で政治的、強権的な捜査が行われたことから沸き起こったとされる、「検察ファッショ」批判もかくや、と思わせるような時代錯誤的な意見陳述である。小沢被告は見当違いも甚だしい。以下では、その理由を論述したい。
第一に、これは「記入ミス」といった言い訳では絶対にすまされてならない重大な事犯である。
そもそも、政規法は政治の透明性と健全性、公平性などを担保する重要な法律であり、それに違反することは、民主主義を損なうという意味で決して軽くない罪だ。加えて、今回の虚偽記入額は政規法違反事件史上、最高である。
≪政治資金規正法違反の重さ≫
陸山会は2004年10月に東京都世田谷区の土地を購入した際、小沢被告から借り入れた資金4億円を同年分の政治資金報告書に記載せず、総額約21億7000万円に上る虚偽記入を行っている。
実際、事件で訴追された石川知裕ら元秘書の3被告とも先月、有罪判決を言い渡されている。判決はしかも、石川被告らが中堅ゼネコンの水谷建設から受け取った1億円のヤミ献金を隠すことが虚偽記入の動機の一つと認定するとともに、「事件の背景に公共工事をめぐる企業と小沢事務所の癒着がある」と明確に断罪している。
小沢被告については、虚偽記入の共犯責任を疑われながら、検察官は嫌疑不十分で不起訴とした。だが、これを不服とした市民の申し立てが東京第5検審に出され、1回目の起訴相当議決、東京地検特捜部の再不起訴処分を経て、昨年9月に2回目の起訴相当議決がなされ、この1月、検察官役の指定弁護士によって起訴された。
実行行為者は石川被告ら元秘書たちであり、小沢被告にかけられたのは共謀共同正犯者の嫌疑である。本人が否認する中で、共犯性を立証するのは容易ではない。
検察は、汚職事件などに進展する可能性も視野に入れて捜査を進め、石川被告らから虚偽記入に関し、「事前に小沢氏に報告・相談し、その了承を得た」との供述を得たものの、小沢被告については犯意・共謀など共犯を認める主観的要件に関する立証は困難だと判断、起訴を見送った。その後、前述の経緯を辿った次第である。
小沢被告に対する公訴は、起訴相当議決に基づき指定弁護士が提起したのであって、検察が行ったものではない。したがって、自分への訴追を「恣意的な権力行使」と決めつけるのなら、検察を非難の対象にするのは文字通り、的外れである。小沢被告の意見陳述の第二の不当性が、そこにある。
≪検審制度の本旨に沿った訴追≫
小沢被告は、改正検審制度の下での強制起訴は、検察による事件捜査があって初めて成り立ったわけであるから、全ての元凶は検察だと言いたいのかもしれない。
だとすれば、先に見たように、検察はその当否はともかく検察なりの判断で不起訴処分としたのであるから、非難は筋違いだし、同時に検審の独自性をも疑わせかねず、二重の意味で問題だ。小沢意見陳述の第三の不当性である。
確かに、従来、検審による起訴相当の議決があっても、法的拘束力がなかったので、検察の不起訴方針が覆ることはまずなかった。しかし、平成16年の検審法の改正により、審査員11人のうち8人以上の意見で、「起訴相当」議決が2回、繰り返された場合には、起訴が強制されることになった。
改正検審制度は、裁判員制度が刑事裁判への民意の反映を旨としているのと同じように、起訴・不起訴という公訴権の行使に民意を反映させるところに意義がある。小沢被告に関する議決書も、「善良な市民感覚で起訴相当の議決をした」としている。有罪か無罪かという検察官と同様の立場ではなく、疑惑のある政界の大物にかかわる事案について公開の法廷で事実関係を明らかにすることに主眼を置いた考え方で、検審制度の本旨に即していると評価できる。
何かを「冒涜」しているのはむしろ小沢被告の方で、司法を「冒涜」しているのではないのか。(つちもと たけし)
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