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「放射能つけちゃうぞ」発言捏造をめぐる記者クラブの“やり方”――そしてさらなる新事実
http://diamond.jp/articles/-/14503
2011年10月21日 週刊 上杉 隆 :ダイヤモンド・オンライン
案の定、先週の本コラムに対する大手メディアからの反論、異論、抗議の類は一切ない。
鉢呂前経済産業大臣が発したとされる「放射能、つけちゃうぞ」という趣旨の発言は、やはり「捏造」だったということだろうか。
当事者である鉢呂氏はこう語り、本コラムで筆者は次のように報じた。
〈「放射能と言った記憶がないのです。確かに相槌を打ったような気もしますが、それもはっきりせず、自分で言ったような記憶はない。私も長年政治家をやってきていますから、自分で言った言葉については大抵覚えております。でも、放射能という言葉自体、あまり使ったことがありませんし、放射性物質などということはありましたが、なにしろ記憶にないのです。でも、優秀な記者さんたちがみんなそう報じるので、どうしてなのかなと思っておりました」
結論からいえば、鉢呂氏は「放射能」も「つけちゃうぞ」も発言していない。発言のあったとされる当日、東京電力福島第一原発所の視察から戻った鉢呂大臣(当時)が、赤坂宿舎に集まった4、5人の記者たちと懇談したのは事実だ。だが、防護服を着用したままの鉢呂氏に「放射能」という言葉を使って、水を向けたのは記者たちのほうであり、それに対して、鉢呂氏は何気なく相槌を打っただけというのが真相なのだ〉
その後、さらなる事実が判明した。そこで、今週は、先週、書ききれなかった部分と、取材で得た新事実を付け加えてみようと思う。
■「死の街」発言が問題なら なぜその場ですぐに追及しないのか
まず、鉢呂氏が発言した「死の街」発言についてだが、それは公的な大臣会見の席上で発せられた言葉で、その後の質疑応答でこの点について質した記者はいないということを明確にしておかなければならない。
仮に問題発言ならば、すぐにでも、その言葉について反応してもよいものだが、日本の記者の習性である「内弁慶ぶり」がここでも発揮されてしまったようだ。
では、鉢呂氏の会見内容を経済産業省のホームページから抜粋してみよう。
〈昨日、野田総理と一緒に原子力発電所の福島第一の事故の現場にも、大変まだ高濃度で汚染されている現場、また指揮されている事務管理棟、そしてまた作業をやっている二千数百名、ちょうど昼休みだったものですからお話をし、そして除染のモデル実証の伊達市、集落の所と学校と、また佐藤知事、そして除染地域に指定されております14の市町村長と朝6時、夜11時過ぎまで、ということで行ってまいりました。
大変厳しい状況が続いておると。私が言っておりますように、福島のあの汚染がそもそもの経産省の一つの原点と捉えて、そこから出発をすべきだというものを、また3回目でありましたけれども、感じてきました。
同時にまた事故現場の作業員、そしてまた管理している方々、予想以上に前向きで、明るく、活力を持って取り組んでおると。3月、4月に入った方もおられたのですが、雲泥の差というふうに聞かされたところでございます。
残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でございました。私からももちろんでありますけれども、野田総理から、福島の再生なくして日本の元気な再生はないと、これを第一の柱に野田内閣としてやっているということを、至る所でお話をしたところでございます。
その中でも、除染対策について、伊達市等、南相馬市も先進的に取り組んでいる。大変困難な中ですが、様々な形で14市町村の首長さん、こういった方法で除染をしているという前向きの形も出てきておるところでございまして、私もそういった過去の経緯からいっても、首長さんを先頭に各住民の皆さんが前向きに取り組むことによって、今の困難な事態を改善に結びつけていくことができると、こういうお話もさせていただきましたし、政府は全面的にそれをバックアップしていきたいと、こういうお話もさせていただきました〉
http://www.meti.go.jp/speeches/data_ed/ed110909aj.html
■果たしてこれは失言か?前後の文脈も含めて判断すべき
確かに鉢呂氏は「死の街」という発言をしている。だが、それは文脈の中の言葉だ。もう一度みてみよう。
〈残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でございました。私からももちろんでありますけれども、野田総理から、福島の再生なくして日本の元気な再生はないと、これを第一の柱に野田内閣としてやっているということを、至る所でお話をしたところでございます〉
果たしてこの発言が失言といえるだろうか。筆者には、どうしてもそうは思えない。だが、そう思う人もいるだろう。しかし、仮にそうだとしても、なぜその場で追及しないのだろうか。
裏では盛んに批判するが、本人の前では黙っている。これがいつもの記者クラブの記者たちのやり方だ。
■都合のいい声だけを報じ都合の悪い声は報じない、いつもの手
さらに驚くのはその後のことだ。「死の街」発言を、記者自らが批判するのではなく、匿名の福島県民の声を借りて、「福島県民が怒っている」とやったのだ。
「一通もなかったんですよ。当時、事務所には福島県民からの苦情や抗議が――。おかしいなと思いましたが、新聞やテレビでは抗議一色ということで、そうなんだなと思ったんです。なにしろ、記者のみなさんは聞き手のプロなんですから」
それはそうだろう。なにしろ、まさに記者クラブに福島県民からの抗議が殺到しているはずのその瞬間に、福島県内の被災者の間では「鉢呂大臣を辞めさせるな」という署名活動が始まっていたのである。
つまり、都合のよい一方の意見のみを大々的に報じ、自らに不都合な声はネグるいつものアンフェアな報道をまたしてもしでかしたのだ。
「辞めてからそういう声を聞きました」
鉢呂氏はこう語った。だが、それも後のまつりだ。虚報で大臣の地位から追いやられる。民主主義国家とは思えない事態が発生しても、メディアは検証すらしない。
そして、前夜の懇談での捏造「放射能、つけちゃうぞ」発言をあたかもその後に発言したかのように報じる。しかも、フジテレビが報じた「誤報」を、鉢呂氏本人に当てて確認することもせず、全社、横並びで報じたのだ。
当事者取材の欠如というジャーナリストとは言いがたい報道は日本中を駆け巡り、結果、鉢呂氏を辞めさせることに成功したのだ。
この捏造報道に関しては、現場にいた記者のひとり毎日新聞のN記者は、記事のでることを了解しなかったという。
だが、日本のメディアでは自社の記者の現場からの声よりも、他社との横並び報道が優先される。
もはや、報道とはいえない。メディアは早く、自らの放射能報道の検証をするべきではないか。
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