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紙には書かれないが、裁判批判のルールはある
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2011-10-18 17:34:06 弁護士早川忠孝の一念発起・日々新たなり
他人の口をテープで塞いでおいて散々に悪口を言っておいて、反論できるなら反論しろ、反論できないのなら俺の言ったことを認めた証拠だ、などと言ったら、誰でもそのやり方がおかしいことに気がつく。
他人の手足を縛りつけといて殴る蹴るの暴力を振るうのも、同じことである。
相手が反論できないことが分かっている時は、そのことを十分理解して節度ある批判に止めるのがいい。
ゲンダイネットや田原総一朗氏の裁判批判は、そういうルールを無視し、裁判所が反論できないことをいいことに好き放題のことを書いている。
まるで自分が不当な判決をもらった当事者のような激越な書きぶりだ。
よほど大手の新聞社や司法記者クラブに対する反感が強いのだろう。
日本のいわゆるジャーナリストの喧嘩っ早いのには、恐れ入る。
もう少し皆さん冷静になった方がいい。
何も物が言えない裁判所に代わって私が物を言おうとしているのだが、なにしろ当事者ではなく、まあ何の利害関係もない赤の他人だから、まあもっと落ち着いてください、皆さんが想定していることは事実ではないかもしれませんよ、前提が間違っていたら結論が変わるかも知れませんよ、と実に迂遠で、かつインパクトのない注意喚起ぐらいしか出来ない。
先ほどのブログで、検察の暴走かどうか、という問題を取上げたのは、あくまでニコニコ側が提起した論点の第一がそうなっていたからである。
郷原氏が、もし裁判所自体が暴走していると断言しているのであれば、これは法律実務家としては看過できない暴言になると言わざるを得なくなる。
まさか裁判書も見ないで裁判所が暴走したと断言するはずがないと信じているが、7月ごろの段階で、裁判所は大久保被告と石川被告間の共謀を認めないはずだ、これで小沢氏について無罪判決が言い渡されることは確実だと小沢無罪論を展開された郷原氏だから、ちょっと言葉が飛び過ぎて物言いが過度に断定的になった虞も否定できない。
いずれにしても多少の裁判批判、裁判所批判は出てくるだろうが、基本的には裁判批判は判決書を読んでから、というのが鉄則である。
今裁判所批判に転じている人たちは、石川被告らの検察官面前調書が任意性を欠くものとして証拠排除された時には裁判所の画期的な決定に大喝采を送り、賞賛の嵐で証拠排除決定を受け入れたのだと思う。
自分の期待するような判決や決定が出たから裁判所はたいしたもんだと賞賛し、自分の意に沿わぬ判決を出したから大ブーイングというのでは、およそ裁判というものを理解していないことになる。
当事者なら分かる。
判決に不服な当事者はいくら裁判所が噛んで含めるようにしても自分が納得しない判決は飲み込もうとしない。
しかし、公正な立場に立つはずの法律家やジャーナリストが自分の立場を忘れて当事者のような振る舞いをするのは、如何にも不自然である。
私の現在の立場で東京地裁判決が絶対に正当だと判断する資料はないが、経験的に、あの画期的な証拠排除決定を下した裁判所がすぐそれと分かるようなミスをすることはない、ということだけは分かる。
選りすぐられた裁判官3人で構成する合議体の裁判所が、もっとも世間の注目を浴びている裁判について、証拠なしで、まさに推認に次ぐ推認でもっておよそあり得ないような事実認定をして判決を下した、などということは常識的に考えられない。
これを裁判所が検察官の主張を丸写しした、とか、裁判所が検察官に迎合したなどと批判される方がおられるようだが、もしそういう具体的事実があるのだったら早めにその証拠を示していただきたい。
どうもネットでお目にかかる有識者の意見というのは、私たちの常識とはかけ離れているようだ。
日本人の常識は世界の非常識と言われたが、私の常識はネット論壇の非常識、ということになるのか。
いずれ裁判所の判断が下されるのだが、裁判所の判断が出る前に私なりの考えを述べておく。
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