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補助金政策こそが官僚たちの利権のもとだ
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/755.html
投稿者 星と月 日時 2011 年 10 月 18 日 08:11:29: vebXXayRfpINQ
 

政権交代して大騒ぎになったのは「ばら撒き」という言葉であった。子ども手当や高校の無償化、高速道路の無料化、農業に対する戸別所得補償、などの全てにマスコミは税金のばら撒きと一斉に非難を開始した。財政悪化がひどくなるという名目であったが、その本質が自民党の官僚による無駄な公共事業などの補助金政策で900兆円にもなっていた事実は何も報道されなかった。民主党の政策は補助金政策ではない直接支援ともいうべき、間に官僚たちの天下り先や特殊法人、利益団体を介在させないものであった。従って、これらの政策が増えるほど官僚たちの利権が無くなるので、その危機感からマスコミを使ってばら撒きという造語で世論操作を開始したのである。国民は何も考えずにまんまとその作戦に乗っかって、とにかく非難さえしてれば溜飲が下がるかのように世論操作のままに操られている。

この事は寄付に対する税制を見ても明らかである。田中良紹氏が何度も非難しているように、この国では寄付しても税金の控除がない。あっても条件が付くなどの制限があり出来るだけ機能しないような工夫がなされている。理由は単純なものであり、寄付が無税になれば民間からの資金で公共施設が作られたり、効率的な運営がされることによって補助金政策は根本的な意義を問われるからである。自分たちの既得権を擁護するためには税金の効率的な利用は官僚たちには最大の敵なのである。何か問題が出るとリーマンショックなどの対策のために何とか基金とかを作り上げて天下り先が作られ、原発事故では東電支援のための特別な組織までが作られる始末である。現在の国の政策は、ほぼ100%が補助金政策である。下らない食育教育から科学技術の振興などのものまでを含めて、あらゆることに対して官僚たちの恣意的な運用で巨額の税金がばら撒かれる補助金システムが国を歪めている。

いまマスコミが懸命に世論操作を開始しているTPPの参加問題を見てみるとその裏がよく分かる。たったの9ヶ国しか参加していない規模の小さな自由貿易協定という欺瞞にあふれる協定に参加しないと、日本は世界から取り残されるというバカげた論調に満ち溢れている。本当の目的は、マスコミが意図的に流している農林漁業が壊滅的な打撃を受けるという反対派の主張の一部の問題にある。これを逆手に取れば、TPPの参加の見返りとして各省庁は農林水産事業のための補助金政策を大量に作り上げる事ができる。こうしてわが国はどんどん官僚社会主義国家になっていくのである。この国を本当の民主主義にして財政赤字を無くすには、全ての補助金政策を全廃するくらいの大改革が必要である。増税などに何の意味もない。無駄な税金の使われ方が保たれたままで増税して何の意味があるのか。特別会計を含めた予算の改革と共に、その使われ方も大きく変えない限りこの国に未来はない。裏切り者の野田ブタ官僚依存内閣によって、増税に加えて年金支給年齢の引き上げなど国民負担だけが増やされようとしている今、国民は何を求めるべきが良く考えないととんでもない結果になることを良く考えるべきだ。  

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コメント
 
01. 2011年10月18日 09:48:41: YywBqRJTlM
>補助金政策こそが官僚たちの利権のもとだ

まったく同感です。
経済評論家の山崎元氏、大和総研顧問の原田泰氏、そしてエール大学教授の斉藤淳氏も同様の考え。

【山崎元のマルチスコープ】
◆「子ども手当」は、いったい何だったのか
子ども手当は、一見すると、「大きな政府」的な政策に見えるが、実は
官僚機構による裁量的な支出を、単純なルールに基づく非裁量的な経済力の
再配分に置き換える「小さな官僚政府」を目指す政策である。だからこそ、
子ども手当は、官僚の敵なのである。
http://diamond.jp/articles/-/13687
「官僚の敵」であるがゆえに、官僚と、官僚の代弁者である自民党に潰されたということ。

http://web.diamond.jp/rd/m1764277

■「子ども手当」は、いったい何だったのか
(前略)子ども手当は、いかにも民主党らしい、民主党の政策の長所を象徴するはずの政策だったが、
政権発足当初から、「バラマキである」、「財源の裏付けがない」といった批判を受けて、
何とも不人気な政策として、歪められて、その命脈が絶たれようとしている。
今にして思うと(当時もそう主張していたつもりだが)、
子ども手当は、政権初年から満額で実施して、その分追加で国債を発行し、
景気対策兼日銀の金融緩和の手段として用いれば良かったし、
もっと進めていうなら、「子ども手当」だけでなく、「大人手当」も創設すれば良かった。…
子ども手当、3つの特長
政策としての子ども手当には、3つの特長がある。
(1)子育てのインセンティブを強化する政策であること、
(2)使途が自由な経済力の再配分であること、
(3)単純なルールに基づく非裁量的な政策であること、
の3点だ。
政策のメリットが子どものいる家庭に限られることには、確かに議論の余地があった。
老人も含めて大人にも子どもにも、1人当たり一律の現金を支給する仕組みをベーシック・インカムと呼ぶが、
たとえば、基礎年金、生活保護、雇用保険などを廃止して、
1人当たり毎月数万円のベーシック・インカムに置き換えるような制度を考えると、
こちらの方が年齢による差別をしていない点で公平であり、経済力の再配分の仕組みとして、より網羅的なものになる。
▼75点くらいの評価をあげてもよかった子ども手当
ベーシック・インカムは、所得の把握が完全な場合には、
「負の所得税」(あるいは「給付付き税額控除」という冴えない名前もある)と同等の再配分効果を持つ仕組みだが、
「完全な所得把握」を前提とせずにシンプルに実施できる点で、負の所得税よりもさらにすっきりした再配分の仕組みだ。
こうしたベーシック・インカムと較べた場合に、子ども手当が、些か不公平だという批判は十分あり得ると思うし、筆者も賛成しないでもない。
しかし、ベーシック・インカムが90点の仕組みだとすれば、子ども手当も75点くらいは取れるのではないか。
そう捨てたものではなかった、と筆者は思う。…
「バラマキ」は本当に悪いのか。社会として、経済的な弱者への再配分の仕組みがある程度は必要であるとの立場に立つと、
問題はその再配分が「偏った再配分」なのか「公平な再配分」なのかということになるはずだ。
旧来の自民党政権で盛んであった、公共事業を通じた国から地方への経済援助や各種の社会保障的な政策は、
メリットを受ける対象者に偏りがあり、制度は概して複雑に細かく決められて官僚によって運営されていた。
これよりも、一定の年齢の子どもが居る家庭に一律の金額を裁量なしに機械的に配る子ども手当の方が、遙かにシンプルで公平ではなかろうか。
また、子ども手当が現金で支給される「自由なお金」であることも、大きな特長だ。
民主党の政策において、これだけ経済的な自由主義が尊重されたことは、ある意味では画期的なことでもあった。…
(自民党政権時代の)児童手当はもともと支給に計算が面倒な所得制限が付く制度だったが、
所得制限の少し下の収入と、所得制限を少し超える収入では、手当の有無によって、実質的な年収の逆転が起こる欠陥を持つ制度だった。
子ども手当の支給に所得制限は必要ない。
高額所得者にも支給されることが問題なら、高額所得者の税金の負担を増やせばいい。
「合計で、まあまま合理的」な制度を設計すれば良く、複雑で、経済行動のインセンティブを歪める
(今回の場合、年収を意図的に960万円未満に調整する誘因がある)制度を作るのは下策だ。

▼デフレ対策としての子ども手当
子ども手当は、本来、所得の再配分であって、景気対策やデフレ対策としての意味を持つ政策ではない。
長期にわたってならして考えると、子ども手当の財源は税金一般であるべきだ。
しかし、金融危機後に総需要が大きく落ち込み、同時にデフレが定着していた状況を考えると、
子ども手当は、経済政策の一部として有効な施策であった可能性がある。
特に、デフレ対策として有効だったのではないか。
たとえば、子ども手当の支給分(満額で年間5兆円)だけ追加で国債を発行しこれを日銀が引き受けていたらどうであったか。
財政赤字の拡大による短期的な需要の追加と、日銀による追加緩和になるが、
この場合、単に銀行が保有する国債(それも現金とほぼ代替的な残存期間短期の国債)を買って資金を注入するよりも、
子どものいる家計に広く支出される方が、民間に通貨が出回ることになっただろう。
子ども手当が、全て将来の税金支払いに備えて銀行に貯蓄され、
銀行がそのお金を日銀当座預金に預けてしまったら金融緩和の効果は無くなるが、全てが貯蓄に回ることはないだろう。
子ども手当は、将来にわたって継続的に支払われることが期待される所得となるので、
本来期待された形で制度として定着すれば、1回限りの定額給付金のようなものよりも、需要の喚起効果が大きかったはずだ。
財政赤字の拡大を日銀がファイナンスし続けるとインフレになりかねないが、
現在の問題はデフレなのだから、一定レベルのインフレ率になるまではそれでいいはずだ。
もちろん、将来、インフレが問題とされる状況が起これば、増税と金融引き締めを行うべきだ。
財政事情によっては、子ども手当も減額すべき状況があるかも知れない。
繰り返しになるが、子ども手当は、本来経済力の再配分の仕組みであって、景気対策の道具ではないが、
需要を追加したり削減したりする際のチャネルとして「まあまあ公平なバラマキ」である点が活用できる仕組みだ。
もっとも、この点を強調するのであれば、より完全な再配分の仕組みとしてのベーシック・インカムの実施を推奨すべきかも知れない。
▼「財政支出削減」と「子ども手当」の思想的共通点
民主党政権成立直後、少なくとも2009年度には、子ども手当を、
予定の満額、暫定的ではなく恒久的な法律に基づいて実施すればよかった。
経済の状況は、むしろそれにふさわしかった。
しかし、財源がないとして額を半分に値切り、時限的な立法で中途半端な形でスタートさせて、
早速メディアを使って子ども手当の「バラマキ」批判キャンペーンを展開したのが、
「霞ヶ関の方々」(個人ではなく集合的意思だろう)の機敏なところだったし、
これに乗せられたのが、民主党政権の頭の悪さの表れだった。
今頃になって子ども手当に拘るくらいなら、どうして、はじめから、この程度の企みに気付かなかったのか。
http://diamond.jp/articles/-/13687?page=4

■子ども手当は、官僚の敵
子ども手当は、官僚の敵だ。
考えてみよう。
子ども手当は、シンプルなルールに従って支給されるだけだから、官僚の権限・裁量を何ら増やさない。
また、年金を運用する基金のような天下り先につながる仕組みも作りようがない。
しかし、子ども手当が恒久的に実施されると、当初の予定では、年間5兆円強の予算を食う。
デフレ下の当初は赤字国債が財源でいいかも知れないが、やがて財政再建が問題になると、
子ども手当に食われた予算は、官僚の権限と(主に老後の)飯の種になっている数々の支出項目を圧迫するようになるはずだ。
歳入状況を一定とすると、子ども手当は、他の支出の削減を要求するのだ。
総選挙時の民主党のマニフェストによると、「ムダな支出の削減」があって財源が確保されて、
子ども手当の財源が確保される、というストーリーだったが、
子ども手当が確立・存続する場合、他の財政支出が圧迫される構図は変わらない。
つまり、子ども手当は、一見すると、財政支出を拡大する「大きな政府」的政策に見えるが、
実は、官僚機構(政治も関与するが)による裁量的な支出を、
単純なルールに基づく非裁量的な経済力の再配分に置き換える「小さな官僚政府」を目指す政策なのだ。
「脱官僚(利権)」という補助線を一本引いて眺めると、
「財政支出のムダの削減」という政策と「子ども手当」は、目指す方向性が同じであることが分かる。
そう考えると、「支出のムダの削減」が事業仕分けで巧みにガス抜きされてさして進展せず、
子ども手当がその重要部分を骨抜きにされる形で児童手当に吸収されることになった流れにも一貫性がある。
要は、子ども手当の現状は、民主党が「脱官僚」に失敗したことを示している。
http://diamond.jp/articles/-/13687?page=5
官僚支配打破を目指す「小沢マニフェスト」の象徴的政策だった子ども手当て。
小沢を潰したい自民党&官僚が子ども当て潰しに必死になるはずだ。

■大きな政府・小さな政府の議論は、福祉の大きさと、行政の大きさに話を分けて行うことが重要だ。
そうしないと、国民のニーズを正確に汲み取ることができない。
▼均等な「ばらまき」か、行政による「事業」か
この点に関しては、できるだけ偏らない配分で、使い道が自由な「お金」を再配分してくれる方が、
公平感があるし、行政コストが掛からないのではないか。
国や自治体がハコモノを作ったり、福祉関係の事業に補助金を出したり、
教育費などに使途を限定した支出を行ったりするのは、時に便利であるかも知れないが、
お金の使途が不自由であり、生活スタイルへの介入でもあるし、
何よりも、多くの行政関係者の関与を必要とする分コスト高だ。
こう考えると、何の権限にも天下り先の確保にもつながらずに予算を食う「子ども手当」を
官僚及びその周囲の利害関係者(大手マスコミなど)が目の敵にする理由がよく分かるのではないか。
尚、子ども手当に対する所得制限は事務を複雑にするし、不要だ。
お金持ちにも手当が支給されることが問題なら、お金持ちの資産なり所得なりにもっと課税すればいい。
手当の仕組みはシンプルに保って、公平性の調整は課税の見直しで行えばいい。
(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員/山崎 元)
http://diamond.jp/articles/-/11333?page=3

■バラマキは正しい:原田泰『なぜ日本経済はうまくいかないのか』
本書は、原田泰さんの最新の時事論説集である。原田さんの持ち味である常識を覆すような斬新な視点と、
それを裏付ける実証的なデータや簡単な計量分析の結果が駆使されていて、さすがに読ませる。
特に日本のマスコミや政治家の間では、「バラマキは悪である」という意見が根強い。
これは僕もしばしば奇矯な意見だと思っているもののひとつだが、
それに対して原田さんも以下のように書いて「バラマキ=悪」論に反論している。
「バラマキが悪いという人々には、バラマキでない政策がどれだけ良いのかを具体的に示してほしいと思う。
東日本大震災でも、バラマキ型の政策が有効である。
被災者に直接の金銭給付をする方が、山を削って丘を作るよりも効率的である」
これは原田さんの意見ではないが、「バラマキ」という語感のみから、
おそらく多くの人はそれが好ましくないとでも思うのだろう。
官僚や政治家が使い道を限定しているやり方こそ非効率とまた利権の温床だと、
多くの国民が批判しているにもかかわらず、
同時にそれをバラマキ(多数の人に薄く広くお金の使い道を託す)よりも優越していると考えている。
これは無知によるものなのか、それとも自己欺瞞なのだろうか? ・・・
要するにバラマキ政策は、特定の階層に特定の使い道を強制するのではない、という意味でバラマキなのだ。
それは税金の効率的な使途だ。対して、バラマキ=悪論はしばしば政府よりの論者やまた政治家から聞こえるが、
ようするに自分たちの既得権を削られてバラマキにまわされるのが好ましくないといいたいのかもしれない。
震災復興の点でもバラマキ政策は有効だと原田さんはいう。
例えば仮設住宅の提供だけではなく、家賃補助というバラマキも選択肢に積極的にいれるべきだという。
これも議論をよぶ論点だろう。
本書はバラマキ=悪論という、その実態は単に「バラマキ」という言葉のイメージでしか考えていない
多くの人々に十分な啓蒙のための素材と考えるヒントを提供している、非常に刺激的な本である。
またさまざまな政治メカニズムの経済学的分析も豊富だ。原田節の炸裂といっていい。
http://real-japan.org/2011/06/07/531/

■「なぜ日本経済はうまくいかないのか」原田泰 (著) /大和総研顧問
内容的には、たとえば、第1章では、いきなり「バラマキは悪くない」から始まり、この主張があちこちに出てきます。
一見意外な論調のような感じがしますが、言わんとするところは
「能力に欠ける役人が恣意的な政策にカネを使うより、
民間や個人にそのままカネを渡して使い方を選ばせたほうがよりよい資源配分ができる」という、わりとよくある主張です。
そして、「財政政策だけでなく、金融政策を使ってデフレ経済から抜け出すべき」ということが書かれていますが、これもよくある主張です。
民主党の事業仕分けの委員に選ばれただけあって、「バラマキ」との批判が強い、
子ども手当や農家の戸別所得補償制度に賛成するなど、民主党の政策に肯定的な主張が目だちます。
以下、本文より引用
現行の政策には無駄が多い。これを人々に直接配るバラマキに変えて悪いことは何もない。
経済を発展させる要諦は、現状を改善したいという人々の創意をできる限り阻害しないことだ。
現場を知らない官僚組織が、人々にあれこれと指図することが膨大な無駄を生み出している。
また、壮大なビッグプロジェクトが成功したことは少ない。
バラマキ政策は、人々の創意を阻害しないがゆえに、より効率的な政策になる。
その政策を行うのと、ばら撒いてしまうのとどちらが良いかをまず考えるべきである。
日本がうまくいかないのは、政治家や識者と言われる人々が、普通の人々の自発的な力を信じていないからである。
人々の自発的な力を引きだすのはバラマキ政策であり、金融政策である。
http://www.amazon.co.jp/dp/4106036770
原田泰氏には指導を受けたこともないし、お目にかかったことすらないのだが、自分の主張と共通するものが多い。
普段データを見ていて私が感ずることを、もっとも的確に主張されている方の一人だ。
(斉藤淳/エール大学准教授)
http://twitter.com/#!/junsaito0529/status/97448068626132992


02. 2011年10月18日 10:29:18: AQqyLULhMc
最近、この投稿者の記事は、小沢支持から小泉的新自由主義支持に変わってきているように見える。
現状を憂い、小沢さんを支持してくれていると思って読んでいると、洗脳されてたりして。

例、

全ての行政を民営化しよう
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/410.html
投稿者 星と月 日時 2011 年 10 月 07 日 18:35:39: vebXXayRfpINQ


03. 2011年10月18日 13:12:30: FUviF2HWlS
>>02

仰るとおりに、投稿者の星と月さんは、新自由主義政策の支持者のようですね。
端的には、新自由主義とは、政府はあくまで市場の監視役であって、政府は国家の経営責任を放棄するという立場である。

新自由主義者で改革派元官僚・古賀茂明氏も中小企業への補助金行政を批判しています。新自由主義において、政府はルールを制定し、制定されたルールを守らせるだけで、ゲームの結果には一切責任を負わない存在です。政府は、国民に対して、国民の所得の平均値の上昇も、所得のばらつき(分散・偏差)の低減にも、何ら政府の政策上の結果責任を負いません。ただ、最小限のルールを定め、ゲームがルール通りに進めることに責任を負うだけです。そして、敗れたチームは組織を解体し、個人の失業者という、組織としてそれ以上分割不可能な最小単位に分解することを理想とします。その結果、組織の持っていたノウハウや技術、連帯感が失われることになります。

反・新自由主義の立場では、政府が国家の経営目標を達成するための手段として、企業の破綻回避を援助する補助金行政も肯定します。そのかわり、透明性と公平性、有効性、効率性が確保されていなくてはなりません。それには、政府の情報開示と国民による検証と政治へのフィードバックが欠かせません。


04. 2011年10月18日 15:43:25: YywBqRJTlM
>>02-03
「新自由主義」の定義によるだろう。
小沢氏だって、旧自由党の党首を務めていたように自由主義者だ。

子ども手当てや戸別補償など、中間団体を介さない直接給付的な政策を掲げた。

■宮台真司氏
元々の新自由主義と、いわゆるネオリベとは区別しなければいけません。
ネオリベ=市場原理主義は、「小さな政府」&「小さな社会」の枠組みです。
新自由主義の「小さな政府」&「大きな社会」の枠組みとは全く違います。
でも、そうした初歩的な混同は日本に限ったことではありません。
ちなみにぼく(宮台)は、元々の意味での新自由主義者です。
「大きな社会」、すなわち、経済的につまづいたりちょっと法を犯した程度では路頭に迷わずに済む
「社会的包摂」を伴った社会を、グローバル化の流れの中で、どうやってつくり、維持するのか。
むろん道徳的伝統主義のような、かえって「社会的排除」を導く枠組を、頼るわけにはいきません。
 だから、家族の包摂性、地域の包摂性、宗教の包摂性といっても、
かなり強い「社会的排除」を伴う旧来の家族や地域の宗教の、復活や維持を構想するわけにはいきません。
単なるノスタルジー(復古主義)では役立たないということです。
そこで、機能主義的な発想が要求されることになります。
http://blog.goo.ne.jp/mildwoods/e/4613e8b57dd63f84a6e608d5192c921d


05. 2011年10月18日 16:07:48: YywBqRJTlM
小沢一郎は民主主義と自由主義、普通の国を目指しているだけなのだが
小沢一郎が主張している事は単純で、単純すぎるが故に難しい。そこが彼の最大の魅力だ。
彼の日本の真の民主主義実現に向けての熱意。民主主義を補助する形で存在する法治と云う観念(故に悪法でも従う姿勢)。
普通の国となり、自由に外交・経済を展開する事。
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/3feab554b6157da4c65795de93fd9e73
旧自由党時代から小沢氏を支持していた私からみれば、当然の考え方だと思うが、
そうでない人から見れば、小沢氏はかなり厳しいことを言っているように見えるだろう。

企業団体に対して補助金を出すより、個人に直接給付したほうが効率的かつ公平ですよ、という考え。

上久保教授がわかりやすく解説しているが、民主党自身が、小沢氏の考え方、あるいは旧自由党の公約を理解しているかどうか疑問。

■「直接補助」政策を掲げる民主党政権の“踏み絵”〜業界団体を破壊するのか、取り込むのか
辻広雅文(ダイヤモンド社論説委員)【第84回】 2009年09月16日

地方における公共事業は、いわば“国内ODA”だと批判されることがある。
投下された資金は、族議員を始めとする有力者たち、業界団体であるゼネコンなどに幾度も中抜きされ、
地元の人々、家計には十分に回らない。
建設された箱物自体が必要不可欠なものではなく、経済活性化に役に立たないことが多いことも、ODAによく似ている。

では、どうすればいいか。
経済学的に言えば、最も効率がいいのは、直接家計におカネを配ることである。
そうすれば、おカネの配分権限を中間者に握られ、また中抜きされることもない。
不要な道路や公共施設建設に、資材や資源、労働力が無駄に使われることもない。

前者を「間接補助」、後者を「直接補助」と呼ぼう。
前者は戦後自民党が築き上げた国土均等発展、地域間や家計間の格差を是正する所得再配分システムである。
政治と末端の中間に位置し、双方を結び付け、分配する権力、裁量を握っていた代表例が農協、郵政、医師会、ゼネコンといった業界団体であった。

それに対して、民主党は、子ども手当ての支給、高速道路無料化、農家戸別補償などの直接補助政策を掲げている。
つまり、それは各種の業界団体を飛び越えて所得を再配分する政策である。
前者が、公共事業を通じて供給側(企業、産業)をテコ入れする手法であるなら、
後者は、需要側(家計、消費者)に焦点を当てる政策、と言ってもいい。

この直接補助政策を民主党は高らかに掲げ、総選挙に圧勝、悲願の政権を手にした。
そして、この未知なる与党には、ある「踏み絵」が待っている

もう少し、説明を加えよう。
中間業界団体を通じて末端にまでおカネを回す間接補助政策は、二つの柱に支えられていた。
一つは、補助金、助成金などの特別な予算措置であり、もう一つは、法規制あるいは裁量規制によって生じる超過利潤である。
前述した農業、郵政関連事業、医療などが典型的な規制保護産業であったことは、言うまでもない。

ところが、日本経済が低成長時代に入り、そこにバブル崩壊が加わって長期低迷に至ると、
補助金や助成金などの優遇措置の原資である税収が減少した。
公債発行による借金も世界一の水準に達した。
そうして、税金が流れ出す蛇口は止まり、還流ルートは細る一方になった。
一つの柱が崩れそうになれば、もう一つの柱にしがみつこうとするのは理の当然である。
中間業界団体は、規制保護による既得権にますます固執するようになった――。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10084/

そこにメスを入れたのが、小泉政権であった。
構造改革によって、規制を外し、既得権を剥ぎ、生産性を向上させようとした。
長きに渡って二重の保護政策に使ってきた規制産業は、すっかり競争力をなくしてしまっていたからである。
経済の活性化を本気で志向する政府であれば、遅すぎるほど政策であった。

だが、後を引き継いだ三代の自民党政権は、小泉政権がさまざまな格差を拡大したと批判されると、
構造改革路線を次第に離れ、かっての間接補助型の所得再分配方式に回帰し始めた。
その結果、自民党は二つの相反する主張を持つ層からともに批判されることになった。
格差拡大に怒り、その是正が不十分だと不満を持つ層と、
構造改革路線が中途半端に終わり、既得権益層の逆襲が始まっていると批判する層である。

この二つの層がともに自民党を拒否し、民主党を支持した。
あるいは、巧みに民主党が引き込むことに成功した。
これが、総選挙における民主大勝の理由である。

しかし、この大勝によって、民主党は難問を抱えることになった。
相反する主張を持つ層に対して、どちらも満足させる政策を打つことなどできない。
どちらを向くべきなのか、踏み絵を踏まなければならないのである。

彼らの政策手法は、直接補助である。
上記したように、間接補助の仕組みは維持しようにも維持できない時代背景もある。
とすれば、おカネの流れから中間業界団体を外す傾向を強めることになる。

実際、農家に対する戸別補償は直接補助の最たるものであり、農協組織に多大なる打撃を与えることになるだろう。
小沢一郎代表代行も、農業改革における農協の存在を障害だと口にすることがある。
その狙いは、自民党族議員―農協―農水省という鉄のトライアングルの解体であろう。

また、民主党のマニュフェストには、厚労省と文科省に分かれている育児支援を一元的に担当する「子ども家庭省」の設置が盛り込まれている。
つまり、保育園と幼稚園の一元化である。両者の一元化によって、
それぞれに関係するあまたの協会、団体などを廃止し、助成金、補助金などを取り上げ、その代わりに、育児家庭に直接補助を行うのである。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10084/?page=2

このように中間業界団体を干上がるに仕向けて、自民党型の既得権益維持システムを破壊する方向に進むなら、
民主党は構造改革推進派の支持を重視する政権運営に舵を切ることになる。

ところが、構造改革による既得権益打破の象徴である郵政民営化に対しては、まったく逆の政策を遂行しようとしている。
国民新党を連立に加え、日本郵政の4分社化は凍結、西川善文社長を辞めさせ、一体化にまで逆行させようか、という意気込みである。

これらの正反対の政策の混在を、どう考えたらいいのだろう。

総選挙で大勝したことで抱え込んだ踏み絵という難題を、まだ整理できていないのかもしれない。
そうではなくて十分理解しているのだが、例えば日本郵政の労組を始めとして支持、支援してもらった団体には配慮せざるを得ない
という政治的リアリズムゆえかもしれない。
もっとずる賢く、農協外しや育児支援一元化という先制パンチを、他の業界の中間団体がどれほど恐れ、恭順の意を示すのかをじっと観察し、
いずれ取り込みを図ろう、という心積りかもしれない。
この場合は、いくつかの既得権維持システムは変形されて、民主党に引き継がれることになるだろう。
おそらく、こうしたさまざまな事情、思惑が民主党内部にうず巻き始めているのだろう。

最後に、もう一度、直接補助政策の特質に立ち戻りたい。

間接補助政策からの転換を図るということは、その産業を保護している規制を外せるということである。
技術革新を生み、生産性が向上するような自由競争的な市場を制度設計できるということである。
それは他方で、正当な競争の上に敗れた企業には退出を促し、
雇用維持のための過剰な政府支援は行わないという自由主義的冷淡さを併せ持つ政策である。

しかし、その一方で、個人が仮に失業しても生活を維持し、なおかつ職場に復帰できる支援システムを社会保障政策として遂行する、
つまり、個人に直接補助し、護る、という政策である。

旧産業再生機構の専務を務め、現在は経営基盤共創基盤センター代表である冨山和彦氏は、直接補助政策の本質を、
「企業や産業を競争に追い込み、生産性向上をひたすら図ってもらうと同時に、
個人に対する高福祉高負担が両立する政策だ」と表現する。

この本質を民主党が理解しているか、その一点を注視したい。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10084/?page=3


06. 2011年10月18日 19:06:10: fzUzln41NI

小沢も変わった。昔は「グランドキャニオンに柵はない」と言い切っていたのに、現在は「但し危険を警告する看板は必要だ」と言うようになった。
自由党時代までの小沢は支持できない。
国民の生活が第一、政治とは生活であるというスローガン、田中角栄のような政策を期待して政権交代を願ったのだ。

今はこの惨状に絶望しているのだが。


07. 2011年10月18日 22:26:45: ldJeRFefcU
・20111018 たね蒔き「2日目は反骨のエリート官僚 古賀茂明さん」(録音)

1.http://www.youtube.com/watch?v=zRqibwsuK6A
2.http://www.youtube.com/watch?v=-MwZpf8Kz9U


08. 2011年10月19日 07:15:48: xmGHe384h2
>>06
それは単なる懐古趣味。
田中角栄時代の電源三法で原発を地震列島に54基も乱立させる政策は、
時代遅れ。

自民党政治=「官僚支配」「政官業癒着のあっせん分配&利益誘導のブローカー政治」の打破を目指しているのが小沢一郎。

■『自民党長期政権の政治経済学』斉藤淳著(エール大学・政治学者)
(前略)読み終えて思ったのは「自民党政権と貧困ビジネスは同じだったのか!」ということです。…
この本で注目すべき内容はたくさんあるのですが、個人的にあげたいのは次の3つ。

1 自民党は自らの実績を有権者に説明するのではなく、有権者にきちんと自民投票したかを説明させる「逆説明責任体制」をつくった。
2 交通インフラの整備は逆に自民党の支持基盤を破壊する。
3 そのため、自民党が強い地域では意外なことに交通インフラの整備が遅れており、その一方で、有効性の低い公共投資が行われる。
4 結果的に、自民党の金城湯池である地域ほど、実は交通インフラなどが整備されてなく経済成長からも取り残されている。

1の「逆説明責任体制」とはやや分かりにくい言葉ですが、次のようなものです。
普通、政党、特に与党だった政党は任期中の実績をアピールして選挙に臨みます。
ところが、自民党の長期政権の中で、自民党はそれほど実績をアピールせずに逆に選挙での得票状況をチェックして,
公共事業等の配分を行うことが行われていました。
つまり、有権者側が自民党に対して自民党を支持していることを「証明」しなければならなかったのです。
このように考えると、小さな村や町などで自民党の支持が厚かったことも、
単に住民が保守的だったからというのではなく、小規模な村や町ほど地方議員の数も多く、
また町内会などの結束も強いので監視が容易だったからと考えられるのです。…

3。竹下登、青木幹雄という自民党の有力者を出した島根県は全国でも有数の「自民王国」ですが、交通インフラは未発達なままです。
この地域でもっとも重要だと考えられる山陰自動車に関してもいまだに全面開通には至っていません。
一方で島根県では、現在は中断された中海の干拓事業に30年以上にわたって500億円以上の工費が投じられました(133ー135p)。
そして、島根県の人口一人当たりの行政投資額は1980年代なかばからずっと全国1位です。
つまり、島根ではあえて交通インフラを整備せず、それ以外の分野に集中的に公共投資が行われているのです。
もちろん、単純に新幹線や高速道路を熱望し、その実現に尽力する自民党の代議士も多いでしょうが、
島根ではより狡猾な戦略がとられていたと考えられます。

そこで4。
自民党の代議士にとって有利な公共事業とは、実は経済成長を実現させるものではなく、いつまでも自らがコントロール可能なものです。
ということは素早く完成させる必要はなく、場合によってはいつまでもダラダラと工事が続いたほうが自民党の代議士にとっては有利になります。

本書に皮肉なことに与党の政治家は、地元後援会や業界団体の要求に全く応じない場合には支援を受けられないが、
逆に早期に要求を実現してしまうと、その後の支援体制が弱体化する可能性が高かった。(16p)
とありますが、八ッ場ダムなどはまさにその成れの果てと言えるのかもしれません。…

もちろん、自民党の個々の代議士があえて自らの地盤を低成長のままにとどめようとしたわけではないでしょうが、
結果として、自民党の支持基盤が厚い地域ほど、経済成長から取り残されているような現象が起こっています。

冒頭で「貧困ビジネス」といったのはこのことで、貧しい地域は公共投資を得るために自民党に頼るしかないが、
その投資は有効なものでないため経済成長は起こらない、よってますます自民党に頼るという、
ある種の負のサイクルが働いていたことがこの本からは読み取れるからです。
http://d.hatena.ne.jp/morningrain/touch/20101006/p1


09. 2011年10月19日 18:42:57: sWDtD0HhJI
グランドキャニオンには柵がない。これは今でも正しい。

どこでもそこでも役人が干渉し、勝手に恣意的に善悪を判断するでないということだ。それを認めれば役人の仕事は無限大になる。

一般の人がそこを通らなけらばならない場所は別だ。しかしこの地球には山もあれば谷もある。そのおかれた環境の中で人類は適応・進化してきたのだ。人が山を歩いて、すべってけがをしたから山の所有者、管理者を訴えるのが正しいはずはない。


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