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野田にとってはどうでもいいことなのだが、小沢一郎にとってはハラワタの煮えくりかえる思いだろう。
内閣法制局長官の国会答弁復活検討 (産経ニュース 2011.9.13 )
***藤村修官房長官は13日の記者会見で、政治主導を掲げる民主党政権下で原則禁止としていた内閣法制局長官の国会答弁について「政府特別補佐人をどうするか改めて検討は必要だ。次の国会に向けて改めて検討したい」と述べ、早ければ次期臨時国会で本格的に復活させる考えを示した。民主党国対でも今後、検討作業を進める。内閣法制局長官は鳩山由紀夫内閣以降、国会で常時答弁できる「政府特別補佐人」から外れており、法令解釈の答弁は官房長官が原則的に担当。
内閣法制局長官は質問する議員の求めがあった場合にのみ「政府参考人」として答弁するにとどまっていた。民主党政権では民主、社民、国民新の3党が昨年5月、内閣法制局長官ら官僚の国会答弁禁止を盛り込んだ国会法改正案を議員立法の形で提出していたが、今年5月に取り下げている。これに関連、野田佳彦首相は13日の閣議で政府の法令解釈事務を内閣法制局出身で弁護士資格を持つ平岡秀夫法務相が担当するよう指示した。***
小沢一郎の敵の一つに内閣法制局がある。小沢一郎はかつて内閣法制局を廃止するための法案を提出したことがある。
平成15年5月30日 衆議院提出
内閣法制局設置法を廃止する法律案
自 由 党
内閣法制局設置法(昭和二十七年法律第二百五十二号)は、廃止する。
理由
内閣法制局を廃止するため、内閣法制局設置法の廃止その他所要の規定の整備を行う必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
マスコミはこれを小沢一郎の私怨によるものと報道している。"私怨"という言葉で問題の本質を隠してしまったのだ。内閣法制局は、小沢一郎が自民党幹事長だった1990年に国連平和協力法案(廃案となる)に関して、頑強に抵抗した。これが、小沢一郎と内閣法制局との確執の原因という見方が一般的になっている。
内閣法制局とは何か?それは、官僚機構が政治に対して打ち込んだ強力なくさびである。議院内閣制、特に小沢一郎の唱える”政治主導”とは明らかに相容れない組織なのである。全国会議員722人のうちで、内閣法制局廃止を本気で主張しているのは小沢一郎ただ一人であろう。ほとんどの国会議員は、その意味さえ理解できないでいる。内閣法制局はその背後に全官僚組織がついているのだ。小沢一郎一人を排除すれば、この組織は守れるし、官僚の権力構造も守れるということになる。内閣法制局は”法の番人”とも呼ばれる。
内閣法制局設置法
第3条 内閣法制局は、左に掲げる事務をつかさどる。
1.閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること。
2.法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること。
3.法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること。
4.内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと。
5.その他法制一般に関すること。
内閣は、内閣法制局を通さなければただの一本の法律案も閣議にかけられない。特に第一項の条文はすごい。法制局によって「所要の修正」を加えられた場合、内閣はその修正された法案を提出しなければならないのか?憲法は内閣に法案提出権を認めている。内閣法制局はこの内閣の法案提出権を抑制する機関である。もちろん憲法に基づいて設置されているわけではない。
内閣法制局は、キャリアの採用をしていない。幹部職員は各省庁からの出向である。
現在の法制局長官 梶田 信一郎
昭和46年 6月 東京大学法学部卒業
昭和46年 7月 熊本県事務吏員(東京事務所)採用
昭和46年 10月 熊本県総務部地方課
昭和48年 4月 自治省財政局地方債課
昭和49年 6月 国土庁計画・調整局総務課
昭和51年 4月 三重県企画調整部企画監
昭和56年 7月 自治大臣官房総務課課長補佐
昭和61年 4月 自治省税務局企画課理事官
昭和62年 7月 内閣法制局参事官(第一部)
平成 4年 7月 自治省税務局市町村税課長
平成 6年 7月 兵庫県総務部長
平成 8年 4月 内閣法制局総務主幹
平成11年 8月 内閣法制局第三部長
平成16年 8月 内閣法制局第一部長
平成18年 10月 内閣法制次長
平成22年 1月 内閣法制局長官(鳩山内閣)
自治省出身の純粋な官僚である。ついでに数人の長官について見てみる。
宮ア 礼壹
1967年9月30日 司法試験第二次試験合格
1968年3月 東京大学法学部卒業
1968年4月 司法修習生
1970年4月8日 東京地方検察庁検事
1971年3月25日 岡山地方検察庁検事
1974年8月20日 東京地方検察庁検事
1977年4月18日 札幌地方検察庁検事
1979年3月26日 法務省矯正局付
1984年3月26日 東京地方検察庁検事
1984年11月20日 法務省刑事局参事官
1987年9月21日 内閣法制局参事官(第二部)
1993年7月30日 内閣法制局総務主幹
1996年1月16日 内閣法制局第二部長
2002年8月27日 内閣法制局第一部長
2004年8月31日 内閣法制次長
2006年9月26日 内閣法制局長官就任
2010年1月15日 内閣法制局長官辞職
検事上がりである。その前の長官は、阪田雅裕・大蔵省出身。その前は、秋山 收・通産省出身。その前は、津野 修・大蔵省出身。要するに役人が内閣の首根っこを押さえている。こんな構造に小沢一郎一人が異議を唱えた。この内閣法制局についてその姿はくわしく知られているとはいえないようだ。
「内閣法制局を見学してきました」西川伸一『もうひとつの世界へ』第12号(2007年12月)参事官は必ず他省庁のキャリア組からの出向者で、審査事務や意見事務の責任者である。もう一人奥にみえるのが参事官付で参事官の補佐をする。参事官付はノンキャリアでプロパー(内閣法制局が新卒者を採用)と出向者が混在している。77名の定員のうち、プロパー職員は33名とのことであった。この写真のように、参事官と参事官付が2人一組で審査にあたる。この西川氏に内閣法制局についての貴重な論攷がある。明治大学政治経済学部教授。専門は、国家論、現代官僚制分析。
内閣法制局による法案審査過程ー「政策形成過程の機能不全」の一断面としてー
《要旨》
内閣法制局は,各省庁が起草する法案,政令案や条約案が憲法をはじめとする既存の法体系に反しないかを審査する内閣の一機関である。いかなる法案や政策もここの了解なしには閣議に持ち出せない。本来,内閣法制局は法制面の技術的専門機関であるはずである。しかし,同局はそれが審査の際に強調する論理一貫性と「事前規制」の哲学をてこにして,結果的に政策判断にまで踏み込んでいるのではないか。そして,国民の代表者たちによる政策選択の幅を狭めているのではないか。これらの点を検討する。
長くなるので引用はほんの一部だけにするが、本当は全部読んでいただきたい論文である。
(実はこの変換過程に,)国民の代表者の政策志向にくちばしを入れる装置がわが国には制度的に組み込まれている。すなわち,本稿でとりあげる内閣法制局である。法案審査に携わる参事官は,すべてキャリア組で他省庁からの出向者によって占められている。「法制局の仕事はある程度の行政経験が求められ」るとの理由から,内閣法制局では一貫して参事官採用は出向者に依っている。
参事官のほか,「つけ馬」と俗称されるやはりキャリア組で他省庁からの出向者の参事官補,ノンキャリ組でプロパーの事務官が審査を補佐する。「政府内ナンバーワンの権力」(五十嵐敬喜法政大教授)とまで形容される内閣法制局の影響力
総務主幹というポストは幹部への登竜門ポストであり,内閣法制局の歴代長官はみなこのポストを経て部長,次長,そして長官へと昇進している。
総務主幹→第一部長→法制次長→長官 どうやら法制局には独特の出世コースがあるようだ。それでは現在のそれぞれの役職者をみてみてよう。
総務主幹 松永 邦男 自治省・総務相出身
第一部長 横畠 裕介 検察庁出身
法制次長 山本 庸幸 通商産業省
法制局長官 梶田 信一郎 自治省出身
彼らの忠誠心はどこに向けられるか?
第一に、出身省庁。
第二に、法制局。
第三に、内閣。
西川論文には官僚の思い上がりの極みと言うべき発言が紹介されている。まるで官僚機構が内閣に送り込んだ憲兵隊である。
吉国一郎元内閣法制局長官の在職時の次の国会答弁がある。「法律の解釈は,客観的に一義的に正しく確定せらるべきものでありまして,行政府がこれをみだりに変更することなどはあり得ないものでございます」衆院予算委員会・1975年2月7日。
彼らは、立法府である国会を全く無視している。「行政府がみだりにこれを変更する」ならば、国会がそれをチェックすればいいのである。しかも国会にはそれぞれ衆議院法制局・参議院法制局が置かれているのである。内閣法制局は無用有害の存在である。
しかし彼らは決して内閣の死命を制することのできる権力を手放そうとはしない。内閣法制局とは、官僚機構による内閣コントロールのための橋頭堡なのである。100年かけてこしらえ上げてきた官僚機構の奥は深い。
冒頭の産経記事に戻る。
***これに関連、野田佳彦首相は13日の閣議で、政府の法令解釈事務を内閣法制局出身で弁護士資格を持つ平岡秀夫法務相が担当するよう指示した。***
これもまた西川論文から引用させてもらう。
***参事官としての任期は基本的に5年間となっており,通常の2年程度というキャリア組の異動のサイクルからすれば非常に長い。この間の「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」によって,3年でようやく一人前の参事官になるという。そして,任期が終わればひとかどの法曹として.認められ,弁護士資格を得る***
そこであらためて弁護士でもある平岡の経歴をみてみるとなんと大蔵省の役人ではないか。
東京大学法学部(在学中の1975年10月司法試験合格)を卒業。
大蔵省 [編集]1976年4月に大蔵省に入省し酒田税務署長、駐インド大使館一等書記官、東海財務局理財部長、内閣法制局第三部参事官、国税庁課税部法人税課長などを務めた。
司法試験には合格していたが、司法修習は受けていない。弁護士法第5条の特例措置により司法修習を経ずに法曹資格を取得している。しっかり法制局の恩恵にはあずかっていた。
野田が大蔵省そして法制局出身の平岡を法務大臣に起用し、「政府の法令解釈事務」を担当させることにはそれなりの計算があってのことだろう。野田が内閣法制局つまり官僚との和解に一歩も二歩も踏み出していることは間違いない。というより、完全に頭を下げてしまっている。小沢一郎との政治家としての見識、問題意識の乖離は余りにも大きい。立っている地平が違う。
http://yamame30.blog103.fc2.com/blog-entry-194.html
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