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私刑にかけられている小沢一郎の運命 この国は民主主義国でも法治国家でもない
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2011/10/12 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
民主主義を標榜するこの国で暗黒裁判が強行され大マスコミが有罪を求めている政治実力者抹殺の信じられぬ蛮行
--戦前は天皇制絶対の憲法下でお上はやりたい放題だった。戦争に負けて平和憲法が制定されたが60年も経った今ではその内容も運用も主権者の国民のためでなく為政者の体制維持のために存在している
今月6日、初公判を終えた小沢一郎元民主党代表が記者会見で痛烈な司法、検察批判を繰り広げたことは周知の通りだ。
「私は実質的な犯罪を犯した証拠がないのに東京地検特捜部から強制捜査を受けた」「延々と捜査を続けたのは常軌を逸している」「検察が個人を標的にしたとしか考えようがない」「政治的な抹殺が目的であることが推認できるが、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為だ」「国民の負託を受けていない検察が議会制民主主義を踏みにじり、国民主権を冒(ぼう)賣(とく)した」「恣意的な権力行使が許されるなら、民主主義国家とはいえない」
もちろん、海外メディアも報じていたが、さて、世界中の人々はどこの国のニュースだと思っただろう。
言うまでもなく、小沢は与党の最高幹部で、最有力の首相候補だった。そんな人物が革命が起こったわけでもないのに、現行の司法・検察に対して、「民主主義を破壊する暴力行為」とまで断じたのである。
小沢のセリフだけ聞くと、この国はエジプトかリビアか、北朝鮮か、と思ってしまう。いずれにしても、人権を無視し、民主主義とはかけ離れた独裁国家か何かである。何が先進国だ、と言いたくなる。本当に検察が暴走し、小沢を政治的に抹殺しようとしたのであれば、大ゴトだ。小沢が言う通り、司法の自殺行為であり、魔女狩りになる。
日本人はもっと大騒ぎしなければいけないのだが、驚くべきは小沢会見を受けた国民の反応だ。 腐りきった大メディアが、それでも小沢極悪人説を展開するのは予想できたこととはいえ、国民もそれを妄信し、検察ファッショに無反応。世論調査をやると、相変わらず、8割くらいの国民が小沢に「4億円を説明せよ」と迫るのだ。
◆戦前と同じ道を歩みつつある日本
日本はどこか狂っているのではないか。
在日50年の米国人ジャーナリストのサム・ジェームソン氏はこう言った。
「日本の司法制度では容疑者の取り調べに弁護士が立ち会えない。しかも、司法記者クラブが常に検察寄りの報道をする。容疑者は極めて不利になります。今回の小沢元秘書の裁判を見ても同じように感じました。厚労省の村木局長の冤罪事件が目の前にあったにもかかわらず、推定無罪の原則が守られているのか。大いに疑問でしたが、国民がおとなしいのは、私はそれを評価していますが、耐え難きを耐える国民性なのでしょうか」
日本は戦前、帝人事件によって政党政治を破壊された。司法・検察の暴走によって、閣僚や官僚、財界人ら16人が逮捕されたが、全員が無罪になった事件である。政党政治は危機に瀕(ひん)し、忌まわしい戦争に突き進む一因となった。ジャーナリストの魚住昭氏は小沢メッセージの背景には「帝人事件があるのだろう」と言う。
こうした司法・検察のやりたい放題を許せば、天皇絶対で、お上はやり放題だった戦前のように人権はどんどんないがしろにされていく。その対象が小沢のような影響力のある政治家であれば、戦前と同じように国は針路を誤ることになる。
それに気づかず、ノホホンとしているのは日本人だけなのだ。
◆一連の小沢事件は何から何まで憲法違反だ
改めて言うまでもないが、2年前の西松事件に端を発する一連の小沢事件はすべてが異常だ。
小沢の政治生命抹殺を目的にした違法捜査、逮捕が延々繰り返され、ついには検察審査会が小沢本人を強制起訴した。これらはことごとく「憲法違反」だ。多くの法曹関係者がそう言っている。まず、弁護士資格を持つ辻恵衆院議員はこう言う。
「例えば西松事件です。西松側の献金元となった2つの政治団体について、元秘書3人の判決では『社名を隠して政治献金を行うための隠れみのにすぎない』と決め付けましたが、おかしな話です。西松の元総務部長は公判で『2つの政治団体は完全に実態があり、ダミー団体ではない』と証言したし、建設業者や医師会が献金目的の政治団体を設立することは広範囲で行われています。西松のケースだけが飛び抜けて悪質とはいえないのに、小沢氏のケースだけを狙い撃ちにし、唯一、立件したのです。極めて恣意的で不当な捜査、起訴で、これは『すべて国民は法の下に平等である』と定めた憲法14条に違反するものです」
実際、準大手ゼネコンの「熊谷組」も社員やOBを代表にした3つの政治団体を通じて、99〜00年に自民党の加藤紘一元幹事長や高市早苗元経産副大臣など少なくとも20人の国会議員に多額の献金を繰り返している。
「裁判所は、検察の政治的な捜査や公判請求の無謀を批判すべきでした。それなのに検察以上に深読みと推論と臆測を重ねて元秘書を断罪。有罪判決を出した。こんな裁判所では日本人の人権は保障されませんよ」(辻恵氏=前出)
◆検察審査会という存在自体がおかしい
確たる証拠もないのに、東京地裁が推論を重ねて元秘書に有罪判決を下したことは「憲法31条違反」(第二東京弁護士会所属の伊東章弁護士)との声もある。〈何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない〉と定めたものだ。この条文は国民の基本的人権を保障するもので、「裁判所が合理的な判断理由も提示せず、被告人を一方的に断罪するのは憲法の理念に逆行する」(伊東章氏)のだ。
さらに、検察審査会の強制起訴議決。こちらも、「違憲・無効」だ。元参議院法制局第3部長だった播磨益夫氏(現弁護士)が論文発表という形で、明確に憲法違反を指摘している。
播磨氏は検察審が「強制起訴」という基本的人権に抵触する権限を持ちながら、所管する上部の行政機関が法律上存在しないヌエのような存在であることを問題視。検察審の存在は〈行政権は内閣に属し、内閣は行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負う〉と定めた憲法66条に違反すると書いている。
しかもメンバーは無作為に選ばれたド素人ばかり。強制起訴された人が無罪になっても、メンバーは匿名性に守られ、責任を負うこともない。播磨論文は「法律論よりは感情論、情緒論、ムード論に起因して決定される危険性があり、『法律に基づく行政』ではなく、『感情に基づく行政』の危険性が危惧される」と喝破した。
これぞ、魔女狩り裁判ではないか。市民が好き嫌いで起訴できるのであれば、検察官なんて要らなくなる。この国は本当に法治国家といえるのか。誰が見たって、もうグラグラなのである。
◆せっかく勝ち取った憲法の精神を捨てるのか
現行憲法の3大原則のひとつは基本的人権の尊重だ。小沢をめぐる一連の捜査と裁判は、日本が戦後ようやく勝ち得た新憲法をことごとく踏みにじっていることになる。
九大名誉教授の斎藤文男氏(憲法)は「裁判所が推認と臆測だけで、起訴事実にない裏金の授受まで認定するとは本当に恐ろしいことだ」と言い、こう続けた。
「ただでさえ、この国は検察と裁判所が一体となり、有罪率99%という異常な状態が続いてきました。まして最近では判検交流と称して一体化をいっそう強め、裁判員制度などの導入で司法の場にド素人を巻き込み、世論におもねる形で重大犯罪の厳罰化が進んでいます。この流れは、マスコミが検察の言いなりだけに怖い。検察とマスコミが“アイツは真っ黒だ”と特定の人物や団体を陥れ、その通りの世論が形成されれば、裁判所も推認と臆測を重ねて追随し断罪してしまう。『人権の最後の砦』であるはずの日本の裁判所で、今後は西部劇の人民裁判のような光景が繰り広げられかねないのです」
◆欧米のデモを見習ったらどうだ
それなのに、日本人は本当におとなしい。いまや、リビア、エジプト、中国だけでなく、欧米にもデモの渦が広がっている。為政者のやりたい放題は許さない。そういう人民の意思表示だ。ところが、日本では人権が風前のともしびなのに、ダレも抗議行動を起こそうとしない。脱原発の集会には6万人が集まったが、当局が何人かを逮捕すると、それでシュンとなってしまう。当局の横暴は許し難いが、それが彼らの手口でもある。国民が声を上げなければ、日本は暗黒国家になってしまう。
「魔女狩りのような小沢裁判を見ても抗議の声を出さない日本国民は、三権分立の大事さや議会制民主主義の大切さ、人権の重みに対して、極めて意識が薄いと思います。戦後60年以上経ち、この間、経済の繁栄ばかりに気をとられ、儲かればそれでよしとしてきたツケです。今、その繁栄も失われ、もともと軽視してきた人権もないがしろになりつつある。日本人は何もかも失うかもしれません」(伊東章氏=前出)
マトモな声も上げず、お上の言いなりで「ガンバロー」なんて言っている若者を見ていると、絶望的な気持ちになってくるのだ。
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