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小沢一郎講演メモ(番外)ー小沢一郎と宮本顕治
http://news.livedoor.com/article/detail/5926637/
2011年10月11日10時01分 有田芳生の『酔醒漫録』
10月11日(火)3日に行われた「小沢一郎政治塾」。そこでメモしたことをときどきの出来事とともに紹介してきた。ここで突拍子もないことを書いておく。3年前にはじめて小沢一郎という政治家に会った。
東京11区(板橋)から民主党の推薦を受けて立候補することが決まったときである。場所は民主党本部の代表室横の部屋だったか。さらに日を置いて赤坂の個人事務所でアドバイスを受けた。年が明けた新年にいきなり大山の事務所に顔を出したときにはビックリした。選挙戦の最中にも携帯電話に連絡があり、独自の世論調査に基づいて活動上の問題を指摘してくれた。
石井一選対委員長(当時)と小沢さんの打ち合わせの結果、民主党から参議院選挙に出ることになったのは、総選挙で3000票ほど足らずに落選して、2か月ほど経ったころだった。おやっと思ったのは『小沢主義 志を持て、日本人』(集英社文庫)を読んだころからだ。ある政治家のイメージと重なってきた。参院選に当選してすぐに代表選挙があった。そのころには小沢さんの政治理念などを聞く機会も増えていた。イメージはさらに強くなっていった。高校時代から日本の政治家をこの眼で見てきた。テレビだけでなく演説会などだ。
最初に「突拍子もないこと」と書いたのは、宮本顕治氏と重なるのだ。エレベーターでいっしょになったのが、いちばん近くで見たときだった。 威圧感があり声をかけるのもためらわれた。 私が最初の著作を出したときには、葉書をいただいた。2007年7月に宮本さんが亡くなったとき、私は朝日新聞にこんなコメントを出している。
掲載されたなかから一部を引用する。「同じ山口県出身の岸信介、佐藤栄作両元首相と比べても、宮本さんが共産主義の道をたどっていなければ、総理になる能力を十分に持っていた。私は共産党が広く社会的に認知されるような提言を本にまとめたが、宮本さんに理解されず、90年に逆鱗に触れて除籍になった経緯があり、感慨深いものがある。とはいえ、恨みには思っていない」。小沢一郎さんとは出発点も世界観が異なることは明らかだ。小沢さんが「金権政治」の古い体質のなかから出発したところも真っ向から異なるだろう。
しかし、政治家の「大きさ」という点で共通点を感じてきた。とはいえ誰にも言わなかった。あるときに60年代から70年代に宮本さんと交流を持ち、排除されたひとたちにそう伝えたところ、たいてい「そうかもな」という答えが戻ってきた。民主党支持者でないにせよ、小沢一郎待望論でデモも行えば、東京第5検察審査会の強制起訴に強い批判を持っている人たちだ。
政治家としての「粒の大きさ」である。「カリスマ」という言葉を当ててもいい。物事の把握の仕方が「わしづかみ」で、大枠を捉える。いわゆる「全共闘世代」に小沢支持が多いのも、そんなところに理由があるのだろう。
小沢批判に一貫する岩見隆夫さんも、戦後の政治家で印象に残るなかに、宮本さんとともに小沢さんをあげている。小沢さんからケ小平の伝記を推薦されたときにも驚いたが、凡百の政治家とはスケールが違う。だからこそ乱世のいまこそ埋もれさせるわけにはいかない。そう思うのだ。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/10/post_4a48.html
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