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明治維新後に国の形をどのようにすべきかで明確な目標を持っていた討幕派の武士はほんの数名にすぎなかった。大多数の者たちは、尊王攘夷という水戸国学の考えによって江戸幕府の討伐だけが目的であったに過ぎない。攘夷という意味では、中国に対する西欧諸国の侵略のような事態を防ぐ意味で、開国さえ拒むものが多かった。
明治国家の基礎は、明治憲法ができる明治22年までの短期間のうちに少数の討幕武士たちによって形作られた事はすでに前回述べたとおりである。その基本は西欧の思想と科学技術の移入による中央集権国家の設立であった。従って徳川幕藩体制下で存在した300にもなる完全な分権制度としての藩制度が解体され、全ての地方を中央が統括するために廃藩置県は必須条件であった。討幕のための主体的な働きと莫大な財政を使った薩長土佐の諸藩の大名たちも他の大名と同じく等しくその地位を追われた。国民は士農工商という身分制度から解放されたが、平田神道をもとにして作られた国家神道という天皇を神とする一神教によって、忠君愛国という言葉によって公の精神だけが強調されたものの下でまとめられた。江戸期において高い識字率を持っていた国民は、その後の国の改革の原動力になり、短期間での西欧化の達成の大きな役割を果たしたのである。
明治憲法が作られたのは19世紀末であり、その基本となる近代国家の思想には18世紀から始まったルソーの社会契約やモンテスキューの法の精神などの考えは大きく影響したことが考えられる。しかしながらモデルはあくまでも西欧各国の国家覇権主義的な思想のままであり、現代の民主主義とは根底となる思想は大きく異なったものである。そうはいうものの、近代国家の根底をなす法治国家の思想は最も重要なものとして理解されており、それは明治憲法にも三権分立の考えと共に移入されていた。これによって明治国家は近代国家に一歩をしるすことになり、その後の国家運営の基本には法律が最も重要なものとされ、現在の東大法学部のもとである帝国大学法学部は最高学府の地位として多くの秀才を採用し、植民地政策などを含めたあらゆる意味で法律の重要性が利用されたのである。
敗戦によって民主主義が制度として強制的に導入されたが、過去の経験から官僚たちは法律の重要性を熟知しており、国民全員に参政権が保証された制度の中でも、大多数の国民にとって法律を誰が作るのかと言う事の重要性は官僚たちによって意図的に隠されて現在に至っている。主権在民という原則の裏付けは「誰が法律を作る主体であるのか」という問題であり、法治国家という原則に従えば、それはあくまでも国民が立法権を主体的にもつものでなければならない。戦後の官僚たちはそれを最も恐れ、憲法には国政の最高機関としての国会に国民の代表者である国会議員を送り、立法府の職員とすることが規定されたものを骨抜きにするために、閣法制度というものによって自分たちが立法行為をする制度を滑り込ませたのである。さらに国会による決定権を弱める意味で、諸外国にはない二院制の悪用が考えられ、参議院に決定権が持たされたことによって国会の機能は大きく損なわれたままにされている。衆議院と参議院の双方で多数を持たなければ政治は機能しなくなり、結局この国は長きにわたり、政治の迷走という言葉に代表される決定権のなさだけが続いているのである。
戦後の復興期にあって、国民の大多数は先進各国に追いつけ・追い越せという考えと、その勤勉性によって経済的な成功の達成までは、誰が立法行為の主体であるべきか等は殆ど議論の対象になることはなかった。少ない税収で国を豊かにするために国民は懸命に働き、経済的に豊かになる事だけが目的であったのである。しかしながら、その成功が仇になり、結局は今日に至るまで国民は主権を行使できない制度が温存されたまま、官僚主体の公務員独裁国家の形態が作られてしまったのである。国会議員が政策を作っても、その裏付けとなる法律が官僚により作成されるために、国民主体の税金の使われ方は何も機能しなくなっている。さらに責任体制が曖昧にされたままになり、行政上の不正があったり失敗があっても、公務員は身分制度というもので守られ続け、責任は国会議員による所管大臣だけがとらされるという異常性が続いている。三権分立は機能せず、法律の恣意的な使われ方は司法にもおよび、警察、検察と裁判官が一体化した独裁国家に成り果ててしまっている。
国民は本当に主権を取り戻すために何が必要かを再度、よーく考えなければならない。三権分立は絶対に必要であり、そのためには立法権を国民が持たなければならない。閣法制度を廃止し、立法のための全ての制度と人員を国会に持たせなければならない。参議院というものの存在を、海外と同じに決定権のないものにするか、思い切って廃止するくらいの大胆な制度変更が必要である。行政府にある全ての立法行為と人員、制度の全てを切り離し、国会議員のもとに国会独自で人事から組織までを運用する国家に変えなければならない。法治国家のみなもとは立法権の主体が誰であるのかを是非、再考してもらいたい。
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