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近聞遠見:かつて「ためらい」があった=岩見隆夫
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毎日新聞 2011年10月8日 東京朝刊
小沢裁判は今後の推移を見守ることにしよう。6日の初公判で、小沢一郎被告(民主党元代表)が、
「直ちに裁判の打ち切りを」
と求めたのは、三権分立の建前上、奇異な感じを与えたが、奇矯な言動はいまに始まったことではない。
ところで、
<政治とカネ>
の問題は、戦前から日本の政界につきまとっている。金権的と最初に批判された首相は岸信介だった。岸には<ろ過器発言>が記憶されている。
革新官僚だった岸は、3年間の満州経営を終えて1939(昭和14)年10月帰国する時、政治家然として後輩たちを前に一席弁じた。
「政治資金はろ過器を通ったきれいなものを受け取らなければならない。問題が起こった時は、そのろ過器が事件になるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、関わりあいにならない。政治資金で汚職事件を起こすのはろ過が不十分だからだ」
首相に就任するのは発言の17年後、その前後、日韓疑惑をはじめさまざまなうわさにさらされたが、岸が被告席に座ることはなかった。ろ過器が十分に機能したからかもしれない。
次に金権政治家の代表格とされたのは、言うまでもなく田中角栄元首相で、岸は、田中について、
「床の間に座らせてはいけない男だ」
と懸念を述べていた。その通り、退陣後だが、ロッキード事件の刑事被告人になる。
ある時、佐藤栄作元首相の寛子夫人が、長野県・軽井沢で、首相就任前の宮沢喜一にこう話しかけたという。
「田中角栄さんは今太閤みたいな大した人だと思う。ただ、私が『人生にはお金だけでは思う通りにならないことがありますよ』と申し上げたら、田中先生は断固とした口調で、『いや、なんでもカネで動きます』と言った。そら恐ろしいことですね」
宮沢は06年に書いた「私の履歴書」で寛子夫人の話を紹介したあと、
<私は政治家の間で動くカネの単位が、田中さんの時代に一気に一ケタ上がってしまったと思っている。自民党の派閥ができたころは30万円ぐらいだった。田中時代に100万円になり、300万円になった>
と記している。所属議員に年2回配る手当の額だろう。
その後、田中のロ事件(76年)、実力者総なめのリクルート事件(88年)、金丸信元自民党副総裁の東京佐川急便事件(92年)、小沢の陸山会事件(09年)と、絶えない。
<政治とカネ>にも変遷がある。岸のろ過器発想がいいはずはないが、田中以前には、一種のためらいがあった。田中以後はむきだしで、それが金丸、小沢と続いている。
陸山会事件で、小沢の秘書3人が有罪判決を受けた翌9月27日付新聞各紙の社説は、<小沢氏の責任は明白だ>(朝日)、<小沢氏は「天の声」も説明せよ>(読売)、<小沢氏は即刻議員辞職を>(産経)、<小沢元代表の責任重い>(毎日)と筆をそろえた。世間の声を反映したと言っていい。
しかし、初公判後の記者会見で、小沢は、
「テレビ、新聞の世論調査がまったくデタラメとは言わないが、必ずしも全国民の意見を満遍なく代表しているとも思えない」
と一蹴し、例によって一点のやましさもないことを強調した。反省もなければ、ためらいもない。
政権交代の立役者が被告席に座り、声高に自己の正当性ばかり主張する姿を、民主党はもっと厳しくとらえたほうがいい。(敬称略)
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