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ここ数年、ネット上やデモなどで「小沢一郎支援運動」が熱心に行われてきたが、結局、成果を挙げぬまま、いま小沢氏は剣が峰に立たされている。そこで「小沢一郎支援運動」について世川行介氏が、従来の「法務(裁判所や検察)やマスコミへの抗議糾弾」する活動から、「小沢氏を激励しよう」という運動に発想の転換をすべきだという優れた見識を彼のブログ(http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke)の中で示しているので概要を紹介しよう。
<以下、抜粋>
僕は、3・11からの「小沢一郎支援運動」を、距離を置いて見ていて、
「もう、糾弾行為では、平成大衆の支持を得ることは難しいな」
という感触を持ち始めた。
特に、 未曾有の大震災の後の安定を求めている大衆心理を無視して、
得々と、 「菅内閣打倒!」 をやった時は、
「この連中は、社会や大衆意識がまるで見えていないな」
と、深く落胆し、
「もう、この連中では、小沢一郎支援運動は無理だな」
そう確信した。
それから、先日の小沢一郎の意見陳述まで、
僕には、「小沢一郎支援運動」の展望が見出せなかったが、
しかし、だからといって、
馬鹿の一つ覚えのような「抗議糾弾デモ」に組する気は、
たとえ敬愛してきた二見伸明さん推奨の行為であろうとも、参加する気には
なれなかった。
人は、動いてはいけない時には絶対に動いてはいけない。
しかし、動かなくてはいけない時には、万難を排しても動かねばならない。
それは、僕の信条だ。
「クロサキ」さんから送られてきた、小沢一郎の意見陳述や記者会見を
読み終えた時、 僕は、
「これからは発想の転換が必要だ」
と思った。
僕は、私的生活において、この半年、かなりの懊悩を体験して、
その結果、
「罵りあうでもなく、馴れ合うでもなく、おもねるでもなく、
ただ心を溶かす」
という姿勢がこの世にあることを知った。
そうしたことが影響したからかどうかは知らないが、
「小沢一郎支援運動も、糾弾という対決姿勢から、
小沢一郎に無関心あるいは冷淡な人たちの心を溶かすスタンス
に転換できないものか」 という考えになり、
あれこれ思索した。
そして、 さっき、「六甲」さんに向かって書いたのだが、
小沢一郎のためのデモを、これからは、「他に対する抗議糾弾」でやる
のではなく、 「激励デモ」とでも言えばいいのか、
「小沢一郎さん。負けるな」
「小沢一郎さん。頑張れ」
「小沢一郎さん。私たちがここにいる」
といった形でやった方が、
それを見る第三者の人たちの心は和むのではなかろうか、
という風に思うに至った。
「抗議糾弾デモ」をやったって、
国会議事堂周辺には、たどり着くことが叶わない。
ならば、
集合場所から、小沢一郎の自宅か事務所に一直線に向かえばいいのだ。
そして、小沢一郎本人の姿をみとめたら、
「小沢一郎さん。負けるな」
「小沢一郎さん。頑張れ」
「小沢一郎さん。私たちがここにいる」
と激励の声を張り上げればいい。
戦後、この国に、「抗議糾弾デモ」は何百回もおこなわれたが、
「激励デモ」は一度もおこなわれなかった、と思う。
「激励デモ」最初の人物が、小沢一郎であったら、
それもまた、小沢一郎というこの国には稀有な政治家の<誉れ>
になるだろう。
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