02. 2011年10月07日 14:44:00: QHvH0ogFBE
☆ 小沢一郎氏の意見陳述 (記者会見の際に朗読したもの) 裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の起訴状に対し、私の見解を申し上げます。指定弁護士の主張は、検察の不当・違法の捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、この裁判はただちに打ち切るべきであると考えます。 百歩譲って裁判を続けるにしても、私が罪に問われる理由はまったくありません。本件では政治資金収支報告書に間違った記載をした事実はなく、従って政治資金規正法のいう、虚偽記載に当たる事実はありません。 ましてや私が虚偽記載について、共謀したことは断じてありません。また、本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民からの何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を濫用(らんよう)し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。 以下、その理由を申し上げます。そもそも、政治資金規正法は、収支報告に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、自分で発見したものであり、マスメディアやあるいは他党の人など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省、あるいは都道府県選管に自主申告して、収支報告書を修正することが大前提であります 贈収賄・脱税・横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや、不適切な記載を理由に捜査することになりますと、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性が出てまいります。そしてそれは、ひいては国民の主権を侵害する恐れがあるからであります。だからこそ、規正法制定以来、今日に至るまで、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても、実質的犯罪を伴わないものは、検察のいう単純な虚偽記載も含めて、例外なくすべて収支報告書を修正することで処理されてまいりました。私の資金管理団体、陸山会のいわゆる虚偽記載事件が立件された後も、本日ただいまも、そのような処理で済まされております。それにも関わらず、唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけが一昨年3月以来、1年有余にわたり、実質的犯罪をおかしたという証拠は何もない にもかかわらず、東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。 もちろん私は収賄脱税背任横領等、実質的犯罪はまったく行っていません。それなのになぜ私のケースだけが、単純な虚偽記載の疑いで、何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して、強制捜査を受けなければならないのか。これでは到底、公正で厳正な法の執行とは言えません。従ってこの事例においては少なくとも、実質的犯罪はないと判明した時点において捜査を終結すべきだったと思います それなのに一昨年春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは明らかに常軌を逸していると思います。この捜査はまさに、検察という国家権力機関が、政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは明白な国家権力の濫用であり、民主主義国家・法治国家では到底許されない暴力行為であります。 実際、日本外国特派員協会の会長でもあったオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクターアサシネーション、人物破壊は世界的に類を見ないと言っています。人物破壊とはその人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺、アサシネーションであり、生命を奪う殺人以上に残酷な暴力だと思います。 それ以上に本件で特に許せないのは主権者たる国民から何も負託されていない検察、法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒涜(ぼうとく)侵害したことであります。 一昨年の衆院総選挙の直前に、何の根拠もないのに検察当局は捜査逮捕権という国家権力を乱用して、いきなり野党第一党の代表である私を狙って強制捜査を開始したのであります。衆議院総選挙は国民が自ら主権を行使して、直接政権を選択することのできる唯一の機会に他なりません。 とりわけ2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分予想された特別なものでありました。そのような時に総選挙の行方を左右しかねない、恣意(しい)的な権力の行使が許されるとするならば日本はもはや民主主義国家とはいえません。議会制民主主義とは主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と見識に基づいて国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力の介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治はもはや民主主義ではありません。 日本は戦前、行政官僚、軍人官僚、検察警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで国家権力を濫用し、政党政治を破壊しました。その結果は無謀な戦争への突入と、悲惨な敗戦という悲劇でありました。教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。 東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、福島第1原子力発電所の事故は安全な収束へのメドすらたたず、加えて、欧米の金融財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきているときに、これ以上政治の混迷が深まれば国民の不安と不満が遠からず爆発して、偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層激化して日本の将来は暗澹(あんたん)たるものになってしまいます。 そうした悲劇を回避するにはまず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外にはありません。まだ間に合う。私はそう信じます。裁判長始め、裁判官皆さまの見識あるご判断をお願い申し上げ、私の陳述を終えます。ありがとうございました。 <産経新聞6日、記者会見詳報より>
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