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ニュース速報が流れたのは9月26日のことだった。小沢一郎民主党元代表(69)の元秘書3人に有罪判決が下されたのだ。時を同じくして、永田町ではこんな情報が駆け巡っていた。
「ついに、小沢グループから離脱1号者が出たようだ。それも小沢ガールズ代表格のあの議員だというんだ」
政治部記者がそう言った議員とは、田中美絵子衆院議員(35)だ。'09年の総選挙で美人刺客として、自民党の森喜朗元首相をギリギリまで追い込んだ、小沢氏の覚えめでたい議員である。
取材を進めていくと、離脱した時期がわかった。ジャーナリストが“裏側”を明かした。「じつは、田中議員は6月2日の菅直人内閣に対する不信任決議案への対応をめぐって、直後に『北辰会』を脱会しています。田中議員は“野党提出の内閣不信任案には、与党議員としては、どうしても賛成することができない”と、北辰会の動きとは距離をおいていた。そして、一緒に行動できなかった責任を感じて退会したのです」
「北辰会」とは先の総選挙で小沢元代表の指導のもと当選した新人衆院議員でつくるグループ。ほか、小沢軍団には、中堅・若手の「一新会」と「参院小沢系」があるが、3グループの統合を9月中旬に試みたものの小沢氏の意思とは裏腹に不発に終わった。
さらに、小沢ガールズの象徴ともいえる田中議員がグループ離脱とは、いよいよ「小沢氏の求心力低下」ではないか…。しかも現在、田中議員は「雄志会」(平野博文国対委員長のグループ)のメンバーとして活動をしており“乗り換えか”との憶測すら呼んでいる。民主党関係者が解説する。
「'09年の当選後から、田中議員は北辰会と雄志会の両方に所属していた。田中議員はもともと平田健二参院議員に秘書として仕えており、平田氏と同じ連合系議員の平野氏には、当時から可愛がられていたと聞きます」
それでも、やはり小沢氏から心が離れたということなのだろうか。
「田中議員に小沢元代表との現在の関係について問いました。『確かに北辰会は抜けましたけど、いまでも小沢先生のことは尊敬していますし、直接、先生から連絡をいただいています』と言っていましたよ」(前出・ジャーナリスト)
北辰会所属から小沢直轄になったともとれるが冒頭の政治部記者が締める。
「グループ内の“小沢強硬派”の言動や締めつけに、ついていけなくなったというのが本音でしょう」。親分・小沢氏の公判は10月6日から始まる。
(http://news.infoseek.co.jp/article/flash_20111004_1741)
[コメント]
小沢グループから議員の離脱が始まりました。
小沢ガールスの代表格だった田中美絵子衆院議員が『北辰会』を脱退したのです。
記事を読めばわかるように、小沢グループの独裁的な締め付けが我慢ならなかったようです。
記事の最後では小沢から田中への連絡などが書かれていますが、小沢も引き留めに必死なのでしょう。
それだけ小沢も追いつめられて必死なのです。
小沢は09年の衆院選前に、田中に500万円を渡しています。
そして当選して議員となった田中は、小沢グループに入り小沢を支援してきました。
金の力は凄いものです。
だがその田中もさすがに小沢に見切りをつけました。
小沢は金だけで仲間をつなぎとめることができなくなってきたのです。
小沢は09年の選挙の際に100名近い議員候補に500万円配り、手なずけました。
当選した議員の多くは、小沢グループを強化してきた。
典型的な金権政治です。
だが、それも効果が薄まってきたということです。
脱退を思い止まらせるには、さらなる金を配らなければなりませんが、資金不足の小沢にはもはやそれは無理でしょう。
金の切れ目が縁の切れ目。
金の力で築いた関係はもろい。
元秘書3人の有罪判決も小沢グループ脱退の動きに拍車をかけるでしょう。
小沢グループからの離脱はドンドン進むのです。
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