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2011年10月03日(月)
市民が主催した小沢一郎氏とのネット対話番組を、新聞記者が見て記事にするというのはべつに問題はないと思うが、それならそれで、一定の作法というものを心得ておくべきであろう。
作法とは、事実を正確に書くという、ごくあたりまえのことである。
小沢氏は昨日、「ネットメディアと主権在民を考える会」という市民グループが催した対話番組に出演し、1時間にわたる普通の市民とのやり取りがネット動画中継された。
当然のことながら、ノーカット、無編集であり、われわれ視聴者はありのままを見聞きすることができた。
新聞記者がこの番組をもとに記事を書く場合、どこかに焦点を絞るのは仕方がない。元秘書3人が有罪判決を受けたことについての小沢氏の考えをクローズアップするのもうなずける。
ただ、今日の各紙の記事に、「事実を正確に書く」という記者としての最低限のモラルがうかがえないのは、毎度のこととはいえ情けない。二紙の記事を例にあげる。
小沢氏は、検事や裁判官ら司法関係者を「既得権益を持ち続けてきた人」としたうえで、「『あいつ(小沢氏)だけは国政の先頭に立たせてはいかん』という意識が働き、スケープゴートにされた」と不満をぶちまけた。(朝日新聞)
自身の初公判に関しては、「僕は旧来の仕組みを変えて国民の生活を安定させなくてはいけないと思っている。これは旧来の体制を変えることで、既得権を持っている人には『あいつだけは許せない』という意識が働く。彼らの狙いは僕自身だ。政権交代のスケープゴートにされた」と述べ、争う考えを示唆した。(読売新聞)
この二つの記事を読むと、いかにも小沢氏が進んで検察や裁判所をののしり、挑戦的に語ったような印象を受ける。ところが、実際にその動画中継を見ていた我々は、そうではなかったことを知っている。
小沢氏は終始、穏やかな表情で、ていねいに市民の質問に答えていた。記事になったくだりは、市民の「法律も憲法も裁判もこえたところで小沢さんをつぶそうとしているのでは」という問いかけに対して、うなずきながら以下のように語ったというのがありのままの事実である。
「私自身がなんとしてもこの国を変えなくてはいけないと強烈に思っているので、今までの体制を、制度や仕組みを、行政であれ何であれ変えることになる。いままでの体制のなかで既得権を持ってきた方々にとっては、恐怖となるので、あいつだけは許せない、あいつだけは国政の先頭に立たせてはいかんという意識がはたらくんじゃないでしょうか。…ある意味では政権交代のスケープゴートにされたということではないでしょうかね」
朝日の記事は「既得権を持ってきた方々」を、検事や裁判官ら司法関係者のことであると決めつけている。小沢氏からは、そんなことはひと言も聞かれなかった。
読売の記事は前掲の小沢発言を利用し、前に「自身の初公判に関しては」を、後に「争う考えを示唆した」をくっつけて、むりやり小沢氏自身の裁判に結びつけようとしているが、カッコのなかの発言と、文章の意図するところがあまりにかけ離れているため、稚拙さが目立っている。
それでも、ネット中継を見ていない小沢嫌いの人がこの記事を読むと、傲岸不遜な小沢氏の強弁と感じ、ますます反感をつのらせることだろう。
多忙な新聞社のデスク諸君も、たまにはネット市民の視線で記事をチェックしてみたらどうか。とても恥ずかしくて、例にあげたような記事は出稿できないに違いない。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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