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「ジャーナリスト同盟通信」2011年10月03日 本澤二郎の「日本の風景」(845)から下記を転載投稿します。
=転載開始=
【小沢一郎の衝撃】
昨日のインターネット報道で小沢一郎の怒りの弁を確認した。彼にとって元秘書3人の有罪判決は、青天の霹靂に相当するものだった。それもそうだろう、検察が準備した供述調書は任意性がなく、証拠にならないと裁判官が認定していた。にもかかわらず、判決は検察の描いた通りのものだった。裁判官の良心に問題あり、である。
検察の捜査には、一般論として、とりわけ政治が絡むと、客観性に問題が生じる。政権交代時での意図的な捜査だったから、余計に小沢事件には、体制側である東京―ワシントンの闇の糸が始動したものであることを裏付けた。
政治無関心層には理解できないだろうが、ワシントン―霞が関―自民党枢軸派にとって、民主党政権は何としても回避したいものだった。そこからの指令に基づく小沢捜査だった。小沢逮捕で民主党政権を崩壊させるとの野望である。
検察とマスコミが狂気になって小沢に襲いかかった理由なのだ。裁判所はその最後の審判の場なのだった。小沢の衝撃は理解出来るものである。
【日本の民主主義は未だ途上】
小沢はネット番組で判決を「民主主義国家では考えられない」と批判した。要するに「日本に民主主義はない」というのだが、全くその通りである。情けない日本の正体を元自民党幹事長、民主党の元代表が認識した点は、すこぶる有益なことである。
筆者は戦後の平和憲法を学んだ人間である。権力の中枢を40年余見聞してきた。その大半の日本認識は「平和国家」「民主主義国家」であった。
左翼・反体制派の日本人であれば、あるいは違った認識をしたのかもしれない。だが、宇都宮徳馬からリベラル・リベラリストの真髄を学び、日本の将来に希望と期待を寄せてきた。それがぐらつき始めたのが、中曽根内閣のころからである。ロ事件での元総理大臣逮捕を民主国家の証しである、というとんでもない認識をしていた。
政治記者もまた、マスコミの宣伝にまんまと乗せられていたのである。ワシントンの存在に疎かったせいである。CIAの対日政策の内実を理解出来ていなかったのだ。永田町の、いうなれば井の中の蛙なのだった。ワシントンの指令に一喜一憂する東京を理解していなかった。
【気付くのが遅い?】
小沢もそうではなかったろうか。彼は若くして権力の中枢で活躍した。政権がいつも目の前にちらつく地位にあった。ところが、米国と渡り合う場面で、否応もなくワシントンの実力と、それにひれ伏す霞が関の官僚の関係を知ったのであろう。彼は湾岸戦争(海部内閣)で巨額の支援金を吐きだす張本人になった。その闇に深く関与した人物である。自らワシントンにひれ伏して血税を貢ぐのである。自ら売国奴になったのだ。
筆者はその頃の小沢に反発した。彼のゴーストライターが書いた日本改造計画を批判する本を、エール出版の編集者の要請に応えた。改憲軍拡論に警戒したリベラル派のジャーナリストとしてNOといったのである。
それはさておいて、小沢は日米対等論を打ち出して総選挙に臨んで大勝利を博した。ワシントンにひれ伏す日本の永田町と霞が関に対して、公然とNOを突きつけたのだ。筆者はそんな小沢の勇気を評価している。自立した小沢だからである。独立国の政治指導者の誕生を意味するからでもある。
それゆえにワシントンと霞が関は、検察とマスコミを動員して潰しにかかっている。対して「判官びいき」の大衆は小沢に味方している。「日本に民主主義はない」という小沢発言は、その通りなのだから。
【対米自立派多数の民衆】
はっきり言って山口県上関町の住人レベルが、やや今の日本の姿に似ていると言ってもいいだろう。あるいは以前の沖縄県民である。
上関の住人は、原発を喜んで受け入れようとしてはいない。智恵を出そうとしないで、安易な原発利権で生活しようという姑息な人間になり下がっている。まともな賢者がいない。まともな教育が行われていなかったからだろう。またしても原発推進派の現職町長が再選した。恥ずかしい、悲しい現実である。批判しない、思考しない人間教育の成果と言ってもいいだろう。
それは鳩山内閣が誕生する前の沖縄がそうだった。今は違う。沖縄の人たちは立ち上がった。アメリカの基地も兵隊もいらない、という当たり前の人間に変わっている。鳩山公約の効果である。鳩山内閣のかくかくたる実績なのだ。
日本国民は小沢問題によって、確実に覚醒している。ワシントンの植民地に気付き始めている。日本国民は小沢発言によって、日本が民主主義の、未だ途上国であることに気付き始めた。これの政治的効果は絶大なのである。
【決起せよ】
ひるんではならない。決起せよ、といいたい。田中角栄もそうだったが、小沢も英雄になれるかもしれない。ワシントン・CIAの横暴、売国奴の霞が関が存続し続けていると、小沢には、ますますカリスマ性が備わることになろう。
ミャンマーのアウンサン・スーチーさんのように?
【「東京の春」は遠くない】
ワシントン支配から脱却、対等の日米関係を筆者は「東京の春」と呼んでいる。そんなに遠くない時期に現出するだろう。中米関係の逆転も近い。世界も日本も動いている。
2011年10月3日9時17分記
=転載終了=
(投稿者):
西洋諸国よりやはり日本に近いアジアの国の政治家で、小沢氏を例えるならアウンサン・スーチーさんというより、タイのタクシン元首相に近い印象を私は持っています。
どちらの国も伝統的な支配層は国民生活の充実を当然願っています。しかし、自分達の支配構造の盤石を揺るがさないと認めた範囲で、です。
もちろん日本とタイは違います。 日本の場合は、伝統的な支配層の戦後の支配構造は米国従属を基盤としています。・・・。
小沢氏への認識は関連の別記事での以下URLコメントの通りです。引用します。
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/110.html#c1
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/110.html#c2
http://www.asyura2.com/11/senkyo120/msg/110.html#c3
***引用***
若い頃、自民党リベラル派に心情的に近いものを感じていました。
積極的に推したのでなく、消去法でです。
宗教右翼と関係の深い自民党右派(保守派でなく「右派」)、自分達には全く誤謬がないとする共産党、自民党を推さない新興宗教を背景にする公明党に、それぞれ生理的に合わない狂信を感じていたし、社会党は無策で識見が低いように若い自分には見えました。
自民党からリベラル派がなくなったのは、派閥政治がなくなったこと、中選挙区制から小選挙区制となったのと軌を同じにしています。背景のうちの一つであることは間違いないと思います。
小選挙区制導入を進めたのは小沢一郎です。
これは、小沢一郎を語るにあたり重要です。
そして、その後の小沢一郎の軌跡。
小沢一郎は自民党のリベラル派につながる政治家で田中派で権力の中枢に居ましたが、戦後の日本で権力の中枢に居るということは米国と交渉する当事者になるということです。
米国の意向を測り小選挙区制を進めたと思います。
そして、ギリギリのところで米国と交渉を続ける中で、小沢一郎に変容があった。
私は小沢一郎支持ですので、こう書くわけです。
その後、私も歳を重ね、卑小なとこでですが、ギリギリのところで交渉を続ける経験をしました。上記の若い頃と感覚は変わっていませんが、ものの見方はより現実的に変わったと思います。
上で書くの忘れた民社党ですが、労務を畑にした自民党右派の、あからさまに米国寄りの別働隊だったと今ははっきり言えますが、当時もそういう胡散臭さを感じてました。
鳩山政権はある面でパナソニック・トヨタ政権と言われていましたが、これらの労組そして政経塾は、かつての民社党の体質と共通したところが大きいと思います。
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