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橋下、「維新の会」の暴挙を許すな
全国集会で撤廃・廃案へ強い意思
【大阪】「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪・全国集会実行委員会主催の「君が代」強制大阪府条例に反対する全国集会が九月二四日大阪府大東市の総合文化センターで開催され、北海道から大分まで七六〇人を超える労働者市民が参加した。
大阪維新の会は、六月三日に学校など府施設での国旗の常時掲揚と府下全小中高校の教職員に国歌の起立斉唱を義務化する条例案を可決したのに続いて、九月定例府議会初日の九月二一日、職員の人事評価や処分基準を定めた全国初の「教育基本条例」・「職員基本条例」の二条例案を提出した。
集会は伊賀正浩さんと高田晴美さんの司会で進められ、主催者を代表し黒田伊彦さん(ホットライン事務局代表)が開会のあいさつをし、基調を提起した。
絶対服従の軍隊
的官僚統制だ
黒田さんは、条例案が詳しい懲戒や分限処分を規定していることを説明し、この全国集会に至る運動の経過を報告した。そして、条例・二条例案は憲法違反の条例であること。上官の命令は天皇の命令であるという絶対服従の軍隊的官僚統制を敷こうとするもの。人間を国際競争に対応する人材とみなし、企業利益に奉仕する教育を強行するもの。府立高校の学区を廃止し、小中学校の学力テストの結果を公表し学校を序列化し競争をあおることや、三年連続定員割れの高校は統廃合するなど、教育に企業の市場原理を導入するものである、と批判した。
そして、今の日本の政治に必要なのは独裁だと豪語し、大阪府知事・大阪市長選に臨もうとしているハシヒトラーを許してはならないと訴えた。さらに会場のもよりのJR駅前で在特会の連中が、高橋哲哉、野田正彰は日本人を名乗る在日だと叫んでいたとの報告を追加した。
続いて高橋哲哉さん(東大教授)が、「『日の丸・君が代』強制条例と『教育基本条例』の思想」と題して講演した。(要旨別掲)
全国から続々
と闘いの報告
次に近藤厚志さん(大阪労働者弁護団事務局長、「日の丸・君が代」強制処分条例に反対する弁護士の会)が発言した。
近藤さんは、二条例案は憲法一九条思想良心の自由に違反し、政治権力の介入を禁じた教育基本法にも違反すると述べ、また地方公共団体は法律の範囲内で条例を制定できるという憲法九四条に違反すると述べた。「君が代」の歴史や歌詞の内容を知らずに賛成している場合が多いことから、人々の対話を基本にしなければならないと述べた。
この後、全国からの報告として、西村浩充さん(北海道教組教文部長)が「通報制度ではまだ実害はないが、自分が通報されたかどうかは呼び出しを受けないとわからない」と訴えた。
根津公子さん(東京君が代不起立処分者、元教員)は「自分の停職処分の妥当性について最高裁が弁論を開くことが決まった」と述べた。
永井栄俊さん(東京「日の丸・君が代」強制反対予防訴訟をすすめる会共同代表)は、「大阪の運動と東京の運動は直結している」とアピール。
近藤徹さん(東京「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会事務局長)は、「学校に憲法を根付かせるため闘おう」と決意表明。
外山喜久男さん(神奈川君が代不起立個人情報保護裁判原告団長)は、「実名公表は個人保護条例に違反する」と語った。
土屋聡さん(宮城県小学校教員)は、「プールの清掃で汚泥処理は安全かをきいても、校長は教育委員会が安全だというから安全だという」と被災地の実態を訴えた。
小野政美さん(憲法と教育を守る愛知の会)は、「『日の丸・君が代』は戦争の象徴だった」と発言した。
休憩の後、ジョニーHこと疋田哲也さん(東京・不当分限処分撤回訴訟原告、レーバーネットTV出演者)のギター演奏とアピールに続いて野田正彰さん(関西学院大学教授、精神科医)が「ハシズム(橋下)を批判する」と題して講演をした。(要旨別掲)
続いて、岡田大さん(保護者)は、「教師がどの方向を向くのかがとても心配だ」と述べた。
由本雅樹さん(大学生)は、「若者との連帯がないとこの闘いは厳しい」と語った。
山元一英さん(全港湾大阪支部書記長)は、「ダブル選挙に向け反橋下の統一戦線を」とアピール。
酒井さとえさん(大阪府立高教員)は、「今の大阪の状況は、新卒で勤めた本気で話ができない学校の雰囲気に似てきている」と感想を述べた。
川口精吾さん(門真三中「君が代」処分原告)は、「攻撃の対象は公務員・教職員だが、次は府民に向かう」と警告を発した。
福山昌也さん(枚方市中学校教員)は、「日の君の闘いにゲームセットはない」と発言し、さらに会場から八人の発言があった。
集会決議の後、井前弘幸さん(ホットライン事務局)から、一万八四〇筆の署名が集まったこと、これを議会請願として九月二七日に提出すること、二条例案は九月二一日に議長に提出されたが、正式のものではなく、まだ議運には出されていないこと、九月二六日から三〇日にかけて各党の代表質問の予定であることが報告され、一〇月一一日からの教育常任委員会・総務常任委員会の傍聴体制をとる一方で、正式提案をするな・採決阻止に向け、府議会議員に対話を求めていくという行動が提起された。最も早い採決の可能性は一〇月二一日の本会議だとの報告があった。 (T・T)
高橋哲哉さんの報告から
上意下達の学校支配は
教育そのものの破壊
地方教育行政法違反の疑い
本当に容易ならざる事態になってきた。教育基本条例は地方教育行政法に違反する疑いがある。
昨年から北海道で恐るべき教育破壊が行われているが(「服務規律等の実態調査」と「情報提供制度(密告制度)」による)、大阪のこの条例はそれにまさる教育破壊条例だ。それが目指すのは知事が独裁的権力を持ち教育を支配すること。そのやり方は戦前の反省から禁止されたもので、戦後教育は旧教育基本法とともに歩んできた。〇六年に旧教育基本法は改悪され、愛国心教育などが入ってきたが、それでも教育が(行政権力の)不当な支配に服することを禁じた基本法の最も重要な部分は残された。
ところが、教育基本条例第六条では、知事が教育委員を任命するのみならず、府立学校教育の目標を設定するとある。第七条では、知事が設定した目標に基づいて府教委が具体的な指針を作成し、それを校長に提示するとあり、第八条では、校長は具体的・定量的な目標を設定し学校運営を行う、校長・副校長は職員に対し職務命令を発する権限を有し、職員はそれに従う義務があるとしている。また第九条では、知事から教育委員会、そして校長へと決定が伝達され、教員は校長の職務命令に従い、校長の運営指針にも服さなければいけないとされている。府知事が上意下達により教育を完全に支配できる、教育委員といえども知事のロボットに過ぎない。それがこの条例案の根本目的である。
「民主的手続き」
による知事独裁
戦前、上官の命令は天皇の命令であり、絶対だった。条例はまるで王政復古の詔のようだ。このような体制では、自分の良心に従う者は排除される。
第三八条では、五回の職務命令違反又は同一の職務命令に対し三回目の違反を行った教員等は直ちに分限免職とするとある。ここには個人の良心は存在の余地がない。個人の人格がここまで否定されると教育は成り立ちようがない。第一〇条では保護者も支配下に置き、学校運営に貢献することを求められ要求は排除されている。
第十一条で校長の下に教職員を除く教育関係者で学校運営協議会が設置される。ここでの協議により採択すべき教科書が推薦され、校長・教員・学校の評価が行われる。このようにして民主的な手続きを経て知事の独裁体制がつくられる。民主主義から独裁が生まれる例はいくつかあるが、一九三〇年代のドイツでヒトラーが政権を取ったのもその例だ。
条例の三分の
二は処分条項
条例の三分の二は処分に関する内容で、まるで刑法のようだ。第二条では教育の基本理念が六項目に亘って羅列され、規範意識や責任感を持ち、責任転嫁せず不正を許さず社会から受けた恩恵を還元する、郷土の伝統と文化を理解し愛国心にあふれ、国際競争に的確に対応できる人材の育成とある。これは前文に出てくる人格の完成と何ら関係がない。
第七条では小中学校の学力テスト結果を公表するとある。子どもは競争の尖兵にさせられる。このようにして偏差値エリートをつくっても国際競争力はつかないことは今までのことから明らかだ。つくる会系の教科書の採択を要請している維新の会からすると、この条例が通れば大阪に一挙につくる会系の教科書が持ち込まれるだろう。
橋下知事は、教育は二万%強制だと(ツイッターで)言っている。一〇〇%では彼は満足できないのだ。園遊会に橋下知事が呼ばれたら、天皇はかつて米長都教委委員に言ったように、強制でないことが望ましいと言うだろうか。強制で成立している体制は強制がなくなると心身不調の病に陥り、上からの指示がないと動けなくなる。私たちのめざす教育は、橋下知事のめざす教育の対極にあるものだ。強制では愛国心は育たない。愛が愛であるためには自由が不可欠だ。強制された愛国は強制がなくなったら雲散霧消し、条例の破綻があらわれる。(報告要旨)
野田正影さんの報告から
ファシズム的社会を呼び
込む橋下の人格をさぐる
第二次大戦中 米国は、ヒトラーが戦争の末期にどのような態度に出てくるかを知るため、ヒトラーに似た人間を集め、彼らを面接することで分析した。橋下はどのような人間なのか。彼は知事になる時と今とで主張が一致しているのか。私は、自分が調べた資料に基づいて分析したことを皆さんに提供する。
他人を見返さ
ずにおれない
私は、彼の小中高校時代の先生や同僚に会って話を聞いた。高校時代に橋下は、学校の掃除は徹底してさぼった。橋下と話をしていると壁に向かって話をしているようで感情が伝わってこない、目と目とを合わすことができない生徒だったと先生は言った。
中学校の先生は、子どもの中に一人(橋下という)大人がいるような感じだったと言っている。バレーボールの試合などで友だちが失敗すると、しつこく罵倒した。平気で嘘をつき、それがばれても平気でいるし、約束は果たさなかった。学級委員には選ばれたことはなかった。
スタンドプレーが好きで、自分が目立たないとダメで、他人を見返さないと済まないたちだった。文化には拒絶感を持っていた。
教育に競争を
持ち込むな!
知事になって間もない頃 平松大阪市長と会食したとき「文化では視聴率は取れない、視聴率をとるには紳助でないといけない」と言ったという。条例案の教育の理念の中に、伝統と文化を深く理解し云々とあるが、橋下ほど文化がわからないものはいないだろう。彼は、知事になるとすぐ民間がつくった国際児童文学館をつぶした。彼は、紳助のテレビで有名になった。テレビというのは目と目で対さないから、適当にその場のアドリブでやっていける。このような人間の特徴をなぜ見抜けなかったのか。
彼がまだ知事になる前に書いた本『どうして君に友だちはいないのか』(河出書房新書)は、友だちなどは必要ないという観点で一貫して書かれている。強い者のパシリをして生きていくことが大切だと。いじめは自分に関係しなければほっておけとも。不幸で恵まれない者への憎悪がある。そこから抜け出すためには資格がいると言い、抜け出せない者を憎悪する。彼は知事になってすぐ、夜間中学の援助を打ち切った。一方、エリートとして上りつめた局長や部長を口汚くののしる。彼にとって大事なのは、人間関係の序列だけなのだ。高校の時はラグビー部だったが、そのスポーツが好きで入ったとは書いていない。むしろ怖い先輩がいたので、しごかれるのはつらかったが、先輩の下にいたらいじめられないだろうと思ったと書いている。
私の言ったことを思い出して条例をみてほしい。人格の完成や規範意識を重んじることから橋下は最も遠い人間だ。大阪という町は、周りの農村からいろいろな人間が入ってきても、それを抱え込んで成長してきた庶民の町だ。競争を教育に持ち込むことは間違っている。他者との競争は緊張と戦争をあおることになっていく。彼はWTCビル(大阪府咲洲庁舎のこと:ダイナモ注)を購入し、大阪府に一二〇〇億円もの負債をつくったという試算が府から出ている。これをたたかれる前に、立場の弱い教員をたたいている。彼は知事になるとき教育問題などは語っていなかった。自己顕示欲が強い橋下だが、そのような人気はあっという間に消えていくだろう。現在府の教育委員が言っていることがまさにそのことを示している。橋下は自己を劇場化し、絶えず自分が中心になることを追い求める。
教育基本条例案は、崇高な教育の使命感にあふれた人間が無尽蔵にいることを前提にしているが、それはあり得ないことだ。自民党・公明党は橋下という悪を呼び込んだ。そして今、この大阪という社会はファシズムを呼び込む社会になっている。この社会が危機に立っている。(報告要旨)
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