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「ジャーナリスト同盟」2011年09月29日 本澤二郎の「日本の風景」(841)から下記を転載投稿します。
=転載開始=
【大石千八さん逝く】
久しぶり日本記者クラブでの試写会を覗いて帰宅、時事通信ネット情報を開いてみて、大好きな大石千八さんの訃報を知った。75歳だった。彼は90年代の終わりに引退、以来会っていない。右翼派閥の中曽根派に所属しながらも、リベラルな河野洋平さんと仲が良かった。中曽根の好戦的言動にいつも反発した。そこが彼のすごいところだった。
もちろん、彼はまともなリベラリストだった。筆者が好きなタイプの政治家で、正論を吐いて逃げることはしなかった。派閥全盛のころの自民党には、社会党や公明党などの議員よりもましな政治家がかなりいたのだが、その代表格が大石さんだった。
宇都宮徳馬さんを若くしたような正義の政治家だった。見ていて小気味よいくらい行動的だった。郵政大臣になったのは、中曽根が政権を去った後の竹下・宇野の内閣を経て海部内閣になってからだった。体調さえよければ、恐らく小泉内閣の「郵政改革」に大反対、亀井静香さんらと対米従属派と対決していたはずである。
【唯一まともなNHK出身政治家】
政治家の評価は本人の才能の有無というよりも、民意・国民の側に立って行動できるか、にかかっている。多くは官閥・財閥・ワシントンに従属するのだが、彼は違った。
NHKのアナウンサー出身の2世議員として、大石さんはまともな政治活動に徹した。はっきり言わせてもらうと、NHKのOBにはろくな人物がいない。ワシントンで働いた人物は、決まってCIAにいとも容易に懐柔されてしまう手合いばかりだ。
民放に天下りすると、リベラルな立場を放棄して右翼の論客になってしまう。平和・軍縮というジャーナリストの本分を投げ捨てて金もうけに走る。だが、大石さんはマスコミ人としての矜持を政治家として貫いた。
【ハマコ―の天敵】
筆者が彼の行動に感心したことの一つは、自民党内で暴れまくっていたヤクザ代議士のハマコーに公然と噛みついたことである。自民党の総務会という重要な会議の場で、ハマコーの不正に対して怒りを爆発させたのだ。
党内では、彼の正体を知っていた。筆者は千葉三郎・森美秀・水田三喜男の秘書から詳しく聞いていたので、バッジをつけてもヤクザ世界から足を抜こうとしないハマコー退治の記事を書きまくっていた。
このいかがわしい政治家を悪用する人物もいた。金丸信である。それゆえに筆者は金丸を評価しなかった。随分と金丸批判記事を書いた。時には書き過ぎて、後輩の金丸番記者の立場を悪化させたほどである。ただし、金丸の盟友・竹下登さんとは総理退陣後、ゴルフに興じたりした。ブービーや猛打賞狙いの筆者のスコアを、数字に強い彼が教えてくれた。竹下さんは憎めない人物で、正に「気配りの名人」として天下人になった。
要するに、大石さんは不正を見て見ぬふりが出来なかった。正義の士であった。そこがたまらなく好きだった。中曽根の改憲軍拡論に対して、ともに激しく噛みついた。平和憲法を理解・擁護する人物だった。
【訪朝の思い出】
93年に偶然にも朝鮮民主主義人民共和国、すなわち北朝鮮を訪問したのだが、この場に大石さんもメンバーの一員として同行していた。筆者もそうだが、彼も初めての訪朝に違いなかった。
落ち着いた美しい平壌のたたずまいに一緒に驚いた。郊外の水田地帯の見事な稲穂にも感動した。灌漑施設が見事に整備されていたのである。金日成主席との記念写真、遠慮せずに彼の頭部のたんこぶにカメラを向けたりしたのも懐かしい。この時の団長が石井一、秘書長が武村正義だった。金丸訪朝がこれの契機をつくってくれた。
「わが国も地球と共に動く」という主席発言には安堵した。石井団長が「後継者に会わせてほしい」と繰り返し陳情したが、主席は「今地方視察中」といって、その機会は訪れなかった。この場に大石さんもいたのである。
【愛野興一郎さんと在京政治部長会】
余談だが、筆者にこの機会を作ってくれたのは、佐賀県の愛野興一郎さんである。彼は中大法学部OBの先輩である。腰の低い人格者だった。筆者が「天皇の官僚」(データハウス)を執筆したさいも、喜んで取材に応じてくれた。
彼は目白の主・田中角栄の信頼も厚く、日中平和友好条約締結実現のため、田中と大平幹事長が、園田直外相の御目付役として外務政務次官にさせた。その大役を果たしたことはいうまでもない。
愛野さんと在京政治部長会との交流も思い出してしまった。偶然にも在京政治部長会に中大OBが、東京タイムズ・読売新聞・テレビ朝日・北海道新聞・ニッポン放送に誕生した時期がある。一般的には早稲田が多いのだが、珍しく中大が多数を占めたものだから、時折愛野さんと懇親会を開いたりしていた。
こんな背景から「私の代わりに訪朝してくれませんか」といううれしい申し出があり、見たこともない平壌を訪問することが出来た。人との出会いが人生を決するのかもしれないが、えてして善良な人間ほど頂点に立つことはない。宇都宮さん、大石さん、愛野さんは、その代表格なのだった。
2011年9月29日9時55分記
=転載終了=
関連投稿:
<平岡秀夫法務大臣は対米自立派> <勇気あるリベラリスト> <民主党「リベラルの会」>など 本澤二郎の「日本の風景」
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<「東京の春」は近い> <覚醒する対米自立派> <崩壊した司法>など 本澤二郎の「日本の風景」(839)
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