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2年前までは、小沢が政権を取れば何とかなると、小沢待望論に明け暮れた。
その小沢が不遇で、実力が発揮できないとしても、その後の2年間の民意のテイタラクはどうしたものか。
小沢が不遇で動きが取れないならば、何故、小沢に代わって政治に異を唱えようとはしない。
いや、なに、
天下りはけしからんとか、消費税を上げるなという、小言くらいは聞こえてくる。
それは、飽くまでも小言であり、反省をしない政府を放逐するような強い訴えかけではない。
それでいて、小沢、小沢となにを特別に待っているのであろうか。
天下り禁止や消費税値上げ防止などは、小沢がいなくても国民が大騒ぎすれば出来ること。
要するに国民は、自分たちが何をして欲しいのか、国家に何を期待しているのか、認識していない。
全てを小沢に託して、そ何かが生まれることを待ち望んでいる。
だから、小沢抜きで政治の本格的な改革を考えることは出来ない。
その小沢が、国民が期待する何かに対して明確に指標を掲げている訳でもないのに、小沢、小沢と、小沢を語ることが政治を語っているかのように思いこんでいる。
孤立した小沢一人で700人の国会議員を説得し政治を、国を変えることが出来るものか。
小沢一人で1億国民を担いで行けるものか。
政治を動かすものは国民である、国を変えることが出来るのも国民の意思である。
有能と言っても小沢は一人の政治家である。
我が国に何が欠けているかといえば、国民の意思なのである。
世界を探してもまこと国民の為を思って政治をしている政治家などは殆どない。
それでも時代に合わせて国が変わって来ているのは、ひとえに国民が意思を持ってきたからである。
もちろん、アメリカが例外であることは言うまでもない。
我が国は、そのアメリカに従属し、ひたすら資本の論理に従順であった。
その矛盾に苦しんでいる現在、何故、国民自身、異を唱えることをしないのか。
今、国民がすべきことは、従来の形態に変わる国のかたちを新ためることを訴えることである。
新しい世界の枠組みが、よく理解で出来なくても、現在の不満、不安を国にぶつけることである。
それが、何処の国でもある民意と言うものである。
我が国の民は、それすら自分で考え、行動に移すことなく、ひたすら小沢に頼りきる。
不甲斐なきかな、我が国の民よ。
小沢に導かれなくては何もすることが出来ないのか、
不甲斐なきかな、大和の民よ
民族の心を何処へ置いてきた、
何時から幼児のような民族性に陥ったのだ。
いい加減で小沢を卒業し、
我々自身で国のかたちを変える算段をしようではないか。
現在の政治、官僚組織を変えられるのは民意だけであることは、期しくも小沢によって証明された。
政治を動かすのは民意である。
民意が変わったことが証明できれば、政治は動く。
それも単純に民意が憤怒の気持ちを現せばよいだけである。
多くの国民が、その気概を発することが必要なのであり、それが小沢の援護になることを思い知るべし。
何時までも小沢、小沢と小沢にしがみつく姑息をやめよ。
それは、結局、小沢を潰すことになることを知るべきである。
このままでは、仮に、小沢が復権しても、期待はずれでつぶれて行くであろう事は明白である。
それでも、小沢、小沢といい続けるつもりであろうか。
不甲斐ない民は。
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