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陸山会事件判決を受けて「本当に改革が必要なのは裁判所」だ!
http://31634308.at.webry.info/201109/article_29.html
2011/09/27 22:19 かっちの言い分
昨日は、一日中何ともやりきれない思いであった。こちらがそんな気持ちであったので、石川氏、大久保氏、池田氏は限りなく悔しく、これからのことを思うとやり切れない思いであったであろう。
石川氏は、26日の記者会見の後で配信した自身のメルマガで、裁判長が有罪を宣言したときの状況を以下のように述べている。
「裁判長がその部分を読み上げている間、私の頭に思い浮かんだのは田代検事の言葉だった。
「石川さん、事実と裁判の結果は違うからね」
東京拘置所で、彼はそう言っていた。
「それはどういう意味ですか?」
「石川さんがいくら『水谷建設からもらってない』と言っても、裁判所というのは出された証拠に基づいて判断するから、必ずしも事実が裁判の結果と同じと言うことになるわけではないので」
あのころも、いや、裁判長から判決を聞かされるまで、私はまさか水谷建設のお金についてはそんなバカなことはないだろうと思っていた。しかし、そんなバカなことが現実に起きてしまった。」
マスコミはそれを「油断」していたと弁護側について論評したが、こんなでたらめな判決を出した登石裁判官らを批判すべきである。何が真実であるのかをジャッジするのが仕事であるが、バカなことが起るようなら、なんのための裁判官かわからない。
石川氏は前日の記者会見で述べた通り、27日午前中に高等裁判所に控訴した。また大久保氏、池田氏も控訴した。池田氏は最も刑が軽く、執行猶予のまま、刑を受け入れる選択もあったというが、三人同様に控訴した。
今日の大手新聞は、今回の判決について批判的な話はしていないが、我が家で購読している地方紙では、見出しの大タイトルに『間接証拠「天の声」認定』、『推認で有罪 割れる評価』と題して、事実に基づかないで推認した判決であって、判決の評価が割れたと書いている。
それだけ、今回の判決は、新聞社にとっても意外だったのであろう。この新聞は陸山会事件が起こったときは小沢氏を徹底的に批判していたが、今回の登石裁判長の判決に「評価が割れる」と書いたのは余程、意外だったと思われる。
登石裁判長は、検事調書を大幅に採用しなかったので、以前登石裁判長を「エライ」と褒めた記事を書いたが、まんまと騙された。石川氏ら、弁護士、マスコミも騙された。とんだ食わせ者であった。
今回の判決は執行猶予が付いていたが、量刑は変わらない。これほど期待を裏切り、歴史に残る悪判決はない。裁判所-検察-官僚-小沢氏排除勢力がどこか地下でつながっていると思わざるを得ない。登石氏は高裁判事への昇格が決まっているという。ここで変に話題を呼ぶような判決をしないで、検察の求刑通りしておけば間違いないと考えさせてたのではないかと疑ってしまう。つまり検察のいう通りやっていれば出世は間違いないという習慣(システム)が出来上がっていると思われる。
この新聞には、本判決に対して、検察側と弁護側の立場から批評が掲載されている。以下に紹介する。
【東京地検特捜部長の熊崎勝彦弁護士の話】
『自然かつ合理的な認定』 土台とも言える実行行為の部分が有罪判決を受けたことは、小沢一郎民主党元代表の公判に心理的な影響を事実上与えることになった。供述調書の相当数が証拠不採用という前提での判決で問題視する向きがなかったわけではないが、事件の経緯をみて、自然かつ合理的に認定した。動機、背景として水谷建設の裏金献金などが認められたことは大きく、妥当な判決だ。
このヤメ検は、元東京地検特捜部長である。東京地検特捜部によって逮捕された福島県元知事の佐藤栄佐久氏は、自身のブログで『国民はどこにいるのか。国民は誰が護るのか。【2】http://eisaku-sato.jp/blg/2010/02/000034.html』において熊崎氏を痛烈に批判している。正にミスター特捜部で、特捜部が調べたものは全て正義だと考えている、とんでもない自惚れ人物である。その熊崎氏ですら「供述調書の相当数が証拠不採用という前提での判決で問題視する向きがなかったわけではないが」と書いている。それだけ独善的な判決ということである。
これに対して、一番公平で正論を述べているのが、以下の江川紹子氏の論評である。
【ジャーナリスト江川紹子さんの話】
『証拠重視の流れに逆行』
裁判所の大胆で強気な判断の連続に驚きを禁じ得なかった。水谷建設から石川知裕被告への5千万円の授受も、目撃者も裏づけ証拠もないまま、同社関係者の証言だけで「あった」と断定した。冤罪をふせぐため、昨今は証拠が重視されるようになってきたが、判決は流れに逆行している。「証拠が薄っぺらでも、怪しげな雰囲気さえつくれば、特捜部の捜査は有罪認定する」という、誤ったメッセージにならないかと恐れる。本当に改革が必要なのは裁判所かもしれない。
最後の言葉の「本当に改革が必要なのは裁判所かもしれない」が、現在の裁判所の実態を現している。検察が起訴した事件を有罪としていれば、自動的に出世する。そこから外れて無罪なんぞにしたら出世コースから外れるという暗黙の慣習があるように思える。
再度言うが、裁判所が正義のアンパイヤーではなくなった。無実の人を有罪とするような裁判所はいらない。
推定有罪ではなく、推定無罪である。
「本当に改革が必要なのは裁判所」だと言わざるを得ない。
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