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以下の記事は「月刊マスコミ市民」2011年9月号に掲載された。
「国歌」とは一体何なのか
大阪府「君が代起立条例」批判
隅井孝雄(京都ノートルダム女子大学客員教授/ジャーナリスト)
■下鴨神社の「さざれ石」
私の住む京都、下鴨神社には楼門の近くにさざれ石がある。「君が代」のさざれ石だと云う説明板もある。同じ京都の護王神社にもあるがここは丁寧に日の丸が添えられている。
さざれ石はものの本によると小石のかけらの間に水酸化鉄や炭酸カルシュウムが入り込み、塊となった「石灰質角礫岩」だという。
滋賀県と岐阜県の県境にまたがる伊吹山が「さざれ石」の産地だ。伊吹山は古来西国から東に超える関所もあり、「かくとだにえやはいぶきのさしも草・・・」と百人一首に読まれなど、数々の歌の題材となった。おそらく平安貴族には「さざれ石」はなじみの石であったと想像に難くない。
君が代の元歌は905年(延喜5年)に編纂された「古今和歌集」(巻七、賀の巻)に現れる。しかし冒頭が「わが君は」と記されている。「君」は一般的な意味での目上の人物、あるいは主君と解されたが、「古今集」以降の歌集では「君が代」と形が変わり、「君」は天皇だ、という説が定着した。
■天皇主権の国民主権のはざまで
明治政府はこの歌に雅楽と西洋楽曲を合わせたようなメロディーをつけて、1880年(明治13年)11月3日の天長節(明治天皇誕生日)に披露した。天皇主権のもとで富国強兵政策に走る日本国にとってはうってつけの歌詞だと受け止められたに違いない。
戦後、1947年(昭和22年)5月3日の憲法施行記念日に「君が代」が斉唱されて、国歌としての地位が再確認された。しかし「君が代」が天皇制国家主義の時代を反映したものであり、主権在民をうたう憲法にそぐわないと批判が多く出た。世を上げて民主主義、主権在民が強調された時代であった。
その後「君が代」や「日の丸」について、第二次世界大戦の評価と絡まり、国論を二分する論議が続いた。1999年(平成11年)、国歌国旗法の制定に際して政府は、「君が代」は、「日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる」という解釈を示し、君が代の歌詞は「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当」(1999年6月1日閣議決定)との公式見解を明らかにした。
同年8月6日、野中広務官房長官(当時)は「国民お一人お一人が君が代の歌詞の意味などについてどのようにお受け止めになるかについては、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であると考えております」と国会で答弁、信条の自由は担保されたかのように見えた。
■大阪府「君が代起立条例」
2011年(平成23年)6月3日大阪府議会は、橋下徹府知事が率いる「大阪維新の会」が提案した「君が代起立条例」を可決した。大阪維新の会はこれに先立つ4月10日の選挙で府議会の過半数を超えたことから、「君が代起立条例」は賛成59、反対48で可決されたものである。維新の会以外のすべての党派は反対票を投じた。
この条例は「公立小中高校などの行事で君が代を斉唱する際、教職員は起立により斉唱を行うものとする」、というものであり、また府立学校など府の施設での日の丸掲揚も義務付けた。
これまでは都道府県の教育委員会が起立斉唱を文書で指示、校長が起立の職務命令を出し、これに従わなかった教職員を処分してきた。しかし職務命令が出されていない場合には処分は行われていなかった。橋下府知事は2011年9月の府議会で「起立を拒む教員を懲戒免職にする処分条例案」を提出する方針だと伝えられる。教育委員会ではなく、行政が直接教員の処分権を持つことは、教育の独立性を踏みにじるとの批判がある。
最近の例では2011年4月、大阪府立高校の入学式では27校38人が起立しなかった。府教委は校長の職務命令が出されていた2人の教師のみを戒告処分にするにとどまった(朝日新聞5/20/11)。
■「君が代」を歌えない私
私は小学校4年の時終戦を迎えた。それまでは"軍歌が好きな少年”であり、学校では大きな声で君が代を斉唱し、校庭にある「御真影」(天皇の写真)に深々と敬礼していた。教室では「この歌は天皇陛下がお治めになるになる御代は、千年も万年もつづいて、お栄えになりますやうにという意味です。戦地の兵隊さんも日本に向かって声をそろえて歌うときはおもはず、涙がほほをぬらします」(初等科修身二、1942年、原文旧仮名遣いのまま)と教えられた。
それから今に至るまで、君が代を聞くたびにその頃のことが心をよぎる。この10年私は私立大学で教壇に立っているが、もし公立の中学、高校の教師だったらどうするか改めて考えた。おずおずと立ち上がり、口をもぐもぐさせている自分の姿を考え、情けなく思うに違いない。
現場の教師たちはどう考えているのか、どうしようとしているのか。答を知りたくて「大阪教職員組合」を訪ね、田中康寛委員長(高校教師)に話を聞いた。
「君が代は日の丸とともに皇国教育の柱で、アジアへの侵略のシンボルだったというのは歴史上の事実です。だから今もって人々の間には多様な受け止め方があり、歌うことに疑問や複雑な感情を持つ教師もたくさんいます」。
君が代の起立、斉唱はもっぱら卒業式や入学式で行われる。そのため、列席する父母も強制されることになる。まれな例だがある公立中で列席者のうち一人だけしか起立しなかったこともあったと聞いた。実際は多くの教師たちがためらいながら起立し、おぼつかない口元でつぶやくように声を出している、その中の一人に私もいるのだろうと思い、いささか情けない気分になった。
■思想、良心の自由よりも職務命令?
大阪府教組が、「君が代」起立、斉唱の反対闘争をしているわけではない。君が代を歌うことに抵抗を感じる教師が少なからずいる、あるいはたいした疑問を感じないまま国歌に敬意を表している教師も相当数いるだろう。もちろん積極的に歌う教師もいる。そうしたすべての教師たちそれぞれに憲法第19条「思想および良心の自由」は適用されるはずだと言う理由から、教員組合は「君が代起立条例」と言う強制に強く反対しているという。
橋下大阪府知事は「ツイッター」で「公立学校の教員は税金で飯を食べさせてもらっている。国旗、国歌が嫌なら、公務員を辞めろって言うんだ」(5/19/11)と敵意をむき出しにしている。公務員である公立学校の教師に君が代演奏時に起立を求める学校長の職務命令に対しては2011年5月から7月にかけて、「職務命令は思想良心の自由を定めた憲法第19条に直ちに違反するとはいえない」(7/14/11最高裁判決など)、として最高裁判所が次々に合憲であるという判断を出している。これが橋下府知事に対する追い風となっている。
2011年5月30日の最高裁判決は要旨次のように述べた。
「学校教育法は国歌の現状と伝統の正しい理解を掲げている。地方公務員は法令や職務上の命令に従わなければならない。職務命令は良心の自由を制約するが、必要性、合理性があり憲法第19条に違反しない」。
憲法に反しても職務命令が優先する、という驚くべき論理が最高裁の認知を受けつつあるのはゆゆしき事態ではないか。
■橋下流"教育改革”に府民の反発
それにしてもなぜ大阪なのか、なぜ橋下府知事なのかと言う疑問が残る。
「君が代起立条例」には大阪維新の会以外のすべての政党が反対した。大阪府教育委員会すら懸念を表明している。今回の条例と9月に成立するであろう「処分条例」によって、教育の独立性が犯され、政治が教育を支配することが可能になると言う懸念はぬぐいがたい。
橋下府知事は大阪の教育行政を支配したいという野望があるのではないかと見られている。35人学級の廃止、学力調査の結果発表、府立高「進学指定特色校」、習熟度別指導、などの施策を次々に打ち出した。学校経営の民営化も視野に入れているともいわれている。だが教育行政に関する分野では、橋下府知事は成果を上げるところか、後退を余儀なくされてきた。PTA、校長会、教員組合などを含む大阪府民の幅広い層の反対で何一つ実現できていない。
「大阪府の教育予算はこの4年間589億円削減され、公立学校の教師は7000人の欠員があるのに2500人しか採用しない。担任がいない学級が40-45学級もある、パートの教師は1万人以上にふくれあがった」と田中委員長はは説明する。
橋下府知事の支持率はじりじり下がり始めている。府議会議員選挙の直前に行った読売新聞の支持率調査(4/4/11)では57%、2011年1月の調査では77%だった。橋下府知事には焦燥感がある。
■強制ないのは世界の常識、
米国では至る所に星条旗がはためき、様々な行事で国歌が歌われる。大リーグでもアメリカンフットボールでも、観客は全員が起立して胸に手をあてて歌う。しかしその行為は法律で定められ、強制されたものではない。国旗に敬礼しなかったことを理由に退学になった女子生徒の家族の起こした「バーネット」裁判で1943年、連邦最高裁は「強制は憲法修正一条の目的である知性と精神の領域を侵している」として違憲判決を出した。また「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」という判決もある。(1977年、ニューヨーク連邦地裁)。
ベトナム反戦運動あるいは世界的な反米行動などの中で、アメリカ国旗が踏みにじられ、あるいは燃やされるということもあった。こうした行為を処罰の対象にしようとする動きに対しアメリカ最高裁は次々に違憲の決定を出した。「国旗への冒涜行為を罰すれば、国旗が象徴する自由が損なわれる」(1989年)、「国旗を床に敷いたり、踏みつけたり、その上を歩いたりすることも表現の自由で保護される」(1989年)、「国旗を焼いた者を処罰する国旗法は言論表現の自由を定めた憲法修正一条に違反する」(1990年)
いうまでもないことだがヨーロッパ諸国、南北アメリカ諸国、アジアの諸国で学校または公共の場所で国歌の斉唱を強制し、従わない者を処罰する国があることは寡聞にして知らない。
■国歌が持つ栄光への賛美
私はかつてアメリカに滞在していた間、アメリカ国歌斉唱を数多く体験した。歌詞も英語で覚え、あまりまごつかずに歌うことが出来るようにもした。しかし「君が代」と同じような居心地の悪さは最後まで消えなかった。
イギリスとの独立戦争時の経験を元にしたというこの歌は、砲弾の飛び交う中、敢然とひるがえる星条旗をたたえ、そして自由のために戦う勇敢な戦士をたたえる。この旗の下、この国歌の下でアメリカはベトナム戦争を、イラク戦争を、アフガニスタン戦争を戦ったのではなかった、と思うと複雑な感情が去来する。
イギリスは七つの海に君臨した王(あるいは女王)をたたえる。かつて栄光の時代に数多くの植民地を有し、異民族に隷属を強いた時も、この国歌は高らかに響き渡った。
敵との激しい戦い、死を賭した愛国の精神、過去の栄光の歴史への賛美、あるいは君主への憧憬などが国歌の本質なのかも知れない。国歌の中に国家主義があふれ、その亡霊が未だに世界を徘徊している。
■国民の統一、自然賛歌への道
そうした国歌のステレオタイプを一歩脱した国がないわけではない。ナチスの時代、ドイツ民族の優秀性を誇る国歌であった。1949年同じ曲の歌詞の三番が「ドイツの統一への願いが込められている」として国歌になり、1990年東西ドイツ統一達成後にも引き継がれることになった。「心と手を携えて努力しようではないか、統一と正義と自由は、幸福の証である」という歌詞がベルリン壁の崩壊を導き、東ドイツとの統一を成し遂げたのだ。
世界には、韓国、フィンランド、チェコ、オーストラリアのように国土の自然を歌い込んだ国歌も数多い。アメリカには第二の国歌とも言われる「美しきアメリカ」という曲がある。9.11のあとこの曲が好んで歌われた。日本では東北大震災のあと「故郷(ふるさと)」、「上を向いて歩こう」、「世界にただ一つの花」などがしきりに歌われ、感動を呼んでいる。
震災という未曾有の困難から復興する過程で新しい国歌を選び直してはどうかと私は夢想する。「君が代」のメロディーは残し、万葉集や古今和歌集などの古歌から、今の私たちの心情にあったものを選んで歌詞とすることは可能だと個人的には思っている。だが現実には「新たな国歌」についての合意を見いだすことは不可能に近いだろう。
それであれば、「君が世」とは別に、自然豊かな日本をいつくしみ、津波や原発という未曾有の災害を乗り越えるための勇気を与え、人々の心に響く歌を創造していくことを考えるべきではないだろうか。
http://mediawatchblog.seesaa.net/article/227186467.html
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