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2011年09月24日 23時00分46秒 | 風化という病
一冊の書がある。
書名は、『反核異論』。
著者は、吉本隆明。
あまり有名ではない、深夜叢書という書店から、1983年2月に出版された。
当時、僕は、30歳。
島根県のさびれた漁村で、特定郵便局長をしていた。
日本の知識人たちから提起された反核運動は、
文学者、マスコミ、出版界、左翼政党、教育界…、などから強い支持を受け、
あっという間に、日本全国に広がり、
全国の老人会や婦人会までが、署名集めに歩くようになった。
その時、
吉本隆明ただ一人が、一冊の書だけを武器に、反核運動に異議申し立てをした。
僕なども知っているが、
吉本隆明は、
反核運動に賛同した、東工大以来の弟分とも言うべき文芸評論家奥野健男とも袂を分かち、
盟友内村剛介、信頼していた詩人清岡卓行、小説家島尾敏雄などとも縁を切り、
文学界、思想界、言論界、出版界などを相手に、たった独りの闘いを始めた。
吉本隆明の反核異論の根拠は、次の3点だった、と思う。
1 反核運動提唱者たちの核批判は、米国(自由主義国家)にだけ向けられていて、
ソ連(社会主義国家群)には向けられていない。
それは、つまり、社会主義国家群のためにする運動であって、公正な反核運動で
はない。やるのならば、米国だけを「悪」呼ばわりするのではなく、核保有国である
ソ連も同じ重さで批判すべきだ。
2 したがって、この運動は、左翼版「大政翼賛会」(=左翼ファッショ)になりかねない。
言論統制さえもしかねない左翼ファッショは拒絶すべきである。
3 反核運動提唱者たちの核認識は、SFマンガチックである。
科学というものへの理解と信頼が欠如している。
吉本隆明のこの主張に賛同したのは、文学界でも、ごく少数で、
目立ったところでは、
詩人で吉本の兄貴分だった鮎川信夫、作家の大西巨人、吉本の弟子筋の芹沢俊介、
それくらいのものだったと記憶している。
これは、以前この日記にも書いたことがあるが、
当時の僕は特定局長職にいたから、狭い漁村世界では、「知名人」の中に入っていた。
母親は、その界隈の連合婦人会長職に就いていた。
僕は、吉本隆明の『反核異論』に全面的に賛同していたから、
反核運動を、胡散臭い運動だ、と理解して、苦々しく見ていたし、
婦人会を母体にして、反核署名運動が始まった時、
これは阿呆のすることだ、と内心笑っていた。
ある日、婦人会の役員の女性がやって来て、
「局長さん。署名をお願いします」
と言った時、
「その運動は、僕とは考えが違いますから、署名はお断りします」
当然のように、僕は、その申し出を断った。
それは、僕にしては、当然過ぎるくらいに当然の拒絶だった。
そして、その件は、それで終わり、と軽く考えていた。
しかし、
それでは済まなかった。
何週間かするうちに、その漁村周辺で、反核署名しないのは、
僕以外には、地域で「偏屈者」で通っている何名かだけになったのだ。
婦人会の役員が何回か僕の郵便局にやって来て、
「局長さん。
郵便局長さんで署名していない局長さんは、あなた一人ですよ。
お母さんが連合婦人会長で、跡取りさんが署名しないじゃ、お母さんの顔が丸潰れですよ」
そこまで言うようになった。
近隣の郵便局長からも電話があって、
「何で署名しないのかね。
サイン一つのことじゃないか。署名してやりなさいよ」
そんな忠告をされた。
しかし、それでも僕は、
中野重治の『村の家』だとか、漱石の「不如帰厠半ばに出かねたり」という句を念じて、
断り続けた。
ある日、
母親が、泣きべそをかいたような表情で、僕の前に立ち、
「私は、お前の生き方に文句を言うつもりは決してないけど、
今回だけ、頼むから、私の顔に免じて、反核署名簿に名前を書いてくれないかい?」
恐る恐るの声で、そう懇願した。
僕は、母親の顔を見た。
「……、」
母親は、無言で僕を見つめているだけだった。
僕は、古い家に嫁いで、親族から虐げられるだけの数十年を送ってきた母親が、
好きで好きでたまらなかった。
別れた細君から、「あなたの奥さんは、私なの?お母さんなの?」と詰られるくらい、
母親のことを愛してきた。
その母親が、今にも泣きそうな顔で、僕に懇願している。
僕には僕の守らなければならない生活思想があり、
たかが署名一つ、と思うのは、それは間違いで、
そこに署名することは、僕が生活思想を語れなくなることに等しい。
僕は、生まれて初めて、
<日本的なるもの>と、真正面から向かい合ったのだった。
しかも、一番愛してやまない母親を介して。
「わかったよ。
今回だけは、お母さんの顔を立てて署名するよ」
僕は、母親に、力なくそう告げた。
母親の顔が輝いた。
「そう?
そうしてくれるかい?
…、よかった。
お前がどうしても署名しないって言ったら、お母さん、婦人会長を辞めるつもりだった」
母親は、そうも言った。
それ以降、30年近く、僕は、核問題に関して、何ひとつ語ったことがない。
今回も、僕は、「脱原発運動」に関して、何かを言おうとは思わない。
僕の信頼する三上治さんは、積極的に関与しているみたいだが、僕には、その気はまったくない。
それは、僕なりのけじめだ。
ただ、
この数年間小沢一郎を論じてきた人間として、最低限、
脱原発運動と小沢一郎支援運動を結び付けようとする人たちに、
それ、勘違いだよ。その二つは、次元の違う話だよ。
と言いたいだけだ。
僕の関心は、別のところにある。
僕は、母親の懇願に屈しながらも、この時の左翼ファッショを、激しく嫌悪した。
この国に時として姿を見せる「大政翼賛会」現象と、
その背後に存在する<日本的なるもの>を、嫌悪した。
ある時期からの僕は、<自由>というものに激しく惹かれて来たから、
たとえ身は国家公務員職でも、最低限の<自由>の希求だけは手放さない、
と思ってきた。
<自由>は、体制や世間の岩盤と向かい合った時に、初めて自覚される、ということを、
反核運動に署名して、<日本的なるもの>に屈してみて、初めて痛切に知った。
僕は、42歳で、すべての世俗的なしがらみを自らの手で断ち切った。
意志して断ち切った。
その時の苦い敗北から、
たとえ野垂れ死にをしようとも、人としての<自由>を手放すまい、と決心したからだ。
そうして、今、僕は、この場所にいるのだが、
自慢する気も、また逆に卑下する気もまったくなく、
この国に、一人くらい、<野垂れ死にをも許される自由>を追い求める男がいてもいいだろう、
と思っている。
私ごとに筆が向かい過ぎたので、話を元に戻。
反核運動と吉本隆明との闘いは、どんな結末になったかというと、
思想世界での評価では、吉本隆明の勝利で終わった。
そう書くと、向こう側の人間たちは、「いや、そうではない」と言い張ることだろうが、
反核運動は完膚なまでに論破され、その論理の欺瞞性を暴かれ、
吉本隆明の勝利で終わった。
その背景には、反核運動を先導していたソ連の体制が崩れ始め、
反核運動どころではなくなったこともあった、と思う。
事実、数年後に社会主義国家群は、崩壊した。
今回、「脱原発運動」が、猛烈な勢いで膨らみ始めた時、
「反核運動の再来だな」
と、僕は思った。
主導している顔ぶれも、以前と大差ない。大江健三郎まで出てきた。
変わった事といえば、東西冷戦構造がすでに崩壊してしまっていることだけだ。
ただ、それは、今回の脱原発運動には、幸いしてる。
この脱原発の主張は、美しすぎて、異論のはさみようがない。
提唱者たちの言っていることは、
代替エネルギーをどうするのか、その資金はどう捻出するのか、といったことを無視するなら、
誰の耳にも、まったく正しく聞こえる。
それはちょうど、
マスコミが「クリーンな政治を!」と訴えて小沢一郎を指弾する声と、音質が一緒の、
反論のしようがない「正論」だ。
きっと、今に、
この国に、「脱原発署名活動」が始まり、
日本国中の人が、脱原発賛成の署名を求められ、ほとんどがそれに応じることだろう。
しかし、
その時、この運動の提唱者たちは、あるいは、末端での運動員たちは、
一部国民の「異議」や「反論」を受け入れる包容力を見せるのであろうか?
僕には、そこのところが、あまり信じられない。
「これに署名しない国民は、非国民である」といった風潮がまた蔓延するのではないのか、
といった危惧を払拭することが出来ない。
それは、どこから危惧するかというと、
現在ネットで脱原発デモに参加して書き込みをしている人たちのはしゃぎぶりからだ。
このはしゃぎぶりは、
かつて、太平洋戦争の時に、
「国が戦争をしているのだから、国民が総出で協力するのは当たり前のことだ」
また、反核運動で、
「世界から核をなくすことは、唯一の被爆国である日本国民の悲願だ」
末端が見せたはしゃぎぶりと、とてもとても酷似している。
こうした「大政翼賛会」的兆候が露出してきた時に起きるのは、
自由な言論の封殺だ。
異論反論の排除だ。
「何故こんな正しい意見に反論するのか」
そう言われて反論できる人間は少ないだろう。
例えば、原発問題が浮上してきた時、
三上さんや山田さんが主張した「原発決死隊」の組織結成論に対して、
反撥するどころか、自分もその一員に、と申し込みさえして来た。
これが「大政翼賛会」現象、言葉を換えれば、<日本的なるもの>の特徴だ。
この流れは、いずれ必ず、<理念(あるいは論理)の風化>の道へとつながる。
一方で、菅政権を引き金として、政治の<風化>が加速し、
その一方で、脱原発運動を契機にして<理念の風化>が始まろうとしている。
つまり、この国に、これまで以上に激しい<風化の季節>が始まろうとしている。
ひょっとしたら、それは杞憂(きゆう)に過ぎないかもしれず、
そんな疑念を抱くのは、この僕だけなのかもしれない。
しかし、これまでのこの国の歴史、この国の民の歴史を振り返ると、
「そんなことはない」
と言い切れないないように、そう思えてしょうがない。
僕は、そういう<風化>を阻止するためにも、
小沢一郎という「論理を大切にする政治家」の存在が、この国には必要だ、と思ってきた。
彼が与える知性の緊迫感が、この国には必要だ、と思ってきた。
そのために、小沢一郎を支援する人間たちは、
くだらない刑事被告人の立場なんぞにめげずに活動出来るよう、知恵を結集せねばならない、
と願ってきた。
しかし、
現実を見るならば、
これまでの「小沢一郎支援デモ」の参加者たちが、
まるで、「脱原発デモ」が「小沢一郎支援デモ」と同義でもあるかのように、
はしゃぎまくっているのを見て、
もの悲しさを覚えた。
論理も理念も、一度得た限りは、<風化><退行>させてはならない。
人はそのために、精神を、また知性を、日々鍛錬すべきである。
それは、僕たちの<戦後昭和>が、僕たちに教えた教訓であったはずが、
ゆるやかな退行の兆しの中で、
この国の<明日>がぼやけ始めているように、僕には思え、
少しばかりの憂愁の中で日々を送っているこの頃だ。
小沢一郎の自民党離党と新生党結党を引き金とした総選挙で初当選した政治家が総理になる時代だ。
あれから20年近くが経ち、小沢一郎も、僕たちも、老い、
当時の若者がそれなりの成長をし、社会の中核を担い始めた。
<戦後昭和>は、もう、遠い過去になったのかもしれない。
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コメント
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なぜデモに参加したのか。 (たるごや)
2011-09-25 01:59:14
小沢さんが、検察の暴挙で抹殺されるのを、阻止したい。
裏で、何らかの権力が、動いている。
小沢さんが「真の民主主義を日本に・・。」
と言っておられることは、「日本を植民地から、独立国に・・・・。」ということ。
今でも、郵貯の数百兆は、狙われている。
とにかく、小沢さんを救いたいという、一心からデモに参加した。
小沢さん御自身は、この国の,現在の政治力学を分析した、「首相になりたくない」と、言っておられるのだから、「小沢さんを首相に・・・。」なんて、馬鹿な考えは持っていない。
、
3・11などのことがあったが、8月末の政変で、何とか生き延びたと、思う。
特攻隊長、森ゆう子参議院議員は、当選2回ながら、文部科学省副大臣。(論功賞カナ)1月の憲政会館での小沢支援集会では、まさにジャンヌ・ダルクであった。また、5月23日の文部科学省前庭での、福島の母親支援で、同席した、川内博史衆議院議員とともに熱弁を振るった。
川内さんは、今回、衆議院の「政治倫理審査会」の会長になります。
小沢側近の、国家公安委員長(環境瓦礫処理大臣兼務)、防衛大臣、幹事長なども、失言失脚を狙われていますが、何とか乗り切ることを願っています。
小沢さんが、抹殺される危機が遠くなったと思う日t路が増えるにつれて、「小沢支持デモ」
は下火になってゆきます。
5/23福島の母親父親文科省で抗議、森ゆう子議員泣いています。
http://www.youtube.com/watch?v=IVG0mZaj4Sg
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