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・2011.9.23(その3) 森田実の言わねばならぬ【789】
平和・自立・調和の日本をつくるために [789]
《新・森田実の政治日誌》[続・マスコミを叱る〈40〉]狂気性をもったマスコミ人のおそろしさ/マスコミの取材記者のなかには言論の自由、報道の自由をはき違えている記者が多い/何でもしてよいと思っている/固定観念と偏見の虜になった異常性をもった記者が少なくない/こういう記者に狙われたら人権は危険にさらされる
「善がなければ人間はうるさくて有害劣悪な動物にすぎない」(フランシス・ベーコン)
「あらゆる恐怖の中で、最も恐るべき恐怖は狂気にとりつかれた人間である」(シラー)
9月20日の産経新聞朝刊政治面に鉢呂吉雄前経産相のインタビューの要旨が掲載されている。このなかで鉢呂氏は「マスコミは怖いですね」と言っている。たしかにマスコミは怖い。この際、50年ほど前の私の体験を記しておきたい。
60年安保が終わって3年ほど経った頃のことだった。私に就職の機会があった。学生時代の友人が日本評論社編集局の幹部社員を紹介してくれたのである。このとき私は浪人中で、学習塾を細々と経営していた。友人の熱心な勧めで日本評論社編集局の幹部と会った。たいへん良い人だったので、誘いを受けることにした。ところが、それからが大変だった。入社試験に合格し内定が決まったが、労働組合が私の入社に徹底的に反対し、こじれてしまった。労働組合員の中に共産党や構造改革派がいて、私の入社を妨害したのだ。私は新左翼とは訣別して自由人になっていたが、彼らは私がまだ新左翼だと信じていたのだ。私は数か月間待たされた。宙ぶらりんの状態におかれた。人権を蹂躙された。左翼も狂気である。
入社を待たされている最中に週刊新潮の取材記者二人が訪ねてきた。会うと、「森田さん、あなたについて重要な情報が入った。あなたは某自民党大幹部の娘と結婚したそうですね。砂川基地反対闘争の闘士が自民党大幹部の娘と結婚したことを記事にします」と言うのだ。「それは違う。事実無根だ。よく調べてくれ。私の家内の父親は医者だ。政治家ではない。とんでもない間違いだ」と言うと、「当事者は否定するものだ。真実はあなたの奥さんは自民党大物政治家の娘だ。証拠はある」と頑張り一歩も引かない。
週刊新潮から狙われている最中のことだった。私は、日本評論社を訪ねて、私の入社の実現性について聞いた。社長はもう少し待ってくれ、組合の態度が強硬なんだ、困っていると言った。そこで私は、「週刊新潮に書かれたら、たとえデマであっても、入社は困難ですか」と聞くと、「間違いなくダメになる」との答だった。週刊新潮の二人の記者は、私の入社を妨害するためにやってきたのか、とすら思った。とにかく、私に悪意をもつ何者かが仕掛けたことだけはわかった。私は見えざる敵と戦うことになった。
そこで私は日本評論社の社長に、新潮社に対しデマを記事にしないよう話してくれと頼んだ。社長は新潮社に電話してくれたが、担当記者二人は引き下がらず、日本評論社の社長を訪ねてきた。私もそこに呼ばれた。そこで社長と私は、二人の記者に週刊新潮編集部への私の結婚に関する投書は事実無根であることを諄々と説いたが、納得しない。ついに二人の記者は私の家内の香川県の実家にまで押しかけた。家内の実家は香川県ではかなり著名な病院である。記者は病院を見ても、家内の家族の話を聞いても引き下がらない。「当事者は嘘をつくものだ」と固く信じていたのだ。戸籍謄本を取り寄せてやっと投書が間違いだったことを知り引き下がったが、記者二人は一切謝罪もせず消え去った。週刊新潮編集部からの一言の謝罪もなかった。ただ、小さなクッキー一箱を送ってきた。疚しさはあったのかもしれない。
新聞社、週刊誌の記者は、投書や秘密性をもったリーク情報に弱く、すぐ信じてしまう。恐ろしいことだ。私は一カ月間、週刊新潮の二人の取材記者のターゲットにされた。彼らは何度も私の家にやってきて、私に認めろと迫った。たとえ誤報でも、週刊新潮の記事が出れば、私は日本評論社に入社することはできなかった。闇の投書者は目的を達することができただろう。
誰がこんな恥ずべきことをしたかはわからない。
1950年代後半、私は全学連幹部としてマスコミの取材対象になっていた。私の演説はテレビでも放映された。1956年の砂川闘争から1960年の安保闘争が終わるまで、何回も新聞に名前が出た。とくに砂川闘争の時は約一カ月間、私の名は新聞に毎日載った。同時にそれとともに絶えず中傷と誹謗にさらされた。私は禁欲主義者だったが、かなりひどい嘘も書かれた。何回も下劣なデマを飛ばされた。60年安保が終わったあとも、執拗に何回もやられた。世の中にはしつこい人がいるものだ。 「自民党大物政治家の娘と結婚した」とのデマを信じた二人の週刊新潮の記者は、おそらく社員ではなく、トップ屋だったのではないかと思う。彼らは、たとえデマでも、狙った人間は必ず社会的に葬るという姿勢を隠そうとしなかった。私に対する態度は刑事よりも傲慢だった。
最近は、週刊誌も少し変わってきていることは確かである。こんなことをすれば訴えられ有罪になる。罰金も何千万円になる。最近は裁判所も高い罰金を科すようになって、マスコミもあまり荒っぽいことはしなくなったが、50年前は、週刊誌は裁判になることを恐れなかった。「騒ぎを起こして裁判になれば新聞記事になり、タダで広告させることになり、雑誌がよく売れる」などとうそぶく記者も少なくなかった。
私を刺そうとしたものが誰かは特定できなかったが、闇の狙撃者はマスコミを利用する。そして私に関するデマを週刊新潮に投書した。これに週刊新潮編集部は見事に引っかかった。そして編集部が二人のトップ屋に命令したのであろう。二人のトップ屋は編集部の指示を受けて猪突猛進した。暴れ回ったすえ、やっとデマだとわかって引き下がった。それにしても、真っ赤な偽りだといくら説明しても証拠を示しても納得しなかった編集部とトップ屋の思い込みはひどすぎた。編集部、記者が「思い込み」をやめない限りマスコミの狂気は続くことになる。
今回、鉢呂氏が何回も「(そんなことを)言った記憶はない」と言っても、マスコミは無視した。おそらく「当事者は嘘をつくものだ」と決めつけていたのであろう。マスコミは第四の権力と言われているが、いまや第一権力である。権力者が傲慢になったとき、権力は国民にとって凶器となる。これを止めるのはマスコミ人の倫理である。倫理なきマスコミほど恐ろしいものはない。
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