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小沢一郎が自らの傘下にある3つのグループの統合にも難儀をしているそうです。
今回の代表戦前に、野田、仙石を会談をしていたこともグループの多くのメンバーにとっては以外と映っているようです。
結局は海江田を担いだが、それまでに興石と言ったり西岡と言ったり、節操のない人選も理解が出来ません。
この期に及んでの、小沢の右往左往は何処から来るのか、最終的に新小沢一郎論を検証してみましょう。
結論から言いますと、小沢の政治理念は始めから矛盾を含んでいると言う事になります。
「国民の生活第一」と言いながら、具体的なかたちには全く触れていません。
言葉だけなら「国民の生活を守ること」など政治家としての基本であり、ことさら言わなくても良いことです。
多くの人は、高速道路の無料化、子供手当て、高校の授業料無償化、農家の個別補償、年金の一元化、官僚政治の打破、を持って「国民の生活第一」と考えていると思います。
このうち「官僚政治の打破」はなるほど現在、先ず第一にやらねばならないことですが、それによって格差の問題が解決する訳ではなく、雇用が増えることにもなりません。
国民の問題と言うより、これまで腐敗してきた政治、そのものに責任を取るということです。
ついでに言っておきますと、小沢は口ほどではなく、官僚制度に大鉈を振るうつもりは全くないものと考えています。
小沢は、事ある毎に我が国の官僚の優秀さを言ってきております。
また、今の民主党の議員では、官僚に頼らねば何も出来ないことも明白です。
年金の一元化、基礎年金は国民の為の施策で、もっとも期待するところですが、これも子供手当てさえ頓挫してしまっている民主党の力で、実施することなど、まさしく絵に描いた持ちに過ぎず、只の絵であるなら、中学生でも描けます。
後の、高速道路の無料化、子供手当て、高校の授業料無償化、農家の個別補償ですが、これは殆ど選挙目当てのバラマキ政策と化しています。
何となれば、これも一般的希望の範囲で言っているに過ぎず、それを実行するために何をしなけらばならないか、と言う政策的裏づけがないのです。
だから、財政的にけ躓くと、すぐに後退します。
新たな財源を官僚の無駄使いから出すなら出し、それが出来ないなら、従来の施策を縮小してでもやるべき施策ではなかったのか、と言うことです。
そういう使命感に裏打ちされてない政策を、無責任に選挙の為にマニュフェストとして掲げたのです。
マニュフェストが、もともとそのような無責任なものであるなら、マニュフェストを掲げた選挙、政治など欺瞞、そのものであり、国民に対する冒涜以外の何者でもない。
この様な事態になるのは、小沢自身に根本的な理念がなかったということになります。
もともと、小沢は自由主義経済論者であり「小さな政府」信奉者です。
それが、どうして上記のマニュフェストにつながるのでしょう。
「国民の生活第一」と言うのは「大きな政府」でなければ保証できないのです。
すでに、根幹からして、小沢は無責任なことを言っているのです。
道州制も小沢の持論ですし、各種の補助金を地方交付金として地方の自治をしっかりとすることも良く言っています。
しかしながら、我が国の経済が好調な時にはそれが有効でも、これほど経済の矛盾が大きくなり、地方ほど疲弊が酷くなっている時に、僅かな財源を渡して、自分たちでやれ、とは無責任も甚だしいかぎりです。
グローバル化の影響で、我が国の隅々までが困窮しているとき、それを克服する手立ては国家単位でなければ出来ないはずです。
こういうところにも、小沢が小泉と同質の自由主義論者である根拠を見出します。
この様に、小沢の本心とマニュフェストの矛盾について、小沢には解決の為の何の手立てを持ち合わせていないことが判ります。
こういう観点から、小沢を見れば、鳩山の愚行にも菅の暴走にも特段の注文をつけることなく、政局のみに終始してきたことが理解できる。
小沢には、糾弾サイトで問題にしてるような「新しい国のかたち」「新しい経済のかたち」を想定した抱負は何もないことが解かります。
それで「国民の生活第一」を標榜するとは、如何にもおこがましいかぎりです。
また、冒頭で、小沢が小沢グループを総括できないことについて言いましたが、それは、小沢自身が、この様に括弧たる政治理念を確立できてないこととつながります。
自民党を出てから20年、民主党を作ってからも5年以上経っています。
小沢に不動の理念があるなら、周囲のものがそれを感じるならば、小沢を支援する人間が、このような少数である訳がありません。
もしくは小沢が人を説得できる理念の人であれば、有力政治家としてこれほど世にあった小沢を周囲がほって置く訳がありません。
一方、この様な視点で見ると、小沢グループが選挙の為の結束であることも人数的に理解でき、小沢が新党の立ち上げに躊躇する理由も納得できる。
しかしながら、これまでの小沢の実績から、小沢を無能者などとは思いません。政治家としての誠実も認めます。
小沢がスーパーマンでなかったと責めることもしません。
しかしながら、この様な小沢に期待できることと、出来ないことを見極める必要もあると思い「新小沢一郎論」を言っているのみです。
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