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悲哀!角栄の"晩年"にそっくり小沢一郎の落日
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20560
2011年09月23日(金) 週刊現代 :現代ビジネス
勝てないから見切られて、人が離れていく。焦っても、かつてほどの力(カネ)がない。そして「どじょう」に寝返るユダが止めを刺す
かつて田中角栄は、「頂上を極めるためには敵を減らすことだ」と語った。だが弟子は、その言葉を実践することができなかった。政界一の憎まれ役になった末、政治家・小沢一郎の黄昏が迫っている。
■腹心たちが見放した
「小沢はもう終わりだな」
「決まってるじゃないですか。終わりですよ」
野田佳彦内閣が発足した直後のことである。今回の組閣で政務三役に抜擢された議員2人が、密かにそんな会話を交わしていた。
2人は小沢一郎元代表に対抗する民主党内の非小沢勢力・・・・・・ではない。彼らはともに、小沢グループでは中核と目されるメンバーだ。
自他ともに認めるバリバリの小沢系---にもかかわらず、2人は小沢に対する憤りを隠さず、すっかり見限った様子だった。
「なぜ小沢は、代表選の前に野田と会っていたんだ。あれは俺たちに対する重大な裏切り行為だよ」
民主党代表選が告示される直前、8月下旬のこと。小沢はかつての同志・細川護煕元首相を介し、野田首相との極秘会談を行った。
細川の証言によれば、小沢と野田の会談時間は約40分。ともに幹部として長く同じ党に属していたにもかかわらず、両者がサシで話をするのは、これが初めてだったという。
会談は終始、和やかな雰囲気だったようだ。細川によれば、野田が代表選で披露したどじょう演説≠ノ対し、小沢は「よかった」と電話で感想を伝え、さらに側近の輿石東参院議員会長が党幹事長に就任したことについても、「とても良い人事だ」と、野田を手放しで褒めたという。
だがこの極秘会談は、小沢を支えるべく、野田や前原誠司政調会長、仙谷由人政調会長代行ら「反小沢勢力」との闘争を繰り広げてきた小沢の側近たちにとって、「許しがたい裏切り」にしか思えなかった。
小沢グループのベテラン議員の一人は、忌々しげにこう語った。
「野田だけではない。小沢は我々には何も言わず、仙谷とも会っていた。結局、代表選が終わったら野田・仙谷にスリ寄って裏で手を結ぶつもりだったんじゃないか」
冒頭で「小沢は終わり」と言い放った政務三役の一人も、こう吐き捨てた。
「これじゃあ来年9月(の代表選)も、野田が続投するのは決定的だな。小沢はもう終わったんだよ。今後、たとえ裁判がうまくいって無罪になったとしても、総理を目指すなんてとても無理だ。せいぜい野田の下で、副総理止まりだろうよ」
2年前の政権交代の時点で、小沢とその「軍団」の力は、まさに他を圧倒していた。当時の鳩山由紀夫首相以下、閣僚も党役員も、小沢大♀イ事長に逆らうことはできなかった。
その影響力は、小沢が政治の師と仰ぐ故・田中角栄元首相を彷彿とさせるものだった。角栄は'76年にロッキード事件で失脚するも、その後の内閣は「角影内閣」「直角内閣」などと呼ばれ、政界のキングメーカーとして君臨した。
時の総理も大臣も逆らえない、圧倒的な権力。小沢はほんのひと時、師匠に並びかけたのかもしれない。だが、絶頂は長く続かなかった。
角栄がロッキード事件の裁判の過程で力を失っていったように、小沢もまた「政治とカネ」の裁判を抱え、昨年6月に幹事長を失職する。以来、自ら代表選に出馬するなど、幾度となく復権を図ってきたが、今回の代表選では野田に敗北。9月26日には、元秘書の大久保隆規被告ら3人の政治資金規正法違反事件の判決が控えている。小沢の政治生命は、いよいよ「落日」を迎えようとしているのだ。
代表選で事実上の3連敗を喫した直後、小沢は自身の傘下にある3つのグループ、「一新会」「北辰会」「参院小沢グループ」の統合を発表した。約120名を一つに統合し、来年9月に予定される次回代表選に備えるため、と見られている。
ところが驚くべきことに、「絶対服従」のはずの配下の議員たちが、小沢の号令に従わなかった。それどころかグループ内から統合案への異論が続出し、計画が頓挫したのである。
小沢グループの議員たちからは、こんな反対意見が次々と飛び出した。
「小沢さんが有無を言わさず1人で統合を決めてしまった。代表選の敗因の分析もしないうちに、統合という結論ありきはおかしい」(小沢グループ中堅議員)
「代表選の連敗により、党内で反小沢票のほうが過半数を占めていることがはっきりした。小沢グループの数は減る一方だ。まずは仲間を増やすべきなのに、グループ統合論になるのは解せない。統合なんてすれば、締め付けを嫌がって仲間がさらに減るだけ」(同若手議員)
「いくらタマがないからと言っても、西岡武夫参院議長や輿石東参院議員会長なんていう、突拍子もない名前が飛び出した時点で、政治的に終わっている。小沢さんは、カンがすっかり鈍ってしまったのではないか」(同ベテラン議員)
小沢グループは、かつての「田中軍団」を彷彿とさせる、鉄の結束力を誇ると言われてきた。
しかし、領袖の角栄本人を含め、その後に何人もの総理大臣を輩出し、七奉行と称された幹部など人材の宝庫だった旧田中派に対し、小沢グループはまだ総理の椅子を手にしたこともなければ、お世辞にも人材が豊富とは言えない。
政治評論家の小林吉弥氏はこう評する。
「田中元首相と小沢氏の人間性の違いが、集団の特性にも影響しているのでしょう。田中氏のもとには、彼の人間的な魅力に畏怖や尊敬の念を持った有能な人間が集まり、それが政治を動かす力に繋がっていた。
一方で小沢氏の場合、田中氏が持っていたような懐の深さ、心の広さを感じることが少ない。小沢氏の周囲には、『選挙でバックアップしてもらえるかどうか』など、損か得かの利害関係に基づいた人間関係しかありません。そこが田中氏ともっとも異なる点であり、小沢氏が決して田中角栄にはなれない所以なのです」
その権力の源泉がカネであるのは共通しているが、角栄の人間力で結びついていた面もある田中軍団に対し、滅多に人前に姿を現さず、引きこもりがちで人見知りな小沢の率いる軍団には、そうした「陽」の雰囲気がほとんどない。
それでも、どうして表面上の結束を保っているかと言えば、カネをバラまき、一部の側近が「恐怖政治」を布いて、新人・若手の不満を抑えつけているのが実態だ。
同グループの若手の中には、代表選前に先輩議員から「てめえ」呼ばわりで怒鳴られ、「従え」と恫喝され、渋々、方針に従ったという者が少なからずいる。
そんな空気に辟易していた新人らが、「グループを統合し結束をより強化する」などと言われたら、「これ以上はもうごめんだ」と考えるのは当然だろう。
■総理を目指せば命取り
さらに、小沢が抱える問題はグループ内の求心力低下だけではない。これまで小沢と歩調を合わせてきた鳩山の口からも、最近、こんな発言が飛び出した。
「このまま、小沢さんとの付き合いを続けていっていいものかどうか・・・・・・」
全国紙政治部民主党担当記者が、鳩山の心境をこう解説する。
「小沢・鳩山両グループは、近々、合同で勉強会を開くことになっていますが、鳩山グループは内部崩壊が進んでボロボロ。代表選で鹿野道彦農水相を支持した大畠章宏前国交相、中山義活元首相補佐官は裏切り者扱いで、松野頼久元官房副長官は『出戻りは許さない』と批判しています。所属議員がどんどん減り、このままでは鳩山グループは小沢グループと統合するしか影響力を残す道はなさそうだが、果たしてそれでいいのか、鳩山氏は悩んでいる」
盟友からは距離を置かれ、配下には見限られ、周囲から櫛の歯が欠けるように人が去っていく。小沢は、角栄の晩年の姿にそっくりになってきた。
それでも復権を目指して足掻き続ける小沢について、政治評論家の三宅久之氏は、「もしも来年9月の次回代表選に、自分自身が出馬することを狙っているようなら、それこそ小沢氏の政治生命は終わりでしょう」として、こう語る。
「かつて田中角栄も、政治家としての晩年に復権を目指しました。ですが、結果的にはそれが、小沢氏や竹下登元首相らの離反を招くことになったのです」
角栄はロッキード事件の控訴審判決('87年)を受けるため、東京高裁に向かう直前、秘書だった早坂茂三に「いままで苦労をかけた。だが今日で(無罪判決が出て)終わりだ」と、力強く言い放ったという(実際には高裁が一審の有罪判決を支持、控訴棄却)。
「角栄自身は無罪になることを信じ、最後の最後まで復権への執念を燃やしていました。しかしそれは、彼の腹心らにとっては容認できないものでした。『角さんの復権の下働きをしていたら、いつまでたっても俺たちの夜は明けない』。そう思った彼らは、竹下氏を中心に『創政会』を結成、田中派を離脱していきます。小沢氏も、いまさら自分が総理の椅子に座ることを考えたりすれば、部下たちの離反を招き、当時の田中氏と同じ境遇に陥ってしまうでしょう」(三宅氏)
当時、竹下は自派閥の立ち上げにあたり、初会合に集まった議員らに現金を配った。その金額は佐藤栄作政権の末期に、角栄が自分の派閥を結成する際、料亭に集まった配下の議員に配ったのと同じ200万円だったと言われている。
角栄は怒り狂い、竹下から現金をもらった議員一人ひとりに電話をかけ、「竹下は悪い夢を見ている。俺が必ず、目を覚まさせてやる」と説得を試みたが、すべては、手遅れだった。派閥を乗っ取られた角栄は酒に溺れ、病に倒れて命を縮めてしまった。
それから約25年。当時とまったく同じ、「カネで数を買う」角栄方式を受け継ぎ、それを実践してきたのが小沢だったが、それも、もはや限界に来ている。
■カネはもうバラまけない
そんな窮地にあって、小沢に唯一の光明があるとすれば、野田陣営との密議≠ェ効を奏したためか、新政権の人事面で、小沢グループがそれなりに処遇されたことだろう。
筆頭は幹事長に就任した輿石東。さらに、小沢グループの長老の一人、山岡賢次が国家公安委員長・拉致問題担当相に就任し、参院小沢グループからは一川保夫参院議員が防衛相に抜擢された。他にも田中真紀子元外相が衆院外務委員長に就くというサプライズなど、小沢グループ・小沢擁護のうるさ型≠フ議員には、政府と党の要職があてがわれている。
ただ、政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏は、
「今回の人事は、小沢グループを厚遇したわけでも、党内融和を目指したものでもありません」
として、こう語る。
「野田政権の人事は、単に財務省主導で増税を行うためのシフトに過ぎません。それは財務省の勝栄二郎事務次官と親しい、国交省の竹歳誠次官が官房副長官として官邸に入っていることからも明らか。さらには旧大蔵省OBの藤井裕久元財務相を新設の党税制調査会長に据え、政調会長代行には仙谷氏が就きました。藤井・仙谷両氏は、6月に策定された『税と社会保障の一体改革案』の取りまとめをした張本人です。今後は、消費税率の段階的引き上げに向け、党内をまとめていくつもりでしょう」
野田首相は政府・与党の政策を決定し、方向付ける権限を党政調会に集中させた。第2の首相とも言えるポジションの政調会長に就任したのは、野田と近い前原誠司。その後見役が政調会長代行の仙谷だ。
「影響力が弱まるどころか、仙谷支配≠サのもの。表に出なくて済む分、いっそう自由に仙谷氏が動けるようになった。前原氏も、『政調を通さなければ、法案は一本も通らないんだ。つまり(最高実力者は)俺なんだ』と、自信満々です」(民主党中間派代議士)
一方、幹事長ポストに輿石氏が座ったことに、小沢本人は「こちらにずいぶん配慮してくれている」などと語り、満足感を示しているという。党員資格を停止され、昔の名前∴ネ外に何も持っていない小沢にとって、党のカネと選挙の公認権を握る幹事長ポストは生命線だ。何とかクビの皮一枚繋がり、めでたし、めでたし……かと言えば、そうでもない。
小沢グループ幹部の一人は、こう危惧する。
「小沢さんは密かに、輿石さんの言動に注意を払っています。幹事長ポストを獲ったのは悪くないが、『長いものには巻かれろ』といった性格の輿石さんが、野田首相サイドに取り込まれてしまったら意味がない」
輿石は幹事長に就任するやいなや、幹事長代行に就いた樽床伸二に対し、
「俺もアバウトな男だから、衆院のこと、とりわけ選挙のことはよろしく頼むよ」
と、実務を丸投げしてしまった。樽床は、ほくそ笑んだと思われる。何しろこの輿石の一言で、樽床は事実上、幹事長の権力の大半を握ったも同然だからだ。
「輿石さんは就任挨拶で自民党に行った際も、同行していた前原氏と樽床氏を指差し、『私は衆院のことは、さっぱり分かりません。相談はこの人たちとやってください』と言い放ち、周囲を唖然とさせました。
小沢氏の周辺からは『小泉政権時代に、青木幹雄氏(元自民党参院議員会長)が小泉元首相に一本釣りされ、旧経世会が分裂状態に陥った時と同じことが起きるのではないか』と、不安の声が挙がっています」(民主党ベテラン議員)
身内だと思って頼りにしていた輿石が、実は裏切り者の「ユダ」に変わる。小沢にとっては、まさに最悪のシナリオである。
しかも、仮に輿石が小沢の思惑通りに「都合の良い幹事長」になろうとしても、それすら難しい、という見方がある。幹事長権限のうち、もっとも政治的に旨味があるのは、「選挙対策」などの名目で党のカネを自由に使えることだ。
ところが民主党は、岡田克也前幹事長が「300万円以上の支出に対しては監査を行う」という通称岡田ルール≠導入したため、かつてのように使途不明のカネを気ままにバラまくことは難しくなった。
「幹事長室には、輿石氏の他に鈴木克昌・一新会会長や、小沢氏の秘書出身の樋高剛氏が副幹事長として入りましたが、彼らの動向をチェックするのが樽床幹事長代行の役割です。しかも、党のカネの出納を管理する党財務委員長には、野田グループの武正公一氏が就いています。以前のように、カネをバラまいて配下の議員たちに恩を売るような手口は、もはや通用しません」(全国紙政治部デスク)
■次の衆院選で終わり
カネの切れ目は縁の切れ目・・・・・・。小沢は、師匠の角栄を反面教師としてきたはずだったが、結局は師匠と同様、カネで維持してきた権力を、カネによって失おうとしている。
さすがに、本人にも「ここは正念場」という自覚があるのだろう。このところ小沢は、今までほとんどやってこなかった、現場の若手議員たちとの直接対話を始めている。
「『直接話したこともないような奴が、俺のことを批判してるんだ。会って話してからならともかく、そうでないのに攻撃されるのはかなわん』と、周囲には愚痴っているそうです。そこで、若手を中心にグループの議員たちと会合の場を持とうとしています。以前のことを考えれば、これは大きな進歩と言えないこともない。自分でも、『このままでは角さんのようになってしまう』という自覚があるのでしょう。
不満が溜まっている若手に対するガス抜きなのかもしれませんが、彼らに何を言われても、『ふん、ふん。そうか』と黙って頷いて聞いているようですよ」(前出・民主党ベテラン代議士)
会って話をして付き合えば、その人間のことがよく分かるのに、知らないまま毛嫌いしている場合が多い。自戒すべきである---とは、角栄が遺した言葉の一つ。政界有数の人見知りと言われる小沢だが、だいぶ遅ればせながら、師匠の言葉を実践するつもりになったのだろうか。
ただし、それでも小沢が政治的に追い詰められつつあるのは間違いない。
「小沢氏が、依然として民主党政権内に隠然たる影響力を持っていることは確かでしょう。しかし、それも次回の衆院選までです。次の総選挙で、おそらく小沢グループの議員の大半は落選することになる。そうなれば必然的に、小沢氏は政治的なパワーを失うことになります」(前出・三宅氏)
〈年如流水去不返 人似草木争春栄〉(年は流水の如く去って返らず、人は草木に似て春栄を争う)
これは角栄が好んだという、明治の元勲・木戸孝允の手になる漢詩だ。憂国の情を表したものとされ、「歳月は流れる水のように二度と返って来ないのに、人々は春の草木が美しさを競うように、己の出世ばかりを願い私利私欲に走っている」と嘆いている。
角栄はこの詩を愛し、人にも大事な人生訓としてその意味を伝えながら、ついに自らは、最後まで「春栄を争う」ことを止めることができなかった。
小沢は当然、この詩の存在も、その意味もよく知っているだろう。分かっていてなお、権力を追いつづけることを止められない己の性を、いま噛み締めているかもしれない。
(文中一部敬称略)
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