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そもそも「原子力の平和利用」と言うが、今のフクシマの状況、これが「平和」の帰結だろうか?
★「風評被害」という言葉の使われ方が、この(場合、当てはまらないだろうと思います。なぜなら、「風評」ではないのですから。
★10年ほどして、がん患者が急増し、死亡者が続出する事態になれば、「菅直人を中心とした政権」は、「未必の故意」による殺人者の集団ということになる。後世、この殺人者どもを裁ききる「正義の政権」が誕生することを、痛切に希(こいねが)ってやまない。
★「記載ミス」とされた事柄を世紀の大疑獄事件のように大騒ぎで報じた記者クラブメディアだが、「原発利権共同体」の数々のウソや隠蔽には大甘だ。ミスには厳しくウソには甘い。世界の常識から見れば真逆。
★高橋北海道知事や古川佐賀県知事の行状を見るにつけ、「知事」とは自治体に送り込まれた「原発利権共同体」の代理人でしかないということに気づかされる。
★巨大な原発利権はスルーして、「被爆者利権を許さないぞ」とかのたまう在特会の最低最悪。「強きを助け弱きをくじく」集団は、たとえば「仮面ライダー」のショッカーとか、「レインボーマン」の死ね死ね団みたいなものか。
★日本の満州と言われた悲惨な六ヶ所村が核再処理工場のおかげで豊かになった。それが無ければ悲惨なままだった。しかし、経済的に困窮している市町村は六ヶ所村だけではない。本質的な「過疎」の問題は放っといて、原発地元だけにケアしてきた旧自公政権の路線には、憎んであまりあるものがある。
★原発事故がもたらす深刻な国土汚染による子ども達の健康被害が憂慮されるなか、そんなことはそっちのけで「子ども手当」をかつての児童手当に戻すことに拘泥する自公は有害無用の存在だ。
★この国を支配してきたお方たちってのは、ほぼ例外なく、今まで当事者であり続けておきながら、いったんコト(原発事故)が起こると、大慌てで傍観者や評論者や第三者の立場に身を置こうとするようだ。
★今のフクシマの惨状を鑑みれば、「原発再開」を目論むなど30年は早いと思うのが常人の思考。今の政府には常人がいないということか。
★在特会が「原発賛成デモ」。人間に備わる「正」を感得するアンテナ、「邪」を感得するアンテナが、生まれながらに誤って逆に取り付けられた気の毒な人たちなんだろう。
★もしかしたらニッポンはすでに滅んでいるのかもしれない。恰も存続しているかのような幻影を見せられながら、僕らは今を過ごしているのかもしれない。
★「千年に一度の大津波」が明日、襲来する確率は、実は高い。「襲来する」か「襲来しない」かのどちらかだから、50%である。・・と、ある人の論に、すぐには反論できなかった僕がいた。
★東電の会長社長の役員報酬が7200万、半分にカットしても3600万、冗談じゃない、全額カットしろとの声。いやいや、それだけでは済まない。私財のすべてを投げ出し、被災者と同じ生活レベルに落とせ、と僕は言いたい。
★これからは、かけがえのない大切なひとを守ることに、まず腐心すべし。「ひとつになろうニッポン」などという掛け声に惑わされて、変に黙ったり、我慢したりして後悔しないように。「進め一億火の玉だ」の掛け声に乗って、かつてのどれだけの日本人が愛するひとを失ったことだろうか。
★福島で今、放射能禍を騒ぐお母さんたちを「神経過敏」「ヒステリー」と揶揄する風潮があるが、フクシマ事故は、「神経過敏」な人々の直感が正しかったことを証明している。
★今までさんざん、コクミンにスピンをかけてきたマスコミら、原発を推進してきた利権ハイエナどもは、出来ることなら「フクシマクライシス」を「なかったこと」にしたかっただろうな。もしかしたら、試みていたかもしれない。でもさすがに隠せなかったんじゃないかな。
★地球環境問題の解決に熱心に取り組む企業や団体などを表彰するフジサンケイグループ主催の第20回「地球環境大賞」。制度創設20年目の今回は115件の応募の中から、東京電力がグランプリに輝いた http://t.co/aehk3T3 さすがフジサンケイグループ !!
★今にして思えば、過剰とも思える温暖化防止キャンペーンは、「クリーンエネルギーとしての原子力」を正当化し、危険性を糊塗するためのスピンだったのだな。
★ 電力はじゅうぶんに足りているというのに、まるで大停電パニックが明日でも起きそうな、尋常でない煽りに振り回される庶民が哀れで仕方ない。
★受けた放射線量と健康被害の度合いが、必ずしも正比例しない、それが「被曝」の怖いところだ。それを「大したことがない」かのように強弁してきた者どもの罪は、万死に値する。
★どうして原発推進御用学者ってのは「鼻血なんてデマ」とか「メルトダウンはありえない」とか、断定、もしくは全否定するのかなあ。
★事故直後、原子炉がメルトダウンしているという主張に対し、デマと攻撃した者の言動自体が「デマ」であったということは、メルトダウンの現実が証明している。
★民衆の広範な決起を「職業的な運動家組織による煽動」と「矮小化」したがるその意識の底には、明らかなる「恐怖」があり、また、「焦り」があるのだろう。「政・官・業・学・報」一体となって推し進めてきた原発政策の破産は、何よりも瓦礫と化したフクシマの原子炉建屋と、メルトダウンにより放出された放射性物質による汚染と、毎時5センチずつ地下に侵食していく溶融した燃料棒の「チャイナ・シンドローム」状況が証明しているというのに。
★原発運転再開を性急に断行しようとする、この国家の有り様を目の当たりにすると、「原発利権共同体」が超法規的にすべての上に位置しているということを感じずにはおれない。「電力」を握った者が、このニッポンでは、最大の権力者であり、それは、警察・検察を支配下に置く国家権力を凌駕しているのではないかとさえ、思えてくるのだ。
★国の事情のために、命を的にされた「棄民」の群れがこの国に存在する。日韓政府によるヤラセ・ガス抜き茶番劇に目を逸らされてはならない。「竹島(独島)」は、日韓両政府が共通して利用する、国民統合のためのツールである。海の真ん中に頼りなく存在する岩礁の領有を争うことが「愛国」ではない。被曝の恐怖に呻吟する同胞の群れを、このままにしないことこそが、真の「愛国」なのである。
★国土の一部を、誰も近寄ることができない「死の地帯」にしてしまった原発。地に足をつけて、先祖伝来の土地を守り、伝統的な地場産業で国に貢献してきた人々の生活を破壊し、ことごとく「根無し草」にしてしまった原発。国の未来を背負って立つべき幼な子たちに、深刻な「被曝」の洗礼を浴びせた原発。それを「安全」と強弁するのは、詐欺師の口上に他ならないのではないか。
★「ニッポンの技術は優秀」という「神話」は、重大な事故を起こした後では、もはや捨て去るべきだろう。いくら技術が優れていても、それを生かす「哲学」と「人材」が、この国には不幸なほどに皆無であり続けたからだ。
★実は、もう「なす術もない」のではないか。今まで国民を欺き続けたそのやり方で、「仕事をするフリ」だけをしているのではないか。そう考えただけでもゾっとする。電力を盛大に消費することによって、それなりの生活を維持してきた僕らの世代が、次の世代にツケをまわしている。その罪滅ぼしは、子供たちを見殺しにし始めた政府と東電に、大きな声をはりあげて物申すことしかできない。それを、やり続けなければならない。
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