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ネット右翼に対する宣戦布告
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g2 月刊現代 後継 安田浩一 :2011-09-19(00:01) 「日々担々」資料ブログ
第1回
最もエキセントリックな反応を見せた桜井
「反日勢力の反撃が始まった。講談社などの底辺左翼、ルンペン左翼、ろくでなしのクズ左翼が必死に在特会を追っている。少しでもアラを探して、何とかして我々を潰そうとしている!」
今年1月、東京・池袋の豊島区民センターで開催された「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の全国大会。集まった約170人の会員を前に、同会会長の桜井誠(本名・高田誠・39歳・注1)は壇上から声を張り上げた。
“年頭教書演説”と仰々しく銘打たれたこのスピーチで、さらに桜井はこうまくしたてた。
「バカが私の個人情報を流してくれたものだから、もはや脅迫だけじゃ済まない状況になっている。しかし、私がいなくなっても、後に続く者が必ずいる!」
彼が何かに脅え、焦り、苛ついていることだけは十分に理解できた。いつもならば緩急自在な桜井の話法も、この日ばかりは怒鳴り上げるばかりの一本調子である。まるで余裕がない。
本誌『G2』第6号(2010年12月発売)に掲載された『「在特会」の正体』は各所で様々な反響を呼んだが、なかでも最もエキセントリックな反応を見せたのが、この桜井だった。
自身のブログやネットの動画サイトで、「安田が取材中に乱暴狼藉をはたらき、負傷者が出た」「親族が脅迫された」などと事実無根のデマを撒き散らし、挙げ句、「私を殺せ、ナイフで刺せ」などとニコニコ動画の生放送で絶叫するに至っては、さすがに一部の会員からも「ウチの会長、ちょっと冷静さを失っているんです」との声が私に直接、寄せられたほどだった。
いまは活動から離れている同会の元地方支部幹部も呆れたように話す。
「論理的な批判ならばともかく、記事が意に沿わない内容だったというだけで逆上するのは情けない。1万人規模を誇る団体のトップなのだから、堂々とした態度を見せてほしかった」
在特会は、その活動においてこれまで延べ10名以上もの逮捕者を出している。社会的にも注目度の高い団体だ。公益性といった観点から、その団体トップの“人となり”を取材し、伝えることはメディアとして当然のことであるし、今後も取材をやめるつもりは一切ない。
注1 桜井誠
在特会の創設者。「朝鮮史研究家」を自称。前号では本名をイニシャル表記したが、すでにネット上では明らかになっていることから、本稿では本名の「高田誠」をそのまま記した。本誌に対しては一貫して「取材拒否」。トレードマークは蝶ネクタイ。本人のブログ「Doronpaの独り言」はhttp://ameblo.jp/doronpa01/
実際、在特会及びその周辺から記事内容そのものに対する「論理的な批判」など、私の耳には届いていない。「安田は朝鮮人」「講談社は左翼」などといった感情的な文言がネット上にあふれただけで、そこにせいぜい「会長のプライバシーを侵害した」「桜井会長にギャラを払え」などという筋違いの物言いが加わるだけである。
意見の異なる他者をすべて「朝鮮人」だと決め付けることで、どうにか自我を保っている人々に対して、私は何も反論する言葉を持たない。語彙の乏しさと貧困な想像力を憐れむだけである。そもそも在特会がしていることは、社会変革を目的とした「運動」と呼べるものなのか―。それこそが取材当初から私が抱かざるを得なかった疑問のひとつである。
在日の韓国・朝鮮人や中国人を「ゴキブリ」「うじ虫」「海に叩き込め」などと街頭で連呼する在特会は、訴えるべき言葉の重みを最初から放棄し、無駄に憎悪を煽っているようにしか私には思えないのだ。前述した全国大会の“年頭教書演説”で、桜井は次のように述べている。
「日本にはいま、北朝鮮系の朝鮮人が20万人います。みんな工作員だとしてもおかしくありません。ほかの国だったらね、この状態において敵性民族は断固として処断されるんです」
桜井自身は自らがレイシストであることを否定しているが、このロジックを排外主義と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう。
「朝鮮人は犬にも劣る」
「日本に住まわしてやってんねや。朝鮮人は端のほう歩いとったらええんや」
「朝鮮人はウンコでも食っとけ」
これらは前号でも触れた「京都朝鮮学校嫌がらせ事件」(注2)の際、在特会会員らが朝鮮学校の門前や街頭で、在日朝鮮人に浴びせた言葉の数々である。何度でも言う。この言葉に、いくばくかの正当性があるとでもいうのか。
いまだに在特会はこの事件を「正義の戦い」だと位置づけ、参加したメンバーを「勇士」として賞賛している。驚くべきことに彼らは、国連の人種差別撤廃委員会に向けて「(事件は)原住民である日本人の土地が、朝鮮人に奪われたことから起きた。いま、朝鮮人の立ち位置は、アパルトヘイト下の白人同様である」などといった書簡まで送りつけているのだ。
注2 京都朝鮮学校嫌がらせ事件
09年12月4日、在特会メンバーら十数名が京都朝鮮第一初級学校(日本の幼稚園・小学校に相当)に押しかけ、授業を妨害した事件。校門前で約1時間にわたり、ヘイトスピーチ(人種・民族を貶めるような言動)を交えて抗議活動をおこなった。在特会側は「学校が近隣の児童公園を不法占拠していることへの抗議」だと主張している。京都府警は威力業務妨害などでメンバー4人を逮捕。学校側も損害賠償を求めて提訴した。現在、京都地裁において刑事・民事双方の裁判が進められている。
本気でそう考えているならば、あまりにも捻じ曲がった「正義」である。どんな理屈をこねくり回そうとも、在特会が南アフリカの黒人と同じ地平に到達するとは思えない。
「なにが運動ですか。連中がやってることなんて、ただの押し込み強盗でしかない」
そう吐き捨てるように言うのは保守系市民運動の草分けとして知られる増木重夫(58歳・注3)だ。増木は大阪で学習塾を経営する傍ら、長きにわたり「反日教組」などの運動に取り組んできた。さらに在特会の草創期には、同会の関西支部長まで務めている。その増木も、いまや「在特会など潰してしまえ」と語気を荒らげて訴える。
「桜井に頼まれて一時は支部長を引き受けたが、結局、在特会はただの差別集団でしかなかった。結局のところ連中は鬱憤晴らしの“正義ごっこ”をしているだけだ」
そして“正義ごっこ”はさらに過激さを増していく。在特会は今年に入ってからも各地で排他性をむき出しにした行動を繰り返している。
注3 増木重夫
大阪府在住の政治活動家。「教育再生・地方議員百人と市民の会」(http://www 1.ocn.ne.jp/~h100prs/)事務局長。09年に「日教組組合員を処分しなければ街宣をかける」と小学校校長を脅したとして逮捕されるなど、活動をめぐって数度の逮捕歴を持つ(本人は政治弾圧だと主張している)。
第2回
水平社博物館に「街宣」
「日本から出て行け! コラ! アホンダラ! ボケ! 恥知らず!」
路上に怒声が響いた。逃げる女性に対して、男たちが一斉に悪態の限りを尽くす。
「チョンコ!(注1) クソババー!」
2月27日、大阪梅田の阪急百貨店前。関西在住の在特会会員らによって組織される「チーム関西」(注2)が主催した「民主党粉砕街宣」におけるひとコマである。
約30名の参加者による街宣行動は、この日も日の丸を林立させながら、例のごとく民主党の「在日優遇政策」などを批判する形で始まった。そこに通りすがりの高齢の女性がクレームをつけたところから空気が一変する。たったひとりの女性に対して男たちがワッと詰め寄り、口々に大声で罵りはじめたのであった。
「このババーの顔、チョンコ顔。チョンコ。チョンコ。これがチョンコですよ!」
「これ朝鮮人! 顔よう覚えてね。目の前ですれ違ったらどつき回したってください! 出て行けコラ! 売国奴!」
これでは集団リンチ以外のなにものでもない。しかも彼らはごていねいにもこの模様をビデオ撮影したうえ、一部始終を動画サイトに堂々とアップしているのである。この動画を視た民族派団体・一水会代表の木村三浩などは「国士を気取りながら弱いものイジメするとは……」と言ったきり、言葉を失くしてしまった。
ちなみに「チョンコ、チョンコ」と叫びながら執拗に女性を追い回した男―荒巻靖彦(46歳・注3)の自宅を私は昨年末に訪ねている。大阪キタの繁華街でバーを経営している荒巻は、一対一で会ってみれば礼儀正しく快活な人物でもある(これは他の在特会会員にも言えることだ)。高校時代までは「無政府主義的なパンクロッカー」だったともいう。
どうしてそこまで朝鮮人や中国人を毛嫌いするのかという私の問いに対し、そのときの荒巻は次のように答えている。
「商売柄、毎日が在日との戦いなんですよ。ウチの店に来るたちの悪い客の多くは在日なんです。チンピラ、やくざ、そんなのばかり。これまでどれほど嫌がらせを受けてきたか。連中とは徹底的に戦わなければあかんのです。それから僕はかつて、中国・上海で店を出していたこともあるのですが、そのときは腐敗した中国の公安(警察)から、やはり散々、むしり取られてきた。中国人も信用できません」
そうした経験から「だからこそ日本人は強くなければいけない」と、荒巻は強調した。
注1 チョンコ
朝鮮人に対する蔑称。
注2 チーム関西
関西地方で保守・右翼系の運動をおこなっている個人の集まり。組織というよりは「顔なじみ集団」(関係者)。在特会会員を多数含む。
http://www.team-kansai.com/
注3 荒巻靖彦
在特会会員。チーム関西メンバー。京都・徳島(後述)の両事件で逮捕されている。裁判では「朝鮮人を怖がっている人が多いが、そんなことないのだということを世間の人に知ってほしかった」と発言、無罪を主張した。高校卒業後、警察官の採用試験を受けたこともあるという。
強くありたいという気持ちは理解できるし、必要とあらば店を守るために徹底して戦えばいい。だが、商売の邪魔をしにきたわけではない通りすがりの、しかも高齢の女性を追いかけまわして「チョンコ」と罵る荒巻に対しては、どうしても理解は及ばない。
在特会関連で、今年に入ってもっとも衝撃的な「事件」といえば、副会長・川東大了(39歳・電気工事業・注4)による水平社博物館(奈良県御所市・注5)前での街宣活動であろう。
1月22日。水平社運動発祥の地に建つ同博物館では、このとき「コリアと日本」と題した特別展示を開催中だった。日本の朝鮮植民地政策にスポットを当てたもので、内容は当然ながら、在特会的な歴史認識とはかけ離れたものだ。これに抗議するという形で、川東は撮影役のカメラマンを引き連れ、博物館の目前で街宣活動をおこなったのである。
だが、川東の街宣は、博物館の職員や地域住民も「初めて耳にした」というほどに激烈で、聞くに堪えないものだった。被差別部落民に対する蔑称である「穢多」を、さらに下劣な「エッタ」「ドエッタ」などといった言葉に置き換え、メガホンで連呼したのである。
「出て来いよ! エッタども! ここはドエッタの聖地らしいですな。エッタ博物館!」
「これがエッタどもの正体です。ケガれた卑しい連中、文句あったらいつでも来い!」
このとき、博物館職員の仲林弘次は、事務所の中で拳を握り締めながら川東の街宣を聞いていた。すぐにでも外に飛び出してマイクを奪い取りたい気持ちではあったが、それを抑えたのは、警察から事前に「挑発に乗らないでほしい。彼らは相手の反応を引き出すのが目的だから」と告げられていたからだ。ところが、街宣を終えた川東はなんと、そのまま館内に入ってきたのである。仲林は思わず声をあげた。
「さっき、ドエッタと言っただろう!」
すると川東は平然とした表情のまま答えた。
「おたくらの展示物のなかにもエッタと書いてあるやないか」
結局、こうした短いやりとりだけで、川東は姿を消したが、仲林はいまでも思い出すたび怒りに震えるという。
注4 川東大了
在特会副会長。チーム関西メンバー。前出の荒巻と同様、京都・徳島の両事件で逮捕されている。京都事件では電気工事の技術を生かし、公園内に設置されていた朝鮮学校のスピーカーなどを「強制撤去」した。裁判では、やはり無罪を主張。「注目してもらうために、あえて過激な表現を使う」とも発言。
本人が運営するサイトhttp://www.eonet.ne.jp/~hi-kitty/
注5 水平社博物館
全国水平社(部落解放同盟の前身)の活動記録などが展示されている。
http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/
「ここまであからさまに“ドエッタ”を連呼するケースなど聞いたことがありません。まさに確信犯。(博物館の運営主体でもある)部落解放同盟とも協議のうえ、なんらかの法的対応を検討しています」
ちなみに部落解放同盟の機関紙『解放新聞』は、この出来事について「水平社博物館前で差別発言連呼 『在特会』が企画展を妨害」という記事を3月7日付紙面で掲載した。これに対し在特会は急遽、「街宣は川東が個人でおこなったものであり、在特会は無関係」との声明を発表したものの、同時に「博物館の展示は、我々の祖先に対する人権侵害」との見解も示した。
私は川東の自宅を訪ね、“水平社街宣”の真意を尋ねた。
―なぜ、あのような街宣をおこなったのか。
「歴史の捏造に抗議するため。慰安婦を性奴隷と表現するなど、職業差別も甚だしい。正しい歴史認識を示さなければ、在日朝鮮人に対する差別が温存される」
―エッタ、ドエッタという言葉には相当の悪意が込められているように思う。
「何かまずいことでもあるのか。“士農工商穢多非人”という言葉があるではないか。ならば武士や商人も差別用語なのか」
―あなた自身、街宣では「エタ」という言葉を穢らわしいという意味で自覚的に使っている。言葉狩りをしたいわけではない。問題は悪意ある言葉で傷つく人もいるということだ。
「僕自身、差別をなくしたいと思っている。いま、あの言葉を用いた意図について、多くは答えられない。僕は朝鮮問題については色々と学んではいるが、エタ、ヒニンのことについては専門じゃないから」
自身のHPで“キティちゃんグッズ”の収集癖を明かす川東は、どこか中性的な雰囲気を漂わせ、向き合ってみれば物腰も柔らかい。けっして喧嘩腰の対応ではなかった。だが、以前にも私の取材に対し「活字は苦手。主にネットで知識を得ている」と答えた川東には、まさにネットと現実が地続きとなった“平坦な言語感覚”を感じた。歴史認識を議論することと、被差別部落の住民を侮蔑する行為が、同じ回路でつながっていて良いわけがない。そしてこの「事件」を組織とは無関係だと主張する在特会にもまた、私は言いようのない違和感を覚えるのだ。
たとえば、在特会はふだんから「拉致事件」とは無関係な在日朝鮮人に対しても「犯罪者」と罵っている。個人と組織の関係を、ずいぶん都合よく使い分けることができるものだ。
「シナ人は地球にいらない」
在特会の姿を追いながら、どうしても無視することのできなかった存在がある。同じ「行動するネット右翼」の側に身を置く、在特会の親睦団体や人気ブロガーたちだ。私はこれまで「象徴」としての在特会を取り上げてきたが、その周縁では数多くの「同志」が歩調を合わせて行動している。
互いに“共振”し、影響を与え合い、あるいは離合集散を繰り返しながら、地下茎のように絡み合って拡大している。そんな彼らに共通するのは、ネットを重視しながらも、街頭での活動も活発におこない、「在日」「シナ人」「民主党政権」などを仮想敵と見なしていることだ。
排外主義をもじった「排害社」(注6)なる団体を率いる金友隆幸(25歳)には、新宿の喫茶店でインタビューした。作務衣に雪駄という、いかにもな格好で現れた。彼はいわゆる“イケメン”の部類に入るだろうが、その端正な顔立ちとコワモテを意識したファッションが、どこかアンバランスな感じを与えた。
それまで、私は排害社が主催・協賛するデモや集会を何度か目にしてきた。受けた印象は最悪である。編み上げブーツに黒シャツといった出で立ちの金友を先頭に、文字通り排外的なメッセージを叫びながら繁華街を練り歩く隊列は、ヒトラーユーゲントを連想させた。
「シナ人は地球にいらない」
「シナ人を見たら泥棒と思え!」
中国人に対する敵意に満ちたシュプレヒコールは道行く人々の表情を凍らせるに十分だった。
最近では銀座や新宿などで、「中国人観光客が利用する観光バスが不法駐車を常態化させている」として、これらバス会社に対する糾弾活動も活発におこなっている。もちろん真のターゲットは中国人観光客だ。「異民族の進出によって無秩序が生まれる」といった主張を直接、旅先の中国人にぶつけることも珍しくない。
彼らは排外主義であることを堂々と主張する正真正銘のファシストだと思った。それだけに私は金友への関心が高まったのである。
注6 排害社
http://haigai.exblog.jp/
第3回
排外を唱えるNPO
その金友は、子どものころから右翼に憧れていたという。同じ年代の子どもたちが、画用紙にパトカーや救急車の絵を描いていたころ、金友は町で見かけた右翼の街宣車に興味を覚え、黒いクレヨンで画用紙を塗りつぶした。単純にカッコイイと感じたからだそうだ。本格的に右翼思想に触れるのは高校生になってからで、野村秋介(注1)など右翼活動家の本を読み漁った。大学は迷わず国士舘へ進んだ。国士舘に行けば本物の右翼と出会えると思ったからである。
ところが―。
「入学してみたら、あまりに普通の大学だったもんで、がっかりしたんですよ。周囲はシナの留学生ばかりですし、そのおかげで入学式には日の丸と並んで五星紅旗が掲げられているし。もう、とんでもない大学に入ってしまったものだと後悔しました」
金友は必死になって「国士舘らしさ」を探し求めた。ようやく見つけたのが、いまや国士舘でも圧倒的少数派の右翼集団「皇国史観研究会」である。右翼思想を学ぶ研究サークルのようなものだったが、金友はそこで水を得た魚のように青春を謳歌する。活動の傍ら北朝鮮拉致被害者の救出運動にかかわったり、国士舘OBが活躍する右翼団体の街宣にも参加した。
大学卒業後、レジャー関係の企業に就職するも、右翼活動はやめなかった。仕事を終えるとスーツ姿のまま、街宣活動に出かけるような日々が続いた。
「しかしね、次第に右翼活動そのものへの疑問も生まれてきたんです。街宣車で走り回って大声で叫ぶだけ。予定調和というか、どこの団体も惰性で運動しているように感じてしまったんです。しかも世間からは特殊な人による特殊な運動としか思われない。実際、一般右翼がどれだけ街宣をしたって、その主張は世間に浸透しなかった。次第に情熱が薄れてきたのです」
そうしたときに出会ったのが、前号でも触れた、西村修平(注2)が率いる「主権回復を目指す会」や「在特会」といった右派系市民団体だった。
「ネットなどを通じて社会に与える影響力は、街宣一本槍の一般右翼とは比較にならないほど大きい。しかも、そこに集っているのは、どこにでもいる普通の市民なんです。だからこそ市民目線から生まれた素朴な、しかし激しい怒りが世間に浸透する。本当の変革者というのは市民の中からこそ生まれるのだと確信しました」
注1 野村秋介
「新右翼」の活動家として知られた。93年、朝日新聞東京本社で拳銃自殺を遂げる。なお、野村自身は人種・民族差別を嫌悪していた。
注2 西村修平
1950年生まれ。政治活動家。「主権回復を目指す会」代表。保守でも右翼でもない「行動する保守」運動の提唱者として知られる。一時期は在特会・桜井とも親しい関係にあったが、最近では運動路線をめぐって距離を置いている。
金友は少しずつ一般右翼とは距離を置き、在特会などとのつながりを深めていく。そして昨年に自ら立ち上げたのが排害社であった。
「僕は日本にとって最大の災いはシナ人の増殖だと思っています。連中を“害”であると規定し、排撃しなければ、いまかろうじて機能している“日本らしさ”は失われてしまう」
その金友も、やはりネットを「最大の武器」として活用している。排害社に入ってくる若者たちのほとんどが、金友のブログをきっかけに参加を決めているからだ。
ブログに注ぐ情熱もなかなかのものだ。彼は常に一冊の大学ノートを持ち歩いている。中には細かい数字がびっしりと書き込まれていた。
「僕のブログの毎日のアクセス数です。どんなテーマで記事を書けばアクセスが伸びるか、どんな言葉を使えば反響が大きいか、常に分析しています」
現在、金友は勤めていた会社を退職し、運動中心の生活を送っているという。子どものころから得意だった「デザイン関係」の請負仕事で生計を立てていると話すが、果たして本当にそれだけで食っているのか不明な部分はある。排害社の会員数も「公安対策のために教えられない」とするなど謎は多い。
注目されるのは在特会との密接な関係である。かつては“本物の右翼”を目指した金友も「いまや在特会の事務所に入り浸っている」(関係者)状態だという。前号の記事に対し、私に真っ先に抗議してきたのも、実は金友だった。
「あんたねえ、桜井さんになんてことしてくれたんだよ」と食ってかかる金友は、ネットでグダグダと喚くだけの在特会会員と比べれば、潔い態度ではなかったかと私は思っている。
動画サイトで金友の活動に興味を覚え、昨年、排害社に入ったという関東在住の高校3年生と話をする機会があった。彼は私にこう語った。
「学校の教師は日本人としての誇りを失わせるような教育ばかりしている。同級生たちも国のことなど無関心です。僕は結局、変わり者扱いされる始末。しかし金友さんは、日本人の誇りと強さを教えてくれました」
若者の鬱積した感情と、国家への疼くような思いを、排外主義の波が掬い上げている。
排外を唱えるNPO
金友の排害社と同じく、外国人問題を最大のテーマとして活動しているのが、「NPO外国人犯罪追放運動」(注3)。東京都の認可を受けている、れっきとしたNPO(非営利団体)である。
代表の有門大輔(36歳)は大阪府生まれ。地元の高校を卒業後、エレベーターの保守管理会社、警備会社などに勤めた。だが21歳のとき、たまたま目にした民放のドキュメンタリー番組が彼の運命を変える。
「外国人追放を訴える極右団体がテーマでした。番組では彼らの活動を批判的に取り上げていたのですが、私はむしろ団体の主張に共鳴してしまった。日本にも外国人追放を訴える人々がいるのかと。すごい衝撃を受けたんです」
当時、有門が住んでいた大阪の工業地帯では、中東からの出稼ぎ外国人が急増していた。有門はこれに嫌悪感を覚えたのだという。
「このまま外国人が増えていけば日本はどうなってしまうのだろうかという不安があった。いずれ日本そのものが乗っ取られてしまうのではという危機感すら覚えた。そんなときに番組を目にしたものですから、すぐにでもあの極右団体の仲間に加わりたいと思ったのです」
団体の名は「国家社会主義者同盟」といった。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)を意識した、文字通りの日本版ネオナチと言えよう。当時この団体は主に中東系外国人の排斥を訴え、カギ十字をあしらったビラを各所に貼りだすなどの活動で知られていた。
有門の行動力は特筆に価する。番組を観た数日後には会社を退職し、ほとんど身一つの状態で東京へ向かうのである。国家社会主義者同盟の所在地も電話番号も知らなかった彼は、繁華街を歩き回り、同盟のビラがどこかに貼られていないか、ひたすら探し続けた。
「何時間も歩き回って、ようやく新宿駅西口近くの電柱で、同盟の宣伝ビラを発見したんです。飛ぶようにして事務所へ足を運び、そのままいついてしまいました」
当時、組織の幹部のひとりに極右ジャーナリストとして知られる瀬戸弘幸(注4)がいた。有門は瀬戸の書生のような形で運動を学び、同盟が解散した後も瀬戸とともに業界紙発行などの仕事を手伝う。そして2004年、自らを代表とする外国人犯罪追放運動をNPOとして立ち上げたのである。
注3 NPO外国人犯罪追放運動
http://gaitsui.info/
なお、有門のブログはhttp://blog.livedoor.jp/samuraiari/
注4 瀬戸弘幸
52年生まれ。福島市職員を経て右翼活動家となる。少年時代からヒトラーの信奉者だった。現在は故郷の福島を拠点として、農場経営、りんごジュースの通信販売なども手がけている。今年の在特会全国大会では来賓として招かれた。ネット右翼にとって「最大の理解者」だと言われる。ブログhttp://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
「外国人の増加は確実に犯罪を生んでいる。ネットで警鐘を鳴らし、街頭パトロールや外国人集住地域での街宣活動を繰り返して犯罪を排除する。それが私たちの役目です。日本は確実に、外国勢力に侵食されつつあります。特に朝鮮人とシナ人の跳梁跋扈は許しがたい。連中は日本という国家を食い物にしているだけです。しかも保守派や既存右翼は、何も有効な手を打っていない。だからこそ、我々が危機感を持って対峙するしかないのです」
会員は約20名と小所帯だが、ブログの閲覧者数は時に連日数千にも及び、街頭行動では前出の排害社や在特会とも共闘することが多い。
「多文化共生なんて絵空事。共生と唱えていれば、いつか外国勢力に飲み込まれてしまう」
有門は中国人入居者が増加する集合住宅や、池袋の中国人街で、あえて「外国人排斥」を訴えるなど、最近は直接対決の姿勢を強めている。今回の東日本大震災に関しても、「被災者が公営住宅へスムーズに入居できないのは、外国人入居者が増えすぎたせいである」といった主張をさっそくブログに掲載した。
「日本人に“反支那人・朝鮮人”の概念を、いまこそ定着させなければいけないんです」
私と同じくヘビースモーカーである有門は、せわしなくタバコをふかしながら何度もそう繰り返した。
第4回
クーデターを決意させた映画
「よーめん」(注1)という名前の人気ブロガーとは都内にあるホテルのロビーで会った。人懐っこい笑顔が印象的な男だった。Iという本名は「伏せてほしい」というのが彼の要望だった。
組織として活動をしているわけでもなく、本名も素顔もあまり知られてはいないが、ネット右翼の世界ではかなりの有名人である。ネット右翼勢力を糾合し、武装した親衛隊員を募り、将来的には日本でクーデターを目指そうと訴える彼のブログは一部に熱狂的なファンを持つ。
連れだって入ったラウンジで、彼はさしてあらたまった様子もなく、飄々とした感じで次のように訴えた。
「もう、日本を救うにはクーデターしかないと思いますよ。現政権を転覆させて、極右による軍事政権をつくるんです」
まるで街の活性化計画を打ち明ける商店主のような口調だった。
40代半ばだという「よーめん」は独身。高校卒業後、建設会社勤務を経て現在は健康食品の販売業を営んでいる。「クーデターの活動資金を得るために夜は運転代行のバイトをしている」と話す。軽い口調とは裏腹に、情熱は伝わってくる。実際、彼はネットで集めた「同志」とともに、迷彩服姿で登山訓練を実行したり、自らが主催する集会に格闘技の講師を呼び寄せたりと、それなりに大真面目な活動をおこなっている。
在特会の桜井とも親しい「よーめん」は、同会の主張を全面的に肯定しつつも、「その先の世界」を追っている。
「街宣だけで国は変わらない。いまの状況を見てください。右傾化だと言われながらも、祝日に日の丸を掲げている家がどれだけありますか。左翼マスコミによる情報統制だって、なにひとつ変わっていないじゃないですか。実力行使で国民の意識を覚醒させるしかないのです」
そう前置きして彼はクーデター実現に向けた詳細な「5ヵ年計画」を説明する。私なりに大雑把なまとめ方をすれば、ブログの閲覧者を増やす→そのなかの先鋭分子で「親衛隊」を組織する→「親衛隊」を中心に各地で宣伝活動をおこなう→警察、自衛隊、マスコミのなかにシンパを潜入させる→Xデーに一斉蜂起、といったプロセスのようだ。だが、私が興味を覚えたのは荒唐無稽なクーデター計画よりも、彼が「愛国」に目覚めたきっかけのほうである。
注1 よーめん
ブログhttp://youmenipip.exblog.jp/。実は「キャプテンハーロック」の大ファンでもある。
「高校時代に地元の映画館で観た『宇宙戦艦ヤマト』。このアニメが私のすべてを変えました」
地球を守るために戦うヤマト。ラストシーンで主人公の古代進は、乗組員に敬礼で見送られながら宇宙の彼方に散っていく。
「涙があふれてしかたなかった。あまりに感動して1日に6回も観てしまった。この犠牲的精神に憧れたんです。愛国心を持たなければ生きていく意味がないとさえ思いました」
自分の中で「愛国心」をくすぶらせながら、その後20年以上の月日を経て辿り着いたのがネットの世界だった。2ちゃんねるなどの掲示板で「言論戦」を展開した後、06年に初めてブログを開設する。当初こそ「左翼マスコミ」や「在日」に対する抗議を繰り返していたが、そのうちに「ヤマトの精神」で国を変えるべきだといった論調に転換させていく。
それが果たして本当に「宇宙戦艦ヤマト」が訴えたかったことなのかは別として、とにかく彼は大真面目にクーデターへ傾斜していくのだ。ネットで呼びかけ、会場を借りて「クーデター説明会」を開催し、ときには在特会などのデモを有志で「防衛」するなど、活発な活動を続けている。
「現役の自衛隊員からも問い合わせがきています。10代の少年や在特会の会員なども参加を申し出てくれた。いずれ私の勢力は拡大していく。クーデターの前段として、まずは愛国こそカッコイイのだという世論をつくりあげたい」
彼のなかで、すでに「愛国のヤマト」は出帆の準備を整えつつある。
学会のお膝元で学会攻撃
「日本を護る市民の会」(日護会・注2)の代表、黒田大輔(33歳・通称クロダイ)が待ち合わせ場所に指定したのは、信濃町駅(東京都新宿区)の改札だった。彼が「最大の反日勢力」だと指摘する創価学会のお膝元である。
私を近くのカフェに案内すると、やおらビデオカメラを取り出し、テーブルの上に設置した。取材の一部始終を録画するのだという。それが彼なりの「防衛策」であると同時に、同会のもっとも特徴的な活動スタイルでもある。
日護会はデモ、街宣、宣伝ビラのポスティングといった一連の活動を常に動画サイトで実況するだけでなく、黒田のメッセージ、会員同士の雑談まで随時中継をおこなう。活動中に邪魔が入ればしめたものだ。「敵」の表情を捉えて執拗に追い回すことで、それは活劇として視聴者の関心を一気に引き寄せる。「見せ場」を求めて走り回る新手のドキュメンタリストだ。
注2 日本を護る市民の会
代表の黒田によれば「会員は約500名」。春の統一地方選では新宿区議に組織から候補者を出す予定もあるという。本職が行政書士である黒田のブログhttp://seaside-office.at.webry.info/
さらに特徴的なのは、他団体と違って「反創価学会」を活動の中心に据えていることである。いまや街頭で「反学会行動」を執拗に展開するのは日護会をおいて他にない。
多くのネット右翼がそうであるように、黒田もまた、もともと政治に対して無関心だった。黒田が政治に目覚めたきっかけは、02年に開催されたサッカーの日韓ワールドカップだ。
「韓国人の反日感情に唖然としたんです。せっかくの共催だというのに、日本が負けると大喜びしている。それで韓国という国に不信感を持ち、ネットを通じて日韓関係を学びました」
ネットには、教科書では触れられることのない「真実」があふれていた。それまで日本だけが悪いと思っていた戦前の植民地政策も、実は誇るべき歴史なのだということを「知った」。やがて黒田はネット用語でいうところの「特定アジア(韓国、中国、北朝鮮)」に対する怒りを、自らのブログで綴るようになる。
07年、ネットの動画で観た「主権回復を目指す会」(279ページ脚注参照)の活動に興味を持ち、黒田は初めて同会の街宣に参加する。外国人参政権を求める「民団(韓国民団)」への抗議行動だった。
「これを端緒として、様々な街宣活動に参加するようになるのですが、僕はもともと他人の下で動くのがイヤなんです。どうせなら自分で団体を立ち上げたいと思いました」
08年、日護会を結成し、自らが代表に就任した。当初は在特会などと一緒に「在日」や「左翼」などを攻撃対象としてきた日護会だったが、徐々に矛先を創価学会へ向けていく。
もともとネット右翼の間で創価学会の評判は良くない。学会が中国に対して宥和的であること、外国人参政権の成立に熱心であることなどがその理由だ。それにしてもなぜ日護会は「反学会行動」を他よりも優先させるのか。
黒田は「(学会が)想像していた以上に巨大な敵であることがわかったから」だと話す。
「創価学会は敵のひとつに過ぎなかった。ところが、反創価学会の女性市議が謎の死を遂げた事件の真相追究を求める運動に参加したところ(注3)、僕のバイクが何者かにパンクさせられるなど、不可解なことが身の回りで起きはじめたんです。僕は売られたケンカは買うことにしているので、反学会のチラシなどをポスティングしてさらに運動に力を入れるようになりました。
注3 女性市議が謎の死を遂げた
95年、東村山市議だった朝木明代が東村山駅前のビルから転落死。朝木市議が創価学会や公明党と対立関係にあったことから、週刊誌などで死因と創価学会との関係が報じられた。地元警察署は「他殺の可能性は薄い」と結論を出しているが、いまなお「事件」の真相をめぐる論争は続いている。
すると学会側は我々の運動潰しをエスカレートさせ、僕らを尾行したり、ときには暴力までふるうようになった。そればかりかウチらに対して名誉毀損の裁判(注4)まで起こしたのです。もう後には引けませんよ。徹底的に学会と戦う覚悟を決めたのです。暴力団とつながりを持つなど、反社会活動をおこないながら税金を免除されている創価学会を許すことができません」
正直なところ私は黒田の説明を聞いても、なぜにそこまで「反学会」なのか、いまひとつピンとこなかった。だが、これまで数多くの「反学会活動」が存在したが、ある意味、日護会ほど泥臭い活動を進めている団体を他に知らない。
彼らはブログや動画で「反学会」を主張するだけではない。学会員が多く住む場所で、「創価学会とヤクザの関係を国会で解明せよ!」などと書かれたビラのポスティングをおこなう。学会施設が集中する信濃町近辺で車を走らせながら「カルトを取り締まれ」と連呼する。挙げ句には学会本部から至近距離にあるマンションに部屋を借り、「敵の喉元から撃つために」日護会会員による共同生活まで始めたのである。
「だからいつもビデオカメラを持ち歩いているんです。嫌がらせに遭ったら、すべて記録として残す。動かぬ証拠を積み重ね、敵に突きつける。カルト撲滅のために徹底的に戦いますよ」
注4 名誉毀損の裁判
黒田は自身のブログでジャーナリストや元警察副署長の顔写真に「犬作」「捏造」などと意味不明の落書きをして掲載。両者から名誉毀損で訴えられた(それぞれ黒田の敗訴、和解で裁判は終結)。なお、ジャーナリストと元警察副署長は、創価学会の会員であることを否定している。他にも街宣での「中傷発言」や動画の無断撮影などで学会側から名誉毀損と肖像権侵害の裁判を起こされている。
第5回
苦悩する“ダルビッシュ”
ただ、今年に入ってからネットの世界で日護会が注目されているのは活動そのものよりも、それまで蜜月状態にあった在特会との「決裂」である。昨年、信濃町で共同生活を送っていた日護会会員の間で、男女関係のもつれによるトラブルが発生した。その過程である男性会員が自殺未遂を起こし、結果として除名される。これで事態は沈静化するものと思われたが、その除名された男性を在特会が会員として受け入れたことから、両者の間で罵倒合戦が展開されたのであった。両団体のトップが直接に顔を合わせることなく、ブログや動画を通して言い争うというところが、いかにもネット右翼らしい。
「ふざけんな、テメー」
「もういい加減にしろ!」
黒田と在特会の桜井が携帯電話で罵倒し合いながら、その様子をそれぞれが管理する動画で実況する。まるで子どもの口げんかだ。桜井と黒田の双方と付き合いのあった「元ネット右翼」が呆れながら言う。
「愛国だの何だのと主張しながら、リアルな人間関係が貧困な連中が大半だから、つまらないことで離合集散を繰り返す。仲間割れはしょっちゅう。男女間のトラブルも多い。結局、国家以外にアイデンティティを持たない者の集まりだから、大人として自立できていないんです」
シビアに過ぎる物言いではある。しかし、現実社会から遊離した「ネット右翼」の言葉を耳にしていると、あながち的外れな評価とも言えないような気がするのだ。
苦悩する“ダルビッシュ”
2月―。京都事件(第1回の註釈を参照)で逮捕された「四天王」(注1)の一人、中谷辰一郎(41歳・事件後無職)の自宅を訪ねた。大阪市内のマンション。居間の壁は6歳と7歳になる2人の娘が描いた絵で埋められていた。子煩悩であることが窺える。私にとっては2度目の訪問だったが、以前にも増して中谷は「運動」に対する躊躇と懐疑を深めているようにも見えた。
事件に関しては「戦略的な問題提起だった」と自己弁護に努める一方で、在特会や一緒に逮捕された者たちを「幼稚すぎる。単なるサークル活動にしか見えない。政治に関わろうとする自覚がない」と批判したのだ。
同じように私の前で迷いを見せたのが、徳島県教組襲撃事件(注2)で逮捕された星エリヤス(24歳・事件後無職・注3)である。188センチの長身、ハーフ(母親がイラン人)独特の端正な顔立ちが特徴の星は、在特会の仲間からは「ダルビッシュ」と呼ばれていた。確かにモデルとしても通用しそうな美男子である。意外なことではあるが、在特会の中にはわずかながら、彼のように外国人の親を持つ者も存在する。
注1 四天王
チーム関西で活動する中谷、荒巻靖彦(前出)、川東大了(前出)、西村斉の4名は、中心メンバーであることと、その存在感により、周囲から「四天王」と呼ばれていた。京都事件ではこの全員が逮捕されている。
注2 徳島県教組襲撃事件
10年4月、在特会メンバーらが徳島県教組事務所に乱入。「国賊」「腹を切れ」などと拡声器で暴言を吐きながら業務を妨害した。同教組が、街頭募金で集めた金の一部を朝鮮学校に「献金」したからだというのが、在特会側の主張。なお、同教組は組合員から募金を募っただけで「街頭募金」はおこなっていない。威力業務妨害で7名が逮捕されている。
注3 星エリヤス
趣味は音楽(レゲエ)。クラブでDJを務めることもある。「色々と考えたいことがある。中国や韓国を旅してみたい」(本人談)。徳島事件で逮捕され、懲役8月(執行猶予3年)の判決を受けている。
星はハーフとしてこれまで生きてきたことが「しんどかった」と私に打ち明けた。
「僕が何人なのか、何人とのハーフなのか、これまで何千回と聞かれてきた。日本生まれの日本人なのに、外見ではそれを認めてもらえない。だからこそ日本人として認められたかった。在特会の活動に参加し、日の丸を掲げているとき、僕はようやく日本人であることを強く自覚できたように思う。しかも在特会のメンバーは僕のようなハーフを何の抵抗もなく受け入れてくれたのです」
在特会は彼を「愛国者」として承認した。最初は躊躇していたが、街頭で「朝鮮人は出て行け」と大声で叫んでみると、何かが吹っ切れたような気がした。
「活動を重ねるごとに、だんだん感覚が麻痺してきた。なぜか朝鮮人への憎悪も増してくる。正直に言えば……僕はアホやったと思う」
逮捕された後、急速に「熱が冷めた」という彼は、現在は会の活動から少しばかり距離を置いている。
「振り返ってみれば、在特会のメンバーの多くは、友達がいなさそうな人ばかりだった。僕には、入会する前は趣味の音楽を通じて多くの友達がいたのに、在特会の活動に熱中しているときは、彼らが僕からどんどん離れていった。他人にどう見られているかということが、わからなかった。いま、後悔はしていないけれど……以前と同じような運動をしたいとは思わない」
星は明らかに揺れていた。
伏し目がちに話す星を見ながら、なにかせつなくなった。日本人として生きたいと願う星に、高揚と自信を与えてくれたのは紛れもなく在特会である。そして同時に、必要のない他者への憎悪まで植えつけられたのだ。
星だけではないはずだ。在特会のようなネット右翼の組織に集う者たちは、「在日特権」こそが世の中の様々な矛盾を紐解くカギだと信じ込み、その剥奪を目指すことが「愛国」だと思い込んでいる。
第6回
「在日特権」を探してみた
この際、はっきり指摘しておきたい。仮に一部の人々が他に優越した権利を持つことが特権だとするならば、「在日特権」なるものは一種の都市伝説に過ぎない。
たとえば在特会など、ネット右翼が約束事のように持ち出すのが、「生活保護の優先支給」である。「日本人は生活保護をもらうことができずに餓死しているというのに、在日は優先的に生保を受けることができる」という主張だ。
だが、本当にそうなのか―。厚生労働省や福祉事務所は「優先支給などあるわけがない」と一蹴する。都内で生活保護を担当するケースワーカーも次のように答えた。
「生保の支給にあたって重視するのは、あくまでも申請基準を満たしているかどうかであり、“在日”だからと基準を曲げることなど、過去に遡っても聞いたことがない」
そもそも生活保護法は支給対象を「国民」と明記しているため、厳密に言えば永住者、定住者など外国籍の人間は法の適用外である。これら外国籍の住民にとって生活保護とは法律上の権利として保障されたものではなく、政府や自治体による一種の行政判断によって支給されているに過ぎないのだ。しかも支給が認められなかった場合、日本人であれば不服申し立てをすることで、支給が許可されるケースもあるが、外国人の訴えは却下するように厚生労働省は各自治体へ通達を出している。外国籍住民に対する支給の是非に関して政府内でも議論があるのは事実だが、こうした実情を無視して「優先的支給」と主張するのには無理がある。
なお、09年度の厚生労働省(社会・援護局)の調査(注1)によると、生活保護を受けているのは全国で121万5214世帯。そのうち世帯主が韓国・朝鮮籍の世帯は2万4827世帯である。国勢調査などの結果に照らし合わせ、かなり強引に被保護世帯率を割り出してみると、韓国・朝鮮籍の世帯は日本人世帯よりも4倍強の高さとなる。ネット右翼などはこの数値をもって「優先」だと指摘しているわけだ。
「その数値こそ、まさに在日の置かれてきた状況を表しているのです」
そう話すのは在日朝鮮人の弁護士、李春熙だ。
「もともと経済的、社会的基盤が脆弱であるうえ、特権どころか偏見や差別によって、厳しい生活を余儀なくされた在日は少なくない。しかも在日の生保受給者の多くは高齢者です。この世代の方々は国民年金制度の創設時には国籍条項によって、加入権を得ることができなかったという問題もある。そのために生保に頼らざるを得ない困窮状態にある人が多いのです」
注1 厚生労働省の調査
厚生労働省社会援護局保護課の担当者は次のように述べた。「外国籍の方は、やはり日本国籍の方と比較して、生活していくうえで厳しい状況にあることは否めない。就職の問題など制約も多い。そうしたことから日本国籍の方よりも被保護率が高い結果となってしまうといった事情もあります」
また、「在日は無条件で日本に滞在することが認められ、且つ、その子孫も韓国籍、朝鮮籍のまま何代にもわたって日本に居住することができる」「犯罪を犯しても本国へ強制退去させられることがない」との理由から、特別永住資格(注2)を「特権」だと批判する向きもある。この点については、日本の植民地政策から敗戦に続く過去の歴史的経緯を踏まえて考えるべきだろう。
「植民地の出身者に対して、宗主国にあった側が特別な法的地位を与えることは世界的にも通例となっています。終戦時、約200万人いた在日朝鮮人の多くが帰国しましたが、約60万人が残留。日本政府は47年、外国人登録令によってこれら旧植民地出身者から日本国籍を剥奪しました。そのことで在日の多くは帰属先を失い、しかも朝鮮半島の分断といった事態も加わり、長きにわたって事実上の無国籍状態を強いられたのです。そうした不合理な状態を是正するために、この在留資格が定められた。つまり特権というよりも、国籍と居住地の選択権が認められたというに過ぎません。これは特権ではなく、人間の基本的な権利ではないでしょうか」
現在、特別永住資格を持つ在日韓国・朝鮮人は約41万人に過ぎない。選挙権を持たないこれらの人々が、いかなる権力を持って、どれだけ日本人が羨む地位にあるというのだろうか。
保守派のジャーナリストとして知られる野村旗守は、07年に『ザ・在日特権』(宝島社)なる本を共著で出している。同書によって「在日特権」なる言葉が世間に定着したとも言われる。その野村ですら、ネット右翼が主張する「在日特権」については「言いがかりに等しい」と憤るのだ。
「戦後日本において在日韓国・朝鮮人に対する、ある種の優遇政策が存在したのは事実だという立場を私はとっています。たとえば、在日だけに認められた『通名』(注3)によって開設された架空口座が、脱税や資金洗浄に利用されてきた事例を私は告発してきました。しかし、民団や総連(朝鮮総連)といった民族系組織が強力な力を誇っていた時代ならまだしも、いま現在、どれだけの特権が残っているというのか。そんなもの、ほとんど消滅していますよ。仮にその残滓があったとしても、大の大人が徒党を組んで騒ぎ立てるようなものじゃないでしょう。みっともないとしか言いようがありません」
その他、ネットで流布される「在日は上下水道料金がタダ」「NHK受信料がタダ」「マスコミには在日採用枠がある」などといった主張は本来、取り上げる価値すらないデマであることは言うまでもない。
だが何の検証もなしに、こうした「特権」を信じ込む者たちは、今後も増えていくに違いない。フラストレーションを抱え、迷い、苦しんでいるときこそ、人はシンプルな極論に流されやすくなる。
注2 特別永住資格
入管特例法に基づき、戦前や戦中に日本へ移住した旧植民地出身者に与えられる在留資格。かつて日本国籍を有していたということで、他の外国人とは区別をした。たとえば治安・利益にかかわる重大な事件を起こさないかぎり、特別永住者は強制出国させられることがない。
注3 通名
戸籍上の名前とは別の通称名。在日朝鮮・韓国人の間では、周囲からの差別や偏見などを理由に、本名とは別の日本名を持つケースが多い。
それは私だって同じだ。前号の記事で、無口でおとなしく、孤立していた少年時代の桜井誠について触れた。それは私の姿でもある。少年時代の私にとって最大の友人は、夢想と妄想と空想で遊ぶ、もうひとりの自分だった。
早熟だった私は10代のころから、けっして成就しないであろう「革命」を夢見た。私をそこに導いたのはマルクスでもレーニンでもトロツキーでもない。世の中をぶち壊すことで、ダメな自分もようやく人と同じ地平に立てるのではないかという、一種の破壊願望だ。もしもそのとき―。私に差し出された手が在特会のような組織であったらと考えてみる。あるいは私はその手を握り返していたかもしれない。
前出の李は「在特会は新しい現象かもしれないけれど、“在特会的なるもの”は昔からあった。けっして新しい問題ではない」と私に指摘した。
なるほど。そうなのかもしれない。私たちの社会は、いつだって、憎悪と敵意を必要としてきた。誰かを犠牲とすることで、自分の存在が承認される機会を待っている者は、けっして少なくないはずなのだ。
第7回
憎悪の源
大阪市内の焼肉屋で、私は岡本祐樹(20歳・元鮮魚店店員・注1)と会った。岡本は在特会大阪支部運営という、今も現役の幹部会員であり、やはり徳島事件で逮捕されている。
「友達の大半は金や女のことしか興味がない。みんな政治に無関心だ」と彼は嘆いた。そして焼けた肉を口に運びながら、彼はいかに学校教育が日教組主導でおこなわれてきたかということを訥々と私に訴えた。
そんな岡本が、戸惑いの表情を浮かべた一瞬があった。在特会によっておこなわれた大阪・鶴橋での街宣活動について私が聞いたときである。鶴橋は日本有数のコリアンタウンだ。在特会はそこで「朝鮮人を叩きだせ!」と例のごとく喚きながら、デモ行進した。そして岡本もそこに参加している。
「正直言うと……あれはキツかった」
岡本はうめくように漏らした。鶴橋には、彼の親戚が大勢、住んでいたからである。実は、彼の父方の祖父は韓国籍だった。その後、日本に帰化しているので岡本自身はずっと日本人として育ってきたが、いまでも在日の親戚は少なくないのだ。
「僕も『朝鮮人をブチ殺せ』みたいなことを叫んだ記憶があるけど、本音じゃないです」
どことなくヤンチャな雰囲気を漂わせている岡本だが、その時ばかりはやけに幼い表情で、しかも消え入りそうな声で話すのである。
当然ながら私は「なぜ?」とたたみかけて聞いた。係累に在日を抱え、あるいは自分自身が在日の血を受け継いでいながら、どうして在特会の活動に参加するのか。
だが彼の口からは「右翼に興味があった。そのなかでも在特会が入りやすかった」といった答えしか返ってこない。逃げるでもなく受け止めるわけでもなく、岡本は私の問いかけをさらりとかわした。それ以上重ねて聞くと、なにか彼が抱えている大事なものを壊してしまいそうな気がした。
私たちは言葉の接ぎ穂を失い、ぎくしゃくしたままに焼肉をつついた。そして、気まずい話から逃れるように近くのガールズバーへと繰り出し、ただひたすらエッチな話で盛り上がったのだった。
私に対してきちんと敬語を使い、楽しそうにグラスを口に運ぶ岡本を見ながら、彼の胸奥に巣くう「日本」を思った。彼が目指すべき「日本」はどんな形をしているのか。なぜ、そこまで彼をひきつけるのか。
注1 岡本祐樹
徳島事件で懲役8月(執行猶予3年)の判決を受けている。逮捕されるまでは大阪市内の鮮魚店で働いていた。将来の夢は「自分の店(居酒屋など)を持つこと」。好きな作家は隆慶一郎。それをもじって、ネット上では「慶次郎」のハンドルネームを使っていた。
私が接した多くの在特会会員やネット右翼の顔が、岡本の優しい表情に重なった。もっともらしい理屈を口にしながら、それでも彼らは「何か」を抱えている。絆を求めて、矛盾を引きずり、彼ら彼女らはその実像すら明確でない「敵」に憎悪をたぎらせる。
私は結論を急がない。だが、これだけは断言してもかまわない。ネット右翼は決して右翼や民族派なんかじゃない。それらしい味付けを施しながら、自らの存在を国家に投影しつつ、ダイナミックに自分自身を描こうとしているに過ぎないのだ。そして集団で他者を貶め、「正義」に酔っているだけだ。
東日本大震災の日―揺れが収まった直後、私に連絡してきたのは、その岡本だった。
「大丈夫ですか? 無事ですか?」
電話口から伝わる息せき切った岡本の声が、私の耳に優しく響いた。「安心しました」と彼が電話を切った後に、思わず熱いものがこみ上げてきた。一生懸命に背伸びしながら、それでもどこか幼さを引きずった彼の姿が目に浮かんだ。在特会の活動を続けながら、在日の親戚を気づかう岡本の心情を思った。同時に「非国民、腹を切れ!」と徳島県教組の女性職員を怒鳴りあげたという岡本の、私の知らないもうひとつの顔を想像した。
だからこそ、もっと知りたいのだ。岡本や、彼の仲間たち、あるいは私を激しく罵る桜井誠も含めて、その憎悪の源に何があるのか。私は時間をかけてでも、その正体を探し出したいと思っている。
了
安田浩一
Koichi Yasuda
ジャーナリスト
1964年静岡県生まれ。週刊誌、月刊誌記者などを経て2001年よりフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続けている。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館)ほか。Twitter ID: @yasudakoichi
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