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「野田政権に対するれんだいこ書簡その4、角栄の反民営化論、反増税論を傾聴せよ」を発信しておく。野田が「どじょう政治」を目指すなら、範とすべき角栄政治論へ辿り着かねばならない。ここでは反民営化論を論証しておく。
角栄は、中曽根政権の民営化路線に終始異論を唱えていた。だがしかし、ロッキード事件にはがい締めされ、金権政治の元凶として十字砲火を浴び続けている折柄であり、角栄の言は掻き消された。れんだいこは、月刊誌「現代」誌上の寄稿文で知り、凄いとうなった覚えがある。
目下、これがネット検索で出てこない幻論文となっている。知人のH氏にお願いしていたところ、1985(昭和60).8月号の月刊現代に「田中角栄 国鉄廃止なんて愚の骨頂だ!」を入手してくれた。久しぶりに読んでみたが、れんだいこの記憶している論文と違うような気がする。ひょっとしてもう一本あるのではないかと思う。これを探さねばならない。とりあえず、これをベースに角栄の反民営化論を傾聴する。既に、「れんだいこのカンテラ時評890、角栄頭脳発見の旅 田中角栄の幻論文『国鉄廃止は愚の骨頂!』を発掘せよ」で言及しているので重複は省く。
角栄と国鉄民営化論者の視点差は、民営化論者が目先の単事業単年度利益を重視するのに対し、角栄は国鉄が果たしている役割を総合的に捉え、単事業単年度利益判断に反対していたことにある。角栄に於いては、都市計画には道路と鉄道が基盤になるものであり、先行投資する訳であるから赤字は当たり前であり、国家財政で賄うべしとしていたと思われる。道路と鉄道による都市創造により、やがて国家税収か増すのであるから、国鉄赤字を大仰に云うのは反対としていた。
どうしても黒字に持って行くのであれば、黒字になるよう民間鉄道並に規制緩和し、沿線の宅地開発やホテル経営等の副次的業務の許認可を与えれば良い、これをさせずに於いて国鉄赤字を騒ぐのはケシカランとしていた。これは何も民営化でなくてできる訳で、体制として国鉄のまま一部民営化的事業を導入して対処すれば良かろうとしていた。このことを次のように述べている。
「それを北海道が赤字だから鉄道外せ、なんていうバカがいる。バカと云うのが悪かったら、利口でない人の暴論、バカ論です。たった百十年前に人口四万人足らずの北海道が、今、人口五百七十万人になる為には、彼らがどれだけの苦労をし、辛酸をなめてきたか。北海道の鉄道は全部赤字です。これから百年赤字だ。その代わり、鉄道の赤字の何万倍以上、国民総生産に寄与しているじゃないの。(中略)それを短絡的に赤字だから鉄道を外せと暴論を吐く。北海道には五百七十万人、札幌には百五十万人おる。生産はないし、物価は日本一高い。それでも北海道に人がいるのは、北海道に生まれ育ったからだ。北海道に骨をうずめるつもりなんだ。何も北海道だけでなく、これは地方のあらゆる都市に共通していることでしょ。そういうことを考えない政治とか経済とかというものは、もうたわごととしか思えないね、私には」。
れんだいこの記憶によれば、角栄は、月刊現代寄稿文の一節で、中曽根式国鉄民営化論による赤字線廃止をすれば、これまで投資した北海道開発費用が反故になり、それによる損失の方が国鉄赤字よりも深刻であり、国家財政の大負担になって跳ね返ってくるであろうなる卓見を述べていたように思う。あれから30年、北海道は角栄が危惧した通りの過疎と荒野が進みつつある。この地域の再開発は気の遠くなる話となってしっぺ返しされている。角栄の指摘通りではないか。
考えてみればオカシなことに気付く。中曽根政権時代、国鉄、電電公社、日本専売公社の民営化(Privatization)に乗り出したが、国家主義の立場に立つ時、果たして必要だったのだろうか。中曽根自身は国家主義者として売り出しているので、その中曽根がやることがまさか反国家主義とは思いにくいが、その間隙を縫ってやっていることは厳然として国家主権の剥ぎ取りである。
小泉政権時代、中曽根と同じように靖国神社を公式参拝して国家主義者として売り出したが、郵政民営化、道路公団民営化は国家主義の見地からすれば同じく由々しき主権の剥ぎ取りではなかろうか。角栄式に国有公営企業体制下での機構改革で間に合うものを敢えて民営化にさせ、国家権能を著しく低下させているのではないのか。相当の国家機密が漏れやすくなっているとも思う。
留意すべきことは、国家主義とか民族主義をことさらに叫ばないハト派系政治がむしろ国家権能を維持しようとしており、国家主義とか民族主義をことさらに叫ぶタカ派系政治が国家権能剥離に動いていることである。普通のロジックでは有り得ない逆さま事象なのであるが、実際に起っていることである。
これを解くのに、大田龍―れんだいこ史観のプリズムを通せば分けなく解ける。即ち、戦後タカ派系政治とは60年代の岸、80年代の中曽根、2000年代の小泉と共通して国際金融資本帝国主義のエージェント下僕であり、彼らの意思を請負しているけばけばしいピエロに過ぎない。故に、口先で国家主義を演出すればするほど裏で民営化と云う名の国家主権売り渡しに忠勤して恥じない。岸、中曽根、小泉は突出したエージェントであった故に右代表式に挙げているだけであり、その他歴代の首相はハト派系以外ほぼ全てこの手のエージェントである。念の為云っておくが、三木はタカ派系政治の範疇の者であり、マスコミの説く如きのハト派像はインチキ評論でしかない。
れんだいこが、ここで何故に民営化論を採り上げるのか。それは野田の増税論と重なるからである。野田の増税論は今後どう展開するのか予断を許さないが、民営化論になぞらえれば推進側の論理論法である。我々は、中曽根政権の国鉄、電電公社、日本専売公社の民営化に断固反対した角栄の国有化維持&構造改革論こそ採るべき道と悟るように、民営化論側の野田式増税論と厳しく対決せねばならない。
野田が、孫子の代までツケを先送りしないと云うのであれば、こちらの方に力点があるのであれば、孫子の代までツケを先送りしない反増税の道を訪ねねばならない。その方策ありや。れんだいこはありと答える。これについては以下具申することにする。
http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-2c03.html
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