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東海村JCO臨界事故の被害者の写真(文中 A さん)
http://blog-imgs-46.fc2.com/c/h/e/cherio1222/231108456747-up41591.jpg
2017年6月13日追記: このページは元スレ投稿者が削除を希望しているが、記事の重要性に鑑み一端削除し管理人により同じURLで再UPした。 元スレ投稿者の名前はすべて置換した。 コメントからわかるように写真の引用元は東海村JCO臨界事故の被害者ではないようだが、東海村JCO臨海事故の被害者も同様と想定する。 日本ではこういう写真は公開されないことが予測されるため、このページに置いておく。 元記事では上記写真はリンクのみだが、管理人がページに写真を配置した。
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東海村JCO臨界事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85
1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となった他、667名の被曝者を出した。
国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。
本事故の原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料を加工[3]を担うJCOのずさんな作業工程管理にあった。
JCOは燃料加工の工程において、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用していた。一例をあげると、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用するという手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。
その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等の放射線が大量に放射された。これは制御不能の原子炉が出現したようなものである。ステンレスバケツで溶液を扱っていた作業員の一人は、「約16kgのウラン溶液を溶解槽に移している時に青い光が出た」と語った。JCO職員は事故当初、誰も止める作業をしなかったが、国からの代理人が「あなた達でやらなければ強制作業命令を出した後に、結果的にする事になる[4]」と促された結果、「うちが起こした事故はうちで処理しなければならない」と同社職員らが数回に分けて内部に突入して冷却水を抜く、ホウ酸を投入するなどの作業を行い、連鎖反応を止めることに成功して事故は終息した。中性子線量が検出限界以下になったのが確認されたのは、臨界状態の開始から20時間経った翌10月1日の6時30分頃だった[5]。
この事故では3名の作業員が推定1グレイ・イクイバレント[6]以上の多量の放射線(中性子線)を浴びた。作業員らはヘリコプターで放射線医学総合研究所(以下「放医研」)へ搬送され、うち2名は造血細胞の移植の関係から東大病院に転院し集中治療がなされた。3名の治療経過や本事故において被曝した者の経過などは、それぞれ以下の通り。
16〜20グレイ・イクイバレント(推定16-20シーベルト以上[7])の被曝をした作業員A(当時35歳)は大量被曝による染色体破壊により、新しい細胞が生成できない状態となる。まず白血球が生成されなくなったため実妹から提供された造血幹細胞の移植が行われた。移植術自体は成功、白血球も増加の傾向が見られたが、時間経過と共に新細胞の染色体にも異常が発見され、白血球数が再び減少に転じた。59日後の11月27日、心停止。救命処置により蘇生したものの、心肺停止によるダメージから各臓器の機能が著しく低下、最終的に治療手段が無くなり、事故から83日後の12月21日、多臓器不全により死亡した。
「症状)
強い放射線を浴びても、細胞はほとんど死なない
ただ、細胞分裂ができなくなるので、再生できなくなる
だから一定期間後(今ある細胞が寿命を迎えて死んだ時)に症状が表れ始める
具体的に言うと
腸の粘膜細胞が全部剥がれるので、栄養吸収できなくなってとんでもない下痢になる
「掲載写真」
皮膚が全部垢になって剥がれおちて、下の生肉がむき出しになる(大火傷と同じ症状)
血球を作る骨髄細胞が消滅して、免疫がなくなる(エイズと同じ症状)
・・・などなど
脳みそや神経の細胞はずっと生き続けるため、意識・感覚はそのまま
死ぬまで生き地獄が続く
「治療の問題点」
短時間のうちに全身への8グレイ以上の被曝をした場合には、最新の医療でもほとんど手の施しようがなく、特にAに対しては当初から回復は絶望視されていた[8]。また致死量は6〜7シーベルトとされる[7]。
医学的には、近代医学による被曝者治療の貴重な臨床例となった。特に国内ではこのような大量の放射線被曝をした患者の治療自体が初めてで、治療に当たった医師団も毎日のように発生する新しい症状に試行錯誤をしながらの治療だったと証言している[4]。
Aは耐え難い苦痛の中で亡くなることが予想されたものの、日本での安楽死は法律的に認められていないため、モルモットとして生き長らえさせられたという批判がある。看護記録には「もうやめてくれ」「おれはモルモットじゃない」というAの吐露も残されており[4]、被爆治療におけるターミナルケアも課題として残った。
(引用終わり)
最初、写真を見て、チェルノブイリの被害者のものと思っていましたが、まさか日本で10年前に起きたことであるとは絶句しました。
Aさんを、こんな状態で80日間も生かしていた医師団、原子力関係者は殺人にも、どのような拷問にも勝る犯罪行為です。
勝手なときには超法規的処置をする(経済特区構想なども同じ)政治が、大内さんをこのように扱ったことの意味を糾弾しなけらばならない。
ロシアでも、これほどの人非人な事はしないであろう。
ともかく、Aさんをモルモットにさえした、日本の原子力行政の腐敗の酷さは斯くのごとくです。
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