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力強く同情するだけでは放射能事故は解決しない――野田首相の所信表明演説を検証する
http://diamond.jp/articles/-/14032
2011年9月15日 週刊・上杉隆 :ダイヤモンド
野田佳彦首相が初の所信表明演説に臨んだ。
文字数にして約9500字、自民党政権時代の首相と同程度だが、鳩山、菅という民主党の歴代首相としては短い。
実は、分量はどうでもいい。問題は中身だ。所信表明といえば、自民党政権時代、それは各役所から予算要求に絡む陳情の場と化していた。
「短冊」とも呼ばれるような形で各役所からの要望を貼り付けながら首相秘書官らによって作られるのが首相演説と相場が決まっていた。
■自民党時代、所信表明演説が官僚からの陳情の場となったカラクリ
国会で発せられた首相の言葉は重い。それが所信表明となればなおさらだ。それゆえに、その演説の中に、役所の要望をちりばめることに成功したら、官僚たちにとっては半ば勝利したようなものなのだ。
たとえば、その後の予算折衝などでそれは大きな「武器」となるのだ。
「総理が所信表明でも仰ったとおり、本件は急務であり、ぜひとも相応のご配慮を――」
このような形で、シーリング、財務折衝、復活折衝など各場面で強力な「武器」として使えるというわけなのである。
果たして、野田首相の所信表明演説はどうだったのか。検証してみよう。(引用に当たっては、中日新聞ウェブ版などを参照)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011091390145654.html
〈第178回国会の開会に当たり、東日本大震災、そしてその後も相次いだ集中豪雨や台風の災害によって亡くなられた方々の御冥福をお祈りします。また、被害に遭われ、不自由な暮らしを余儀なくされている被災者の方々に、改めてお見舞いを申し上げます。
この度、私は、内閣総理大臣に任命されました。政治に求められるのは、いつの世も、「正心誠意」の4文字があるのみです。意を誠にして、心を正す。私は、国民の皆様の声に耳を傾けながら、自らの心を正し、政治家としての良心に忠実に、大震災がもたらした国難に立ち向かう重責を全力で果たしていく決意です。まずは、連立与党である国民新党始め、各党、各会派、そして国民の皆様の御理解と御協力を切にお願い申し上げます〉
■野田首相は現実を直視しているか?
果たして、野田首相は「正心誠意」、国民の声に耳を傾けてくれるのだろうか。あるいは逆に、鳩山、菅政権のように、官僚と記者クラブのスピンにまんまと騙されて、非現実的な世界に逃げ込むのだろうか。
国民の声に耳を傾けるということは、現実を直視することに他ならない。野田首相は何を見ているのだろうか?
引用が長くなるが、次の部分は編集するのもアンフェアなのでそのまま載せよう。
〈あの3月11日から、はや半年の歳月を経ました。多くの命と穏やかな故郷での暮らしを奪った大震災の爪跡は、いまだ深く被災地に刻まれたままです。そして、大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故は、被災地のみならず、日本全国に甚大な影響を与えています。日本の経済社会が長年抱えてきた課題は残されたまま、大震災により新たに解決が迫られる課題が重くのしかかっています。
この国難のただ中を生きる私たちが、決して、忘れてはならないものがあります。それは、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神です。南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さん。防災庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、津波に飲まれ、帰らぬ人となりました。生きておられれば、今月、結婚式を迎えるはずでした。被災地の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他者をいたわる人間同士の深い絆がありました。彼女たちが身をもって示した、危機の中で「公」に尽くす覚悟。そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。日本人として生きていく「誇り」と明日への「希望」が、ここに見出せるのではないでしょうか。
忘れてはならないものがあります。それは、原発事故や被災者支援の最前線で格闘する人々の姿です。先週、私は、原子力災害対策本部長として、福島第一原発の敷地内に入りました。2千人を超える方々が、マスクと防護服に身を包み、被曝(ひばく)と熱中症の危険にさらされながら、事故収束のために黙々と作業を続けています。そして大震災や豪雨の被災地では、自らが被災者の立場にありながらも、人命救助や復旧、除染活動の先頭に立ち、住民に向き合い続ける自治体職員の方々がいます。御家族を亡くされた痛みを抱きながら、豪雨対策の陣頭指揮を執り続ける那智勝浦町の寺本真一町長も、その一人です。
今この瞬間にも、原発事故や災害との戦いは、続いています。様々な現場での献身的な作業の積み重ねによって、日本の「今」と「未来」は支えられています。私たちは、激励と感謝の念とともに、こうした人々にもっと思いを致す必要があるのではないでしょうか。
忘れてはならないものがあります。それは、被災者、とりわけ福島の方々の抱く故郷への思いです。多くの被災地が復興に向けた歩みを始める中、依然として先行きが見えず、見えない放射線の不安と格闘している原発周辺地域の方々の思いを、福島の高校生たちが教えてくれています。
「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てる。福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。」
これは、先月、福島で開催された全国高校総合文化祭で、福島の高校生たちが演じた創作劇の中の言葉です。悲しみや怒り、不安やいらだち、諦めや無力感といった感情を乗り越えて、明日に向かって一歩を踏み出す力強さがあふれています。こうした若い情熱の中に、被災地と福島の復興を確信できるのではないでしょうか。
今般、被災者の心情に配慮を欠いた不適切な言動によって辞任した閣僚が出たことは、誠に残念でなりません。失われた信頼を取り戻すためにも、内閣が一丸となって、原発事故の収束と被災者支援に邁進(まいしん)することを改めてお誓いいたします〉
■やはり「わかっていない」野田首相現実を知り対応することが先決
このくだりだけで、筆者はもう絶望的な気持ちになってしまった。結局、野田首相はわかっていないのだ。
首相は、テレビ・新聞の報道に毒され、現実から目を背けている。
家族を失った悲しみと戦いながら指揮を取る那智勝浦町の寺本真一町長の悲話は、朝から晩までメディアで報じられているので多くの人が知っていることだろう。
また、全国高校総合文化祭での福島の高校生たちの言葉も、メディアに氾濫する「がんばろう」の合言葉の中に見つけることができる。
しかし、誤解を恐れずにいえば、政府はそんなことに同情を寄せている場合ではないのだ。それよりも、現実を直視すること、つまり、現時点において、人類は放射能とは戦えない、という現実を知り、その前提のもと、対応することが先決なのである。
原発事故に際して、若い高校生に〈悲しみや怒り、不安やいらだち、諦めや無力感といった感情を乗り越えて、明日に向かって一歩を踏み出〉させては断じていけないのだ。
低線量とはいえ、新陳代謝の高い若者に放射能と戦わせるのはあまりに酷だ。
ましてや「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てる。福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。」
という夢を、国のトップ自身が承認してはならない。
一国の首相が、そんな人体実験を所信表明演説で、堂々と賞賛してはならない。それは、国家、政府による「殺人教唆」に他ならない。
繰り返すが、放射能と戦って勝利を収めた人類はひとりもいないのだ。
結論をいえば、その後に続く約6000字以上の文字は短冊に過ぎない。それはまったく論評に値しない。
だが、冒頭のこの演説、おそらく首相自身が考えたと思われるこの演説だけで、野田首相が、フクシマの現実を理解できず、官僚と記者クラブという「官報複合体」に騙されていることだけは判明した。
野田首相と日本政府は、放射能との戦いを宣言するのならば、原発事故を収束させてそうしてほしい。まだ、4つの原子炉からの放射能放出はとまっていないのだ。その現実を直視しなければ、復興も、増税もありえない。
力強く同情するだけで事態が解決するほど、放射能事故は甘くないのである。
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