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あの子が嫌い、で決まった ああ民主党 どこまでも学級会
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2011年09月13日(火) 週刊現代 :現代ビジネス
ぶち抜き大特集 「遺恨と怨念」愚かなる民主党政権の最終章
■勝負を決めたのは菅直人?
8月29日の朝。まもなく代表選が開始されるというのに、会場となったホテルニューオータニの一角で、涙を流さんばかりの形相で電話を掛けている議員がいた。野田佳彦陣営の幹部のひとりである手塚仁雄議員だ。まだ投票先を明らかにしていない議員に、最後のお願いを繰り返している。
「日本の未来のために、野田さんに票を投じてください! 民主党政権にとっても、これが最後のチャンスなんです!」
この涙の訴えが奏功したのか、野田氏はめでたく新代表に選出された。しかし、野田陣営の幹部がギリギリまで「投票のお願い」をしていたことは、今回の代表選がいかに先行き不透明だったかを物語っている。悲喜こもごもの民主党代表選。その舞台裏を見てみよう。
今回の代表選で各候補が気を揉んでいたのは、言うまでもなく小沢一郎元代表の動向だ。8月26日午後、国会周辺は突然の大雨に襲われたが、小沢氏は自身の事務所からその空模様を見て、「こりゃあ代表選も嵐の予感だな」と秘書らにつぶやいたという。そんな小沢氏の元を連日のように候補者たちが訪問したのだが、その様子はまさに「参詣」と表現するにふさわしいものだった。民主党のベテラン秘書はこんな目撃談を明かす。
「19日夕方、衆議院第一議員会館6階にある小沢事務所に、二人の議員が時間差で訪れました。先に部屋に入ったのが海江田万里さんで、それからしばらく経って小沢鋭仁さんが入って行きました」
海江田氏が入室したのが午後4時。面会時間はものの十数分で、その後小沢鋭仁氏が入室したのが午後5時過ぎ。この秘書によると、鋭仁氏が入室した後も、「小沢部屋」の前には海江田氏の姿があったという。
「先に面会を終えた海江田さんは、二人の小沢がなにを話しているのか気になったのでしょう。しばらく6階の通路をウロウロしながら、小沢事務所の前を何度も通っては中の様子を覗き見ようとしていました」
なんだか女々しい話だが、その「器の小ささ」が周囲にも伝わったことが、海江田氏が支持を伸ばせなかった原因かもしれない。ある中堅議員が明かす。
「『とにかく話を聞いてほしい』と海江田陣営から声を掛けられ、選対本部まで足を運びました。海江田さんはホテルオークラの9階に選対本部を構えていたのですが、これが10人も入ればいっぱいになるような部屋で、秘書たちが中に入れず、外に立たされていた。総理になろうという人間が、この程度の部屋しか借りられないようではなあ、と寂しい気持ちになったので、海江田さんを支持するのはやめました」
それでも、最終的には小沢氏の支持を得た海江田氏は、きっと勝利はわが手にあると思っていたことだろう。ところがふたを開けてみればまさかの敗北。この逆転敗北劇の鍵を握っていたのは、意外にも「あの人物だった」という。
「代表選から遡ること1週間ほど前のこと。実は、鳩山(由紀夫)さんが水面下で菅さんに『海江田支持』をお願いしていたんです」
こんな秘話を明かすのは鳩山氏側近の一人。自身が推す海江田氏の支持が思ったよりも伸びないことに苛立った鳩山氏は、「ペテン師」とまで侮蔑した菅直人前総理に、海江田支援を要請していたというのだ。この側近が続ける。
「菅さんは『俺は脱原発を最後まで訴えたんだ。海江田は減原発だろう。それでは支持できない』とはねのけました。困った鳩山氏は海江田氏に『なんとか減原発を脱原発に変えられないか』と宗旨替えをお願いする羽目になったんです」
海江田氏は、背に腹は代えられない、と27日の会見で「40年以内に原発ゼロを目指す」と脱原発を表明。突然の転向にはこんな裏事情があったのだ。
だが、この程度の「宣言」では満足しなかったのか、菅グループは結局、海江田候補に票を投じなかった。そればかりではなく、菅氏は投票前日に「海江田にだけは投票するな。もちろん決戦投票でも、だぞ」という電話をあちこちに掛けていたという。政策も主張も関係ない。ただ「あの子が嫌いだから、票は入れない」という、学級会も真っ青の理屈で代表が決められたのである。
■八百長?星の貸し借り
まさに泥仕合。勝者となった野田グループ以外は意気消沈で、特にショックが大きかったのが、土壇場でまさかの苦渋を味わうことになった前原誠司氏だ。前原陣営幹部がこう漏らす。
「実は、最後の最後に仙谷(由人)さんが、野田さん陣営の岡田(克也)さんに『今回前原は2位にもなれない。だから野田君にうちのところから10票渡すから』と密約≠交わして、票を動かしたというのです。結果的にこの10票が決定打となったと思っています」
代表選後の前原氏の落ち込みようは相当のものだったという。
「その夜、平河町の中華料理屋で前原陣営の残念会が開かれたのですが、敗因を分析しようにもその中に『裏切り者』がいるわけですから、前原さんは終始暗い面持ちでした。
一方仙谷さんは打ち上げを終えた直後、記者に心境を尋ねられると『いやー、みなさんどうもありがとう! あと数日で皆さんともお別れですね!』と含み笑いで答えていました。まだまだやる気を漂わせていましたよ」(前原陣営を取材した記者)
さらに、意外な人たちが「勝者ヅラ」をして騒いでいるという。1回目の投票では惨敗を喫し、決戦投票で野田氏に票を投じた、鹿野グループである。
「代表選終了後、鹿野道彦陣営は紀尾井町にある選対本部に集まりましたが、祝勝会だといわんばかりに騒いでいましたね。『自分たちが決選投票で野田に入れたから、野田が勝った!』とお互いの功績を称えあっていました」(前出・民主党ベテラン秘書)
鹿野陣営幹部の一人からは、「野田内閣を創ったのは鹿野陣営の功績。これは野田内閣であり、鹿野内閣だ。もし鹿野陣営にポストが回ってこなければ、決起集会を開いて揺さぶりをかける」とクーデターまがいの発言まで飛び出したというのだから、そのはしゃぎぶりがおわかりいただけるだろう。
チキンレースの果てに誕生した野田政権をみて、「これが民主党の終わりの始まりでなければいいのですが」と漏らすのは、民主党の1年生議員だ。
「1年生議員のところには、最後の最後までひっきりなしに電話がかかってきましたが、なかには『今回は俺の顔に免じて○○に投票してくれ。次の代表選の時にはおまえが推す候補に入れるから』なんて八百長の星の貸し借りのような持ちかけをしてくる人もいました」
星の貸し借りとは、まさに「土俵際」もいいところ。学級会の終わりを告げるチャイムが鳴るまで、あと何分?
「週刊現代」2011年9月17日号より
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