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野田総理は一連の人事を終え、災害被災地の視察から行動を開始した。13日からの臨時国会で所信表明演説を行い代表質問を受ける。人事の特徴は党が重く内閣が軽い。そして注目すべきは細川政権で総理首席秘書官を務めた成田憲彦氏を内閣参与に起用したことである。党が重く内閣が軽い人事はかつての自民党時代を髣髴とさせる。また民主党は人事と絡めて政策決定の最高機関を内閣ではなく党に置いた。自民党が「これまでの民主党の主張と違う」と反発するのは当然である。
そもそも民主党は「党と内閣の一体化」を主張してきた。議院内閣制では与党の党首が内閣総理大臣に就任する。従って与党と内閣は一体であるはずなのに、昔の自民党には総理大臣が自分の方針を実現できない仕組みがあった。それが「事前審査制」である。政府が法案を出す時、党の政策調査会や総務会の「事前審査」を受けなければならなかった。そこで反対に遭うと法案は修正されるか潰される。そのような形で実は官僚の作る法案を政治がコントロールしていた。正しい意味ではないが「ある種の政治主導」が存在していた。
すると官僚は大臣よりも党の実力者に接近する。そこに官僚と族議員の癒着が生まれ、大臣はお飾りで省益の代弁をさせられるだけであった。全体調整を行なう総理もただの飾りに過ぎなかった。それを変えようとしたのが小沢一郎氏である。小沢氏は1993年に書いた「日本改造計画」で、イギリスの議院内閣制を下敷きに、与党の幹部が内閣に入る「党と内閣の一体化」を主張した。それが民主党の方針に取り入れられた。与党幹部が大臣となり、各省庁に10名近い与党議員が入り込んで官僚と共に法案作成を行なうという仕組みである。
ところが「西松建設事件」で小沢氏が代表を退くと「党と内閣の一体化」はうやむやになった。代表から幹事長に退いた小沢氏に政策への関与は認められず、選挙担当という枠内に留め置かれた。そうした中で、大臣、副大臣、政務官の三役が「政治主導」を発揮しようとしても、非力さ故に官僚に取り込まれるか、官僚の協力を得られずに仕事を停滞させる状態になった。大臣は自民党時代と同じく省益の代弁者に過ぎなかった。
今回の人事は官僚を使いこなせない民主党の現状を変えようとしたのだろう。「党と内閣の一体化」をいったん引っ込め、自民党時代の「党高政低(党が政府より上位にある)」に持ち込み、党にベテランを配する事で官僚と対峙し、党が全体調整を図って未熟さをカバーしようとしているように見える。
閣僚としては震災復興に直接関係する国土交通、農林水産の両大臣が前田武志氏、鹿野道彦氏というベテラン、また復興担当、原発事故担当が平野達男氏、細野豪志氏の再任と震災復興には手堅い配置をした。だが「政低」を象徴するように他は「派閥均衡」と「滞貨一掃」の趣である。財務、外務の重要閣僚に軽量級を配するところなど、長期政権を構想したとは思えない人事である。
その中で注目されるのが内閣参与に起用された成田憲彦氏だ。成田氏は国会図書館の政治議会課長として、日本の選挙制度を中選挙区制から小選挙区制に代える90年代初頭の「政治改革」の中枢にいた。その結果、自民党が分裂し、小沢氏が細川政権を作った時、細川氏に請われて首席秘書官に就任した。つまり現在の小選挙区比例代表並立制は、小沢ー細川―成田連合が生み出したと言っても過言ではない。
細川元総理は退陣後、しばらく隠遁生活を送っていたが、去年の民主党代表選挙で政治の裏舞台に復活した。菅直人vs小沢一郎の一騎打ちの代表選で小沢氏を応援したのである。その細川氏が今回の代表選挙では野田氏と小沢氏を面会させ、成田氏を野田政権の参与に送り込んだ。成田氏は8月中旬から野田氏と小沢氏の連絡役をやっていたと報道された。それが事実なら小沢ー細川―成田連合が復活したと見る事も出来る。
成田氏の仕事は選挙制度の改革である。現在の小選挙区比例代表並立制は導入されて15年、政権交代が実現してから2年が経った。その過程で様々な政治課題が浮き彫りになった。特に深刻なのは「ねじれ」である。日本では政権交代のためには衆議院選挙に勝つだけでは駄目で、次の参議院選挙に勝たないと「ねじれ」で政権は何も出来なくなる。
ところが国民の投票行動は振り子のように揺れるのが普通である。連続勝利はなかなか難しい。そのために「ねじれ」が生まれてしまう。それを是正するには強すぎる参議院をなくして一院制にするか、参議院を残しても衆議院での再議決を三分の二から二分の一で出来るようにするかだが、問題はそのためには憲法改正が必要となる事だ。憲法改正となれば容易ではない。
そこで考えられるのが二大政党制よりも多党制を採用し、連立の組み合わせで政権を安定させるやり方である。それは小選挙区を残しながら比例の比重を高める事で可能になる。以前から書いているが、公明党が主張し始めた小選挙区比例代表連用制の採用である。実は公明党の主張の後にも成田氏がいるようだ。民主党がこの選挙制度を飲めば自公の連携に代わり民主党と公明党が連携する事になる。
問題はイギリス型の民主主義体制を実現しようとしてきた小沢一郎氏が、ドイツ型の選挙制度を受け入れるかどうかだ。しかし成田氏が8月中旬から野田氏と小沢氏の連絡役を務め、その上で内閣参与に就任した事はその可能性が高い事を示唆していると私は思う。そうであれば日本の政治はまた一つ新しい時代を迎える。国民は「総理がころころ変わるのは困る」と現状を嘆いている。その原因を政治家の資質のように解説する向きもあるが、原因は資質ではなく制度である。日本国憲法に規定された衆議院と参議院の関係が否応なく「ねじれ」を生み、それが「総理の首をころころ変える」のである。
政権交代をしても総理の首がころころ変わらない仕組みを作る選挙制度改革は、1993年の政治改革を補強するものである。1993年の政治の主役が再び表舞台に出てきた事は、野田政権がそのために生み出されたのではないかと私には思わせるのである。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/09/post_275.html#more
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