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田舎の農協のオッサンである鉢呂吉雄のかたを持つ気はさらさらない。またかっての盟友・鈴木宗男にも知らん顔、小沢一郎にたいしても知らん顔して菅粛清チームによろこんで参加した付和雷同の卑屈漢に同情する余地はない。自業自得、他人を嵌めると明日はわが身というのがスターリン主義の真骨頂でしかないのだ。
しかしそれでもなお、鉢呂のオッサンがただ正直な感想を言っただけなのに、大騒ぎするマスコミはもっと許せないのである。人っ子一人いないゴーストタウンになっているのは、原発周辺にいけば豚でも分かることである。だから豚に随行していった鉢呂が、ゴーストタウンを日本語で「死の町」だといって何がわるい。みて感じたとおり言っただけである。
強欲な利権屋が既得権益を死守するために、原発を創り続け、それが事故を起こして、なお周辺地町村がパラダイスにみえるというほうがおかしいのである。だって実際に「死の町」であるから避難さきから、何十年も帰れる見通しがないのであろう。それを政府自身が認めているではないか。
ゴーストタウンにした奴が悪いのにそれを「死の町」と表現した方が悪いというのなら、あらゆる言語も絵画も悪いと言って断罪するのだろうか。死体をみてそれが死体だといったものが死刑になり、殺した犯人はとがめられない、、、そんな理不尽な話が何処にあると言うのだろうか。
マスコミが全てを裁く全知全能の神として君臨するというのなら、もはや形式的に警察や裁判所を残す意味は無い。帰れないのに帰れるという建前、汚れているのに汚れていないといいう建前、すべてを嘘で固めた政府の言い分にただ追従して、人道的にとかいう奇麗事に終始して「真実」だけは伝えないことにしているマスコミにとって、死の町を死の町とはいってはいけないのだろう。
そういう不心得ものは魔女狩りして火あぶりにするのである。死んでいる者を死んでいるといえない北朝鮮拉致事件で、田原がふと事実をいったばっかりに、火あぶりにされたように、死んでいる町を死んでいるともらしたばっかりに、鉢呂もやられることであろう。
王様は裸だという「事実」を言ってはいけない世界、マスコミの奇麗事の裏で行われている腐った事実を隠蔽するために、恐怖政治が断行されている。この国の民はそれで満足しているのだろうか。嘘を言わないといけない。これがわが国の現状であるのだ。醜い鉢呂は自分で彫ったアナに落ちていったが、これで真実はますます遠のいていったのである。♪ほんとのことを言ったら、おりこうになれない〜♪
http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/3932142.html
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