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【第135回】 2011年9月5日 (週間ダイヤモンド連載)
12345第95代内閣総理大臣に野田佳彦が就任した。党内融和を最優先した党執行部人事を断行し、挙党態勢の構築を狙うが、党内では早くも不満が燻り、復興、円高対策、財政再建と難題が山積。内憂外患での船出となる野田政権は、本格政権へと脱皮することができるか。(文/政治コラムニスト、後藤謙次)
【投稿者注 : 解説図、Photoなどは投稿原文を参照してください。】
8月29日午後、民主党代表選の決選投票で、新代表に選出されて立ち上がる野田佳彦氏。大逆転での勝利に表情を引き締めた。
「雪崩現象が起きましたね」。8月29日午後、民主党代表選を逆転で制した瞬間、野田佳彦に側近が耳元でささやいた。うなずく野田はすでに首相の顔になっていた。
松下政経塾出身で落選経験もある庶民派の苦労人。「駅前演説」で県議から衆院議員に駒を進めた。おやじギャグを連発するなど好感度も良好だ。だが、野田がなぜ当選わずか5回でめぼしい後ろ楯もなく、党内少数グループから首相になれたかの説明にはならない。
野田の「出世すごろく」の第一歩は、野党民主党のネクストキャビネットで「財務大臣」を務めたことにあった。このときの指南役が旧大蔵省出身の藤井裕久。藤井は鳩山由紀夫内閣の財務相に就任した際、迷うことなく野田を副大臣に指名した。
その延長線上に菅直人内閣での財務相への昇格就任があった。野田の政治家としての背骨をつくり上げたのはまさしく財務省といっていい。政治家野田を語るには「財務省育ち」がキーワードなのである。
財務事務次官の勝栄二郎は、官房長時代から野田を各方面にアピールしてきた。時に「やり過ぎ」の声も出るほど野田の力量を高く評価してきた。野田が民主党の新代表に選出されると、財務省幹部は快哉を叫んだ。
「歴代財務大臣の中でも傑出した存在だ。財政経済の理解力があり、説得力があって吸収力がある。そしてユーモアもある」(局長の1人)
■輿石の幹事長抜てきは 事実上の「代表」就任
過去にも野田と同じ「大蔵省育ち」で首相の座を射止めた政治家がいる。竹下登である。大平正芳内閣と中曽根康弘内閣で蔵相を務め、通算在任期間は1586日に及んだ。
竹下も大蔵省が生んだ首相といえ、「官庁中の官庁」といわれる大蔵省の組織力と政治力を背景に、自らの政権で消費税導入を成し遂げたのである。
その竹下がしばしば口にしたのが「怨念政治」という言葉だった。権力の階段を上り始める時代は、「三角大福中」と呼ばれた派閥政治の全盛期。田中角栄と対立関係にあった福田赳夫との「角福戦争」を軸に激しい党内抗争が続いていた。竹下は「旧怨念、新怨念いろいろあるが、怨念政治にはサヨナラしなければならない」が口癖だった。
このため、竹下は首相に就任すると、「総主流派体制」と呼ばれる政権をスタートさせた。安倍晋太郎を自民党幹事長に、宮澤喜一を副総理兼蔵相に起用するなど党内全体に目配りした陣容を整えた。
これが奏功し、竹下内閣は歴史的な消費税導入にこぎ着ける。全党一丸の「総主流派体制」なくして、難題成就はなしえなかったに違いない。
しかし、党内の反主流派が果たしてきたチェック機能はリクルート事件の発覚によって、すでに失われていたことが明らかとなり、盤石に見えた竹下政権はあっけなく崩壊した。さらに自民党の強みでもあった派閥間の「疑似政権交代」という政権維持システムも停止した。
その後、宇野宗佑が後継首相に決まったものの、参院選の惨敗に直結、「衆参ねじれ国会」が生まれ、自民党野党転落の導火線になったのである。
今回の代表選でも、元代表の小沢一郎をめぐる怨念が浮上。野田はこの戦いで「怨念政治を超える」と訴えて勝ち抜いた。
野田の勝利の背景に、小沢が担いだ海江田万里と、反小沢の急先鋒である前原誠司の激突を避けたいという議員心理があったことは間違いないだろう。
野田が当選後、「ノーサイド」「全員野球」を力説したのも、こうした党内の空気を意識したからにほかならない。その思いを具体的に反映したのが、異例の参院議員会長、輿石東の幹事長起用だった。輿石は、代表選でも大きな争点になった小沢の党員資格停止処分について、「凍結もしくは解除」を明言していた。
輿石は小沢、鳩山、菅とともに「トロイカ・プラス・ワン」と呼ばれた民主党旧世代の象徴でもある。しかも、参院議員会長の職は残したまま。参院を押さえたうえでの幹事長就任は、事実上の「代表」ともいえる。民主党幹部の1人も「実質的な総・代分離」と見る。総理と代表を分離したのと同じ状況が生まれたというのである。
その一方で前原を政調会長に、さらに鳩山内閣で官房長官だった平野博文を国対委員長で処遇した。つまり、「トロイカ・プラス・ワン」のうち、菅を除いた「菅抜き総主流派体制」の布陣を敷いたといえるかもしれない。
ただ、党内最大勢力の小沢グループに推された海江田を野田が決選投票で大逆転した裏には、菅の動きがあった。
関係者によると、野田と前原の「2、3位連合」構築に向けて、菅が防衛相の北澤俊美に調停を依頼したのがきっかけで、一気に流れができたという。
■挙党態勢もひと皮むけば ガラス細工の危うい政権
8月31日、民主党両院議員総会で党三役人事が承認され、気勢を上げる野田氏ら。
ところが党執行部人事を見る限り、野田は菅に冷ややかだ。さらに野田の劣勢が伝えられるなか、必死に野田を支えた中間派に対しての配慮もあまり見 えてこない。
早くも不満が蓄積され、「新怨念」が生まれる懸念もささやかれる。野田は選挙で勝った党首である。論功行賞を重んじて「攻め」の人事を断行しても おかしくはなかった。そこをあえて野田は「守り」に徹した。
確かに党執行部人事では、「融和」「挙党態勢」が確立したかに見えるが、ひと皮むけば危ういガラス細工の上で逆立ちするような、脆い構造がむき出 しの状態だ。
輿石が「小沢vs反小沢」のどの位置で党運営を行うのか。輿石と前原の調整はうまくいくのか。参院と衆院の違いを輿石が克服できるのか。不安材料を挙げ ればきりがない。その意味でも輿石はまさに、野田内閣の「要石」なのである。
鳩山グループの幹部は、輿石起用を野田の「したたか人事」と分析する。
「輿石さんが幹事長になったことで、小沢さんは文句 を言えない。輿石さんも幹事長ともなれば露骨な小沢寄りの党運営はしにくい。むしろ小沢さんの孤立が心配だ」
野田内閣の発足時の状況とよく似た政権があった。竹下の愛弟子の小渕恵三内閣である。当時、日本経済は出口の見えない金融危機に直面していた。その中で小渕内閣はご祝儀相場もなく、30%の低支持率でスタートした。ここで小渕は当時72歳の野中広務を官房長官に起用、金融危機を乗り切ったのである。
国会では野党民主党の法案を丸のみし、衆参ねじれ解消のため小沢率いる自由党との自自連立、さらに公明党を加えた自自公連立を築き、政権基盤を安定させたのも野中だった。
小渕は国旗国歌法制定などで次々と結果を出し、政権末期に支持率は45%にまで上昇した。小渕政権成功のポイントは、発足3ヵ月で捨て身の野中が中心になって金融再生法を成立させたことにある。
野田政権も危機のなかで船出した。東日本大震災による原発事故を含む被災地復興と円高など、当面は経済対策に取り組まなければならない。小渕内閣と同様にやることは決まっている。ねじれ状態だった小渕内閣における野中の役割を誰が担うのか。そこに野田内閣の成否がかかる。
■政権運営の行方は 財務省頼みの野田内閣
野田が代表就任の翌日、早々に自民党総裁、谷垣禎一と公明党代表の山口那津男を訪ねたのも、ねじれ国会対策だった。だが、少なくとも輿石は大連立に積極的とはいえない。
しかも、野田が与野党協議の出発点と位置づける、子ども手当の見直しや2011年度税制改正をめぐる協議などを確認した3党合意について、小沢は強く反発している。
野田は「党内融和」と「大連立」という二律背反する目標を同時に追っているようにも見え、「虻蜂取らず」になりかねない。
野田は、第3次補正予算で必要となる復興財源について、増税で賄うことを明言したたった1人の代表選候補だった。
このままでは3次補正編成作業で、増税をめぐる論議が沸騰するのは火を見るより明らかだ。議論が迷走し、再び赤字国債発行に財源を求めることになれば、新政権は発足直後から大きくつまずく。
だからこそ野田は、引き続き財務省に頼らざるをえない。「財務省内閣」を宿命づけられているといっていいかもしれない。
■本格政権になれるかは 当初3ヵ月の結果次第
首相就任翌日の31日朝、野田は待ったなしの円高対策を念頭にカウンターパートだった米財務長官、ガイトナーと電話会談を行った。9月1日には内閣発足に先立って、菅とは没交渉だった経団連にも足を運び、会長の米倉弘昌に挨拶している。いずれも財務省の指南と見て間違いないだろう。
菅が絶えず敵をつくりながら政権浮揚を図ってきたのとは、真逆の「和の政治」で局面転換を狙っているのが野田だ。
だが、野党側も3次補正が成立すれば、再び戦闘モードに入る。政権交代からわずか2年で3人目の首相となった野田は国民の審判を受けていない。野党時代の民主党は、自民党の政権のたらい回しを厳しく批判、「国民の信を問え」を声高に叫んでいた。
国会もねじれ、党内もねじれ、さらに有権者ともねじれかねない。輿石の幹事長起用は「衆院解散はしない」というメッセージでもあるが、解散に追い込まれないという保証はどこにもない。
野田が財務省の影をぬぐうことは難しい。何をやっても「財務省頼み」「財務省任せ」「官僚主導」の批判がつきまとうのは避けられないに違いない。
こうした批判を甘んじて受け入れ、開き直って結果を求めることを優先できるか。野田政権が本格政権になれるかどうかの分かれ目はそこにある。それは最初の3ヵ月で決まる。そこで目に見える結果を出せるかどうかだ。野田に与えられた時間はそれほど多くない。
竹下は大平内閣の蔵相時代にこう述べている。
「利害相反する者のあいだにあって、両者の調和を図るということも、新しいリーダーシップに入るのではないか」
野田にはその片鱗がうかがえる。
(敬称略)
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