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政界の頂点に立った「松下政経塾政権」 前原氏もパシリ扱い
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110903/stt11090322370004-n1.htm
2011.9.3 22:34 産経新聞
「政経塾政権」−。2日に発足した野田佳彦政権はこう評される。「次世代リーダーを養成したい」との理念を掲げ、故松下幸之助氏が設立した松下政経塾。野田首相は同塾出身者として初めて、政界の頂点に立った。政経塾出身の国会議員は1期生の野田首相含め38人。今や公明党(40人)に次ぐ「第4勢力」として、名実ともに政界の中核となりつつある。
玄葉光一郎外相(政経塾8期)、長浜博行官房副長官(同2期)、前原誠司政調会長(同8期)、樽床伸二幹事長代行(同3期)…。野田政権の中枢には、政経塾出身者がずらりと並ぶ。首相が政務秘書官に起用した河井淳一氏も政経塾の1期後輩。「ノーサイド」を標榜(ひょうぼう)し、挙党態勢が目立った野田人事のもう一つの側面だ。
「おーい、前原! ビール6本追加!」
「分かりました! すいませーん。ビール6本お願いします」
平成21年夏の政権交代後に開かれた政経塾OBの懇親会には、「先輩」の指示を受けてこまめに動き回る前原氏の姿があった。
前原氏は当時、鳩山由紀夫政権の国土交通相を務めていた。しかし、政経塾の集まりでは、現役閣僚であっても「先輩」の命令は絶対。席順も1期生から順に並ぶのが不問律だ。
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「口先ばかりで社会経験が乏しく、組織を動かせない頭でっかちの集団」。永田町では、こんな評判がつきまとう政経塾出身議員だが、民主、自民両党に張り巡らされた結束の強さは、部外者の目に脅威と映る。
民主党政権追及の最前線に立つ自民党の逢沢一郎国対委員長は首相と同じ政経塾1期生。逢沢氏は今も、首相のことを親しみを込めて「野田っち」と呼ぶ。3日のテレビ朝日番組でも「しっかりと首座を保ちながら日本国を引っ張ってもらいたい」とエールを送った。「国対委員長は差し替えなければいけないかもしれないな」。自民党幹部からは冗談ともつかない声が漏れる。
別の評価もある。1期生の鈴木康友浜松市長は「前原なんて全然先輩の言うことを聞かない。野田君に対抗して民主党代表選に出馬したのがいい証拠でしょ」と笑いながら語る。
あるOB議員は政経塾の体質を如実に物語るエピソードを覚えていた。
「1、2期生のころに研修でサッカーをやったが、みんなが『俺がシュートする』といって試合にならなかった。チームプレーができない体質なんだ」
「ミッドフィルダーに徹してもらいたい」と党内に呼びかけた野田首相。その脳裏には、個性が強すぎ「大人になりきれていない」政経塾出身者への不安があるのかもしれない。
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もともとジャーナリスト志望だった野田佳彦首相が松下政経塾の門を叩くきっかけは、父親がたまたま見かけた「1期生募集」の広告だった。
「金権体質の(地元の)千葉を変えたいんだ。政治をもっと国民に身近なものにしたい」
入塾後の首相はこんな理想を仲間に熱く語っていたという。しかし、「経済や外交で議論したことはほとんどない」という、今では信じがたい証言もある。
故松下幸之助氏が創設した政経塾だが、首相をはじめ松下翁から直接薫陶を受けた初期の世代と、その後の世代とでは、塾から得たものは相当違うようだ。
2期生の元杉並区長、山田宏日本創新党党首は「幸之助さんは3期ごろまで毎月のように塾に来ていた。『私はいつ死んでもええ』と悲壮な気持ちで語りかけていた」と話す。
その後、松下氏は病気となり、国の行く末を憂える「幸之助イズム」を伝授する機会は減った。8期生の徳永久志参院議員は「1、2期はひざ詰めで指導を受けたから、そのプライドがあるのだろう。僕らは講義録の資料でしか読めなかった」と語る。
首相が今回の民主党代表選で争った前原誠司政調会長は8期生。前原氏の出馬で一時は「当選圏外」とまで言われながら、首相が意志を曲げなかったのは、1期生としての自負だったのかもしれない。
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ここに1枚の写真がある。国会議事堂を背にして中央に立つブレザー姿の男性が若き日の首相だ。撮影されたのは平成5年の衆院選直後。細川護煕元首相率いる日本新党や新党さきがけなどの新党ブームに乗り、政経塾出身議員は一気に15人に増えた。写真には、自民党の逢沢一郎国対委員長のほか、前原氏や樽床伸二幹事長代行、玄葉光一郎外相、長浜博行官房副長官の姿が見える。
http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/110903/stt11090322370004-p1.htm
それまで政経塾は「功なり名を遂げた老人の隠居趣味」と揶揄(やゆ)された。最初から政治家の道が保証されていたわけではない。あるOBは「大学を出て普通は就職するのに自分は何をしているのか。夜も眠れない日々が続いた」と明かす。
今も決して全員が順風満帆というわけではない。5年に初当選した宇佐美登元衆院議員は、15年の衆院選で比例復活したのを除き5度の国政選挙で落選。スキャンダルや選挙違反で議員辞職したまま国政復帰を果たせないOBも多い。
悪評が頂点に達したのが18年の偽メール事件だ。当時代表の前原氏は「確証がある」と断言しながら、虚偽が判明し代表辞任に追い込まれた。質問にゴーサインを出したのは国対委員長だった野田氏だ。
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それでも、OBの多くは政経塾の強みを強調する。山田氏は「既得権益や利害打算にとらわれない人が多い」と指摘する。民主党の吉田治衆院議員(6期)も「政経塾ができるまでは30代で国政に出ることができるのは世襲議員だけだった。お金がないと選挙に出られないという風潮も打破した」と語る。
首相の入塾試験の面接官も務めた松下翁は、選考基準を問われ「運と愛嬌(あいきょう)のあるやつ」と語ったという。「経営の神様」に認められた強運は政権発足後も続くのか。(杉本康士、尾崎良樹)
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