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近聞遠見:舞台裏の「西岡と輿石」=岩見隆夫
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/
毎日新聞 2011年9月3日 東京朝刊
民主党の代表選(8月29日)からまだ5日しかたっていない。首相交代の舞台裏で何があったか。少しずつ明らかになっていくが、全貌がわかるまで時間がかかる−−。
民主党だけでなく、政界全体が最も注視したのは、キーマンの小沢一郎元代表が誰を推すかだった。代表候補の人物像について、小沢が、
「自分の責任で決断できる人。約束を守り、みんなが信頼できる人。まあ菅さん(直人前首相)でなければどなたでもいいんじゃないか」
と言ったのは7月28日の記者会見。だが、そのひと月以上前から小沢の打診工作は始まっていた。
標的になったのは長老3人衆である。かつて小沢の側近だった藤井裕久前首相補佐官(元財務相、79)は固辞、次いで輿石東参院議員会長(75)も固辞した。
「参院の結束を大事にしたいので」
という理由からだった。
6月末、小沢は西岡武夫参院議長(75)のもとを突然訪ねている。
「最終的にやってくれるか。(推薦議員20人の)名簿も出す」
と熱を込めて頼み、西岡は、
「命を懸けてやります」
と即答した。西岡は腹をくくり、この秘事を家族にも話さなかったという。
西岡は1963(昭和38)年、父親の後を継いで旧長崎1区から無所属で衆院に初当選、27歳だった。同期は小渕恵三、橋本龍太郎、渡辺美智雄、奥野誠亮らだが、現職で残るのは西岡一人だけだ。衆参の議員歴43年、国会最古参である。
8月18日、小沢は亀井静香国民新党代表、輿石、石井一民主党前副代表らと会食した席で、
「今度は必ず勝つ。誰を推すかはまだ言えない。これまで名前が挙がっていない人物だよ」
と上機嫌だったという。<隠し玉>に西岡を想定していたと思われる。少なくとも西岡はそう信じていた。
大詰めの告示前日、26日になっても、小沢は、
「こんなに名前が出ないのは珍しいな」
と漏らしながら、名前を明かさない。同日午後、グループ内に西岡擁立が伝わると衝撃が走った。輿石が血相を変えて、
「参院がメチャメチャになる」
と小沢のもとに駆け込んだ。鳩山由紀夫元首相も反対に回った。小沢はやむなく、西岡に、
「議長にとどまってくれるか」
と電話を入れ、約2カ月ひそかに温められた西岡候補が消える。窮余の海江田万里前経済産業相支持が発表されたのは、そのあとだった。
西岡に難点はあった。参院からの首相就任は前例がない。また、戦後2代目の幣原喜重郎首相だけが、辞任後衆院議長に就いたが、逆の議長から首相のケースはない。しかし、硬骨漢の西岡は、
「今は非常時だから。政治生命どころじゃなく、命を懸ける。自分だけでも(推薦議員を)20人集めてやる気だったが、さすがに時間がなかった。次はやりますよ」
と意気高い。
年齢も同じ参院の長老2人。輿石は西岡の半分、20年の議員歴しかないが、今回、代表候補を蹴り、西岡擁立をつぶし、ナンバーツーの幹事長を手にした。日教組で鍛えたしぶとさ、老練を思わせる。
一方の西岡は自民党時代、藤波孝生、河野洋平と<文教三羽ガラス>と呼ばれ、60年代後半の大学紛争を処理した。先ごろの激烈な菅前首相批判のようにいちずに動く。
両極のタイプだ。この難局、どちらが求められているか。(敬称略)
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