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樽床を小沢、輿石の監視役に配置する「したたかな人事」で野田内閣は長持ちする予感
「援軍」鹿野は再任、「敵軍」海江田は入閣見送り
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/18285
2011年09月03日(土) 歳川 隆雄「ニュースの深層」:現代ビジネス
野田佳彦新首相の人事は実に巧妙である。
先ずは民主党執行部人事。小沢一郎元代表に近い輿石東参院議員会長を同会長兼務で幹事長に起用、党内外を唸らした。「党内融和」を謳った代表受託スピーチを文字通り、実行に移した。が、それよりも注目すべきは、樽床伸二元国対委員長を幹事長代行に据えたことである。
75歳という年齢もあるが、必ずしも政策通とは言い難い輿石氏では、NHKの「日曜討論」をはじめ民放各局の討論番組に出演する各党幹事長・書記局長討論に耐えられない。その役回りは樽床氏に委ねられる。故事来歴に倣えば、鈴木善幸政権下の二階堂進幹事長と竹下登同代理の関係と同じである。
加えて、「カネと人事」を握る幹事長獲りが小沢氏の悲願であったが、昨年秋以降、「非小沢」を鮮明にしてきた樽床氏が小沢、輿石両氏間に楔を打ち、言わば"監視役"になることによって党の「小沢間接支配」に歯止めがかかる。幹事長実務は事実上、樽床氏が掌握することになる。
それだけではない。政調会長に前原誠司前外相を起用したことも大きい。小沢氏が代表時代に「党と政府の一元化」路線を打ち出し、政権交代後の鳩山由紀夫政権で党政策調査会を廃止した。菅直人政権では政策調査会を復活させたものの、内閣で政策を決定する枠組みは堅持した。だが、この「政治主導」が逆に政権運営に混乱をもたらした。
野田首相はこうした反省に基づき、前原氏に政調会長就任要請するに当たって「政府の意思決定をする際、政調会長の了承を原則とする」と言明したのだ。すなわち、政調会長ポストの重みが圧倒的に増したのだ。
新首相(代表)の野田氏は松下政経塾第1期卒業生、実質幹事長である幹事長代行の樽床氏が同3期生、そして強力政調会長の前原氏も同8期生である。民主党中枢は、この「松下政経塾コンビ」によって占められているのだ。
次に、新閣僚の陣立てを見てみよう。
首相の女房役であり、内閣のスポークスマンであり、さらに各省庁間の調整・取り仕切りと与党との政策調整の責任者でもある官房長官に、野田首相の信認厚い藤村修前幹事長代理を起用した。ひと言で言えば、「小官房長官」である。
それでも、代表戦では野田陣営の責任者として第1回投票に向けての中間派対策、そして決戦投票を前提とした多数派工作などで多大な役割を果たしたのが藤村氏だった。野田氏からすれば気心の知れた藤村氏は常に傍らに置く女房役としての役割に期待しているのだ。まさに宮澤喜一首相における加藤紘一官房長官である。
では、他の主要閣僚人事はどうか。ポイントは2つある。第1は、安住淳前国対委員長を財務相に抜擢したことだ。官房長官を固辞した岡田氏は同相には意欲を見せたものの、頑固な野田氏はそれを許さず、財政・金融政策とは無縁の安住氏起用に踏み切った。それは同時に、秋の臨時国会会期内に野田首相が新政権の生命線と位置付ける税と社会保障一体改革を法案化し、成立を目指す強い意志の表れと見ることができる。
加えて'軽量級'の大臣は、勝栄二郎事務次官以下財務省幹部にとってまさに好都合である。いずれにしても、野田首相の強力なイニシアチブによって財政再建政策が進められて行くことは間違いない。
第2に、代表選の決戦投票で鹿野票52票の殆どを野田氏に回した鹿野道彦前農水相を再任、一方で決選投票を争った海江田万里前経済産業相の入閣を見送ったことだ。
鹿野氏は会期末の8月31日、敢えて小沢元代表の親衛隊とされる「一新会」から梶原康弘、中津川博両衆院議員、そして鳩山(由紀夫前首相)グループの大畠章宏前国交相と中山義活前経産政務官をリクルートして自前のグループ(約30人)の旗上げに踏み切り、党内主流派に橋頭堡を確立した。
野田体制の強力な助っ人となった鹿野氏と、束の間の夢を見ただけに終わった海江田氏とは天と地の差の結果となった。
いずれにしても、このようにバランス重視の一方で、強かな人事を行った野田新首相は意外と持つかもしれない。
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